医師の退職で産婦人科が休診の危機にあった珠洲市総合病院に昨春、山城玄医師(60)が沖縄県・久米島から着任した。国内外で数多くの命の誕生に向き合ってきた山城医師は、故郷の奥能登で「赤ちゃんとお母さんに優しい病院」を目指す。【澤本麻里子】
珠洲市の南隣にある旧内浦町(現能登町)出身。金沢大医学部の院生だった80年から2年3カ月間、サウジアラビアにある日本企業の診療所に赴任した。現地の女性は生年月日を覚える習慣がなく正確な年齢も分からない中、学んだばかりのアラビア語でやりとりし、木の筒で胎児の心音を聞いて発育状況を測った。
帰国後は、大学や京都府舞鶴市の病院に勤務し、05年夏からは久米島に赴任していた。
山城医師は、赤ちゃんを母乳で育てる運動を推進している。新生児室は使わず、生まれてから退院まで乳児と母親は同じ部屋で過ごす。「(新生児室を使うと)退院後、急に2人きりになってとまどうお母さんもいる。早くから一緒にいることで母性愛がわき、母乳の出もよくなる」と効果を説明する。
出産は昼夜を問わない。過酷な勤務は医師の気力と体力を奪い、産婦人科医離れが進む。「産婦人科医の高齢化が進んでおり、半分は50歳以上」とも語る。県医療対策課によると、珠洲市内で産婦人科のある病院は市総合病院だけ。隣接する能登町には出産を扱う病院がなく、珠洲市まで通う妊婦もいる。
2年前、当時の院長から「戻ってこないか」と電話があり、“里帰り”を決意した。
山城医師は「お産が好き」と話し、昨年1年間で約150人の分娩(ぶんべん)に立ち会った。「最初は産婦人科医になるなんて考えてもみなかった。学生時代に出産を見て、感動して涙が出てね」と振り返る。「定年まで沖縄で過ごすつもりだったけど、予定が変わりました」と笑った。
毎日新聞 2009年8月8日 地方版