(株)ピーチ・ジョン 野口美佳 前編2

最終変更日時 2008年07月22日 18時43分
DREAMGATE CONTENTS 「ドリームゲートスペシャルインタビュー MY BEST LIFE 挑戦する生き方」

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第9回(前編)株式会社ピーチ・ジョン 代表取締役社長 野口美佳 Mika Noguchi


<上京、そして通信販売ビジネスとの出合い>自分ワールドがなかなか発揮できず、苦痛のなか通販カタログをつくり続ける

 上京後、やはりグラフィックデザイナーになりたくて、学校に行ったりデザイン事務所でアルバイトをしたりしていたんです。その後もいろんなアルバイトをする中で、ある男性と知り合いになり、通信販売の会社を立ち上げたから一緒にやらないかって誘われて。これが、私が通信販売ビジネスにかかわることになったきっかけ。21歳で社員1号として彼の会社に入社して、仕事を手伝うことになりました。その男性とは、私が2度結婚して、2度離婚した男性であり、ピーチ・ジョン現会長の野口正二です。彼とはそれから20年くらいず~っと一緒に仕事をしています。

 最初は、男性向けの商品を企画して通販会社に卸売りする事業からスタート。少しずつお金がたまってきたころ「セシール」の躍進ぶりを見ていた会長が、うちも下着をやってみようと。で、自分は男で女性の下着のことはわかんないからお前やってくれと。当時の私は22歳、胸が小さかったのでそれまで下着を選んだり、着けたりすることを楽しいと思った経験がありませんでした。扱う商品にあまり興味がもてなかったけど、仕事は仕事、売れそうだという予感もありました。それで、下着の買い付けからコピー書きにカタログ作成まで、全部自分ひとりで作業して初のランジェリーカタログを発行したのです。

 当時は男性向けの顧客リストしかありませんでしたから、自分ワールドでセレクトした女性好みの商品は売れず、売れる下着はいわゆる男性が好むポルノティックなものばかり。で、ポルノティック下着中心の商品構成に路線変更です。「ホワイトデーに下着をプレゼントしましょう」とか企画したりして頑張ったのですが、私にとっては理解不能な下着をセレクトし、カタログ制作をするわけですから全く楽しくない。20代って好きなものに囲まれて過ごしたいじゃないですか。下着通販部門がスタートした1988年から1992年まで4冊のカタログをつくりましたが、この時期は本当に苦痛の毎日でした。



<ピーチ・ジョンの誕生>商品買い付けに訪れたアメリカで、人生を変える1枚のブラジャーと出合う

 会長も私も、男性向けに女性下着を売る事業は違うなと感じ始めます。しかし、ほかの事業が好調で会社に余裕があったことが幸いし、私は会長からもう一度チャンスをもらいました。しかも、女性向けの雑誌に広告を出せることになったんです。また当時は、円高やディスカウント航空チケットの登場もあって海外へ行きやすくなりましたし、海外とのやりとりもTELEXからFAXに切り替わり簡単になった。誰でも商社みたいな活動ができるようになったんですね。そんな後押しもあって、アメリカに買い付けに出かけた私は、下着だけではなく水着も大量に取り寄せ、「自分がほしい」と思う商品ばかりをセレクトしたカタログをつくります。結果、この5冊目のカタログが予想以上にヒット。通販業界に飛び込んでから6年目、私は初めて通販ビジネスに面白さを感じ、本気でこの仕事に取り組んでみようと思うようになったのです。

 翌年、同じようにアメリカに買い付けに行ったロサンゼルスのショッピングモールで、私はその後の人生を変える1枚のブラジャーと出合います。それがピーチ・ジョンの最初の大ヒットとなった「ボムバストブラ」です。ふと手にしたそのブラジャーは、胸に当たる下のほうにだけ分厚いパットが入っています。カップ全体にパットが入っていて、胸を大きく見せるブラジャーはこれまでもありましたが、そのブラジャーのパットは下半分だけ。つまり、下から持ち上げることで自分の胸を生かしながら、胸を大きく見せることができるというもの。試着してみたら、初めて自分の胸に誇りが持てた気がして感動しました。私がこんなに嬉しいのだから、きっと私と同じように喜んでくれる女性が日本にたくさんいるはずと直感。そしてすぐにメーカーを調べ社長に直談判し、手持ち資金のほぼ全額を投じてそのブラジャーを買い付けました。

 そして「ボムバストブラ」を掲載した6冊目となるカタログの請求数は、雑誌での広告効果もあり、なんと1万通以上。それまで数百通の請求だったものが一気に数十倍となったのです。この成功を受けて、1994年、株式会社ピーチ・ジョンを設立し、私が社長に就任します。女性に「元気・ハッピー・セクシー」を届けるというモットーを旗頭に、ピーチ・ジョンの快進撃が始まりました。

 

<「会員数250万人、年商170億円の会社に成長!」の後編へ続く>

 

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:松村秀雄



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