大子町に住む神長次朗医師(80)は昨年6月、先代から引き継いだ神長医院を閉じた。山に囲まれた白壁の病棟に人影はなく、広い駐車場はがらんとしている。
過疎と高齢化が進む町で約半世紀、地域医療を支えてきた。月平均1000人を診察し、患者が福島県境を越えて訪れることもあった。70代になっても往診に出向いていたが「体がもたなくなった」。
県内で指摘される医療水準の南北格差。医師の偏在はその象徴といえる。県の人口10万人あたりの医師数は155・1人で全国で2番目に少ない。県内九つに分かれている医療圏別に見ると、大子町を含む県北の常陸太田・ひたちなか医療圏は94・8人だが、筑波大学のあるつくば医療圏は326・5人で全国平均(217・5人)を大きく上回る。
神長医院に通っていた患者の多くは、神長医師が非常勤で勤める約8キロ離れた町中心部の別の病院に通う。近所の男性(60)は「遠くなって不便になった」と閉院を残念がる。
県によると、半径4キロ以内に医療機関がない「無医地区」に該当する地域は、県北を中心に23カ所。医療機関への足がない高齢者は多く、山間部では「北北」格差も進む。周囲を無医地区に囲まれた常陸大宮市の旧美和村にある国保美和診療所で働く薄井尊信医師(37)は「へき地に該当しない地域にこそ、困っている患者が多い」と言う。薄井医師が勤務する診療所は、自治体合併のあおりを受け、病院専用の市営バスが廃止。午後は往診にあてている。
県は昨年度までに、500人以上が住む無医地区に診療所を整備する目標を立てたが実現することなく、今年度以降は計画すら立ち消えた。県医療対策課は「新たに医療施設を作るより、今ある医療資源を有効活用する方針に変わった。市町村はバスなどの交通手段を整備してほしい」と説明する。
救急医療に目を移すと事態はより深刻だ。一般的に「2次救急医療機関」には総合病院が指定されるが、県北では病床数19以下の診療所が指定されているケースもある。薄井医師は「県北では搬送先が見つからないケースもある」とため息をつく。国や県は医師不足対策として医療機関の集約化を掲げるが、それは同時に医療空白地域の拡大を意味する。
閉院を決めた神長医師は、後進に病院を譲ることを考えなかった。過疎問題と医師不足は表裏一体だと考えるからだ。「人がいなければ医療は成り立たない。過疎を解決しなければ、医師不足は解決しない」
毎日新聞 2009年8月12日 地方版