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民主政権は「旗印絞れ」 細川元首相インタビュー(4/6ページ)

2009年8月9日3時5分

写真:細川護熙さん=鈴木好之撮影細川護熙さん=鈴木好之撮影

■小沢一郎氏を語る

 ――小沢一郎さんはまだ、現役で頑張っています。

 細川 なかなか慎重ですが、やるときはすぱっとやる。わがままなところもありますね。

 ――細川さんを首相にするというのは、歴史的なアイデアだった。

 田中 総選挙の前に山口敏夫さんが電話をかけてきて、「次は細川政権だ」というんだ。「ついては小沢と2人で部屋で話をしてくれないか。おれはルームサービスでも何でもやるから」と。「いいから、いいから」と逃げちゃったんだけど。

 細川 山口さんご本人の勘もあったんでしょうね。

 田中 政治が流れていく先に「細川首相」があるというのは、勘のいい人なら感じていた。小沢さんはそうした政治力学に熟達していた。私にいわせると細川政権のパワー担当です。「旗印」に徹底してこだわる細川さんと対照的だ。私も「旗印」組だが。

 細川 小沢さんは権力の強さも脆(もろ)さも知っている。リアリストなんです。官邸や首相を陰で操っているという世評もありましたが、必ずしも事実ではない。政治改革関連法案について小沢さんは当初、「政府案を粛々と実現するだけだ」と言い張っていたのですが、私が「自民党と話をしないとまずいんじゃないか」と言うと汗をかいてくれました。参院で法案が否決されたときも、「総選挙にうってでるべきだ」と主張していましたが、私と河野洋平自民党総裁によるトップ会談での成立に協力してくれた。悩まされたこともありますが。

 ――その後の小沢さんは新進党をつくって壊し、自由党を率いて自民党と連立したかと思うと、袂(たもと)を分かち民主党に合流するという具合にぐるぐる変わる。

 田中 だから旗印よりパワーなんだ。

 細川 自分の年齢とか健康とか政治状況とかいろいろ考えながら、現実的な判断を下してきたのでしょう。

■霞が関と与党が攻めてきた

 ――細川政権に話を戻します。あのときは官邸が細川さんと武村正義官房長官、首相特別補佐の田中さん、鳩山由紀夫官房副長官と日本新党、さきがけでラインをつくっていた。一方、新生党の小沢さんを中心とする連立与党代表者会議がありました。武村さん、小沢さんの対立で苦労が絶えなかったですね。民主党代表の鳩山さんは「政府と党の二元構造をやめ、政府に一元化する」と言いますが、その反省からなのでしょうか。

 田中 準備不足でした。細川さんもわれわれも10年ぐらい先を見ていましたから。なにより私をはじめ細川さんを支える人間が、未熟で力不足でした。さらに言えば、やはり8党派という事情です。唐突にできた寄り合い集団が抱えるマイナス面を、政権はもろに背負いました。

 細川 なにしろ社会党が連立政権の第一党だったのですから。内閣のキャッチフレーズに「責任ある変革」を掲げたのは、安保や外交について確立している国の政策は引き継ぐということを、あえて強調する狙いがあった。国民に余計な不安を与えないために、そう言わなければなりませんでした。

 ――細川さんは真夜中の記者会見で消費税に代えて税率7%の国民福祉税の導入を発表しましたが、すぐ撤回に追い込まれました。政権への打撃は大きかった。

 細川 内閣支持率の高さを利用しようという大蔵省の魂胆が、たしかにあったとは思います。私が福祉税の中身を聞いたのは記者発表の数時間前。与党で決めるというので、政府はほとんど関与していなかった。

 ――与党代表者会議で決めて、細川さんのところに持ってきた?

 細川 そうです。それもその日の夕方に。政治改革がずれ込んだあおりで本予算もできていなければ、補正予算も組めない。日米経済協議のための訪米も迫っていて、身動きとれない時期でした。国民に十分説明する時間がとれないまま、ばたばたと決められた。

 ――小沢さんと大蔵省の斎藤次郎事務次官が組んだとも言われましたが。

 細川 小沢さんだけじゃないでしょう。「霞が関」が与党代表者会議と一体になって攻めてきた。

 田中 そのころ、宮沢さんと3人で会うごとに、経済をどうするかの議論をしていた。内需刺激のための減税はやるべきだが、大蔵省が主張する増減税一体ではないだろうと。では、どうすればよいか、細川さんも苦悩していました。辞めるに辞められず、追い込まれていった。私は政治改革が実現した時点でいったん身を引いておけばよかったと、いまでも思っています。

 細川 94年の年明けに、「コメの市場開放と政治改革に道筋をつけたら辞めようと思う。この内閣の使命はそれで終わるのだから」という話を秀征さんとしていたのです。そうしたら実現した直後の1月30日に秀征さんのほうが、首相特別補佐を辞めてしまった。

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