2009年08月05日
[改訂・改題]オヤジのコラム「頑張れないけどいいでしょう」は今のオヤジの精一杯のLovesongだと解りました!
今日はいったい何が
どうしちゃったんだろう
胸の中のどこかが
スッキリしない
朝から頭の中も
重たい感じで
動きたくないんだから
仕方ない
こんな気持ち自分しか
分かりはしない
説明なんて無意味な
行動だから
誰かを想ってみようと
考えたけど
恋するウキウキには
ほど遠い
追いかけすぎる事は
いけないんだね
この頃ちょっとだけ
悲しくなり始め
君に会えるだけで
幸せなはずさ
自分のことを嫌いに
なっちゃいけないよね
もっともっと素敵に
いられるはずさ
眩しい程じゃなくても
いいじゃない
気持ちをなくしてしまった
わけじゃない
掴めそうで掴めない
戸惑ってしまう
でも
頑張らないけどいいでしょう
私なりってことでいいでしょう
頑張らなくてもいいでしょう
私なりのペースでもいいでしょう
雨の中を歩けば
気がつくこともある
振り返ってみると
誰もいないんだ
昔、人生に躓いた
夜があって
多くの失敗を
繰り返してました
はしゃいでいた季節は
真実だったし
風の行方なんて
分からなかったし
あの日皆が求めたものは
何だったんだろう
僕らの行く先を
誰が知ってたろう
本当の心の中が
言えない気がする
言える時が来ても
言わない気がする
きっとこの頃何かを皆
気にしてるんだね
誰かの顔の色も
気にかかるんだね
そこよりもっともっと
それよりももっと
心が痛くならない
辛くないところ
例えば求める愛が
遠くても近くても
進んでいくだけが
自分と思ってた
でも
頑張らないけどいいでしょう
私なりってことでいいでしょう
頑張らなくてもいいでしょう
私なりのペースでもいいでしょう
心が歩くままでいいでしょう
そうでない私でもいいでしょう
頑張れないけどいいでしょう
私なりってことでいいでしょう
この歌は最近、「人生最後の全国ツアー」を前に吉田拓郎が発売したアルバム「午前中に…」に収録されている代表曲「ガンバラナイけどいいでしょう」です。
吉田拓郎は1946年生まれなので今年63歳のはずです。
少し脱線しますけど、数年前、自分が好きで聴いていたポルノグラフィティのアルバムやDVDをオヤジにみんなトレーニング用のダルベルでボロボロにされました。最後には自分でDVDを割るようにオヤジから命令されました。
非常に悔しかったです。中には大切な友人やガールフレンドや夢現舎で世話になった元スタッフの人にもらったものもあったからです。音楽だけじゃなくて自分の人間関係や何もかもオヤジに破壊されたようでとてもオヤジを憎く感じました。
オヤジはいいました。
「こんな腐った歌謡曲をロックだなんて勘違いして聴いてたら一生本物がわからねえまま終わっちまんうんだぞ。音楽を聴くならば真剣に音楽に向き合え!本だって映画だって、それに空手だってなんでもそうだ。本物を知らねえヤツは偽物を本物と勘違いして薄っぺらな人生を送るんだ。ロックならば、ちゃんとアメリカ、ミシシッピデルタの綿花畑で鎖に繋がれながら酷使されたアフリカンの叫びから生まれたブルースを聴いて、白人に迎合してるってアフリカンに軽蔑されながらロックンロールを歌ったチャックベリーを聴いて、そのブルースがロックンロールとともに大西洋を渡ってジェフベックやジミーペイジやロッドスチュワートたちがブリティッシュロックを確立したんだ。そういう歴史の流れを学んでロックの奥深さや本物のロックを聴きこんだ後で、フーンって余裕でポルノグラフィティだろうがB'zだろうがオモチャ意識で聴くならばいい」
それから自分はオヤジからロックの系譜やフォークソングの道程を教えられ、洋楽を中心に山ほど音楽を聴かされてきました。
(73年、全盛期の吉田拓郎)
(年中スキャンダルを起こしていた)
どうしちゃったんだろう
胸の中のどこかが
スッキリしない
朝から頭の中も
重たい感じで
動きたくないんだから
仕方ない
こんな気持ち自分しか
分かりはしない
説明なんて無意味な
行動だから
誰かを想ってみようと
考えたけど
恋するウキウキには
ほど遠い
追いかけすぎる事は
いけないんだね
この頃ちょっとだけ
悲しくなり始め
君に会えるだけで
幸せなはずさ
自分のことを嫌いに
なっちゃいけないよね
もっともっと素敵に
いられるはずさ
眩しい程じゃなくても
いいじゃない
気持ちをなくしてしまった
わけじゃない
掴めそうで掴めない
戸惑ってしまう
でも
頑張らないけどいいでしょう
私なりってことでいいでしょう
頑張らなくてもいいでしょう
私なりのペースでもいいでしょう
雨の中を歩けば
気がつくこともある
振り返ってみると
誰もいないんだ
昔、人生に躓いた
夜があって
多くの失敗を
繰り返してました
はしゃいでいた季節は
真実だったし
風の行方なんて
分からなかったし
あの日皆が求めたものは
何だったんだろう
僕らの行く先を
誰が知ってたろう
本当の心の中が
言えない気がする
言える時が来ても
言わない気がする
きっとこの頃何かを皆
気にしてるんだね
誰かの顔の色も
気にかかるんだね
そこよりもっともっと
それよりももっと
心が痛くならない
辛くないところ
例えば求める愛が
遠くても近くても
進んでいくだけが
自分と思ってた
でも
頑張らないけどいいでしょう
私なりってことでいいでしょう
頑張らなくてもいいでしょう
私なりのペースでもいいでしょう
心が歩くままでいいでしょう
そうでない私でもいいでしょう
頑張れないけどいいでしょう
私なりってことでいいでしょう
この歌は最近、「人生最後の全国ツアー」を前に吉田拓郎が発売したアルバム「午前中に…」に収録されている代表曲「ガンバラナイけどいいでしょう」です。
吉田拓郎は1946年生まれなので今年63歳のはずです。
少し脱線しますけど、数年前、自分が好きで聴いていたポルノグラフィティのアルバムやDVDをオヤジにみんなトレーニング用のダルベルでボロボロにされました。最後には自分でDVDを割るようにオヤジから命令されました。
非常に悔しかったです。中には大切な友人やガールフレンドや夢現舎で世話になった元スタッフの人にもらったものもあったからです。音楽だけじゃなくて自分の人間関係や何もかもオヤジに破壊されたようでとてもオヤジを憎く感じました。
オヤジはいいました。
「こんな腐った歌謡曲をロックだなんて勘違いして聴いてたら一生本物がわからねえまま終わっちまんうんだぞ。音楽を聴くならば真剣に音楽に向き合え!本だって映画だって、それに空手だってなんでもそうだ。本物を知らねえヤツは偽物を本物と勘違いして薄っぺらな人生を送るんだ。ロックならば、ちゃんとアメリカ、ミシシッピデルタの綿花畑で鎖に繋がれながら酷使されたアフリカンの叫びから生まれたブルースを聴いて、白人に迎合してるってアフリカンに軽蔑されながらロックンロールを歌ったチャックベリーを聴いて、そのブルースがロックンロールとともに大西洋を渡ってジェフベックやジミーペイジやロッドスチュワートたちがブリティッシュロックを確立したんだ。そういう歴史の流れを学んでロックの奥深さや本物のロックを聴きこんだ後で、フーンって余裕でポルノグラフィティだろうがB'zだろうがオモチャ意識で聴くならばいい」
それから自分はオヤジからロックの系譜やフォークソングの道程を教えられ、洋楽を中心に山ほど音楽を聴かされてきました。
(73年、全盛期の吉田拓郎)
(年中スキャンダルを起こしていた)
オールディズといわれる1950ー60年代のカレッジフォークからボブディランやサイモン&ガーファンクル、ブルーススプリングスティーンなど洋楽を徹底的に聴かされ、次に日本の岡林信康とか高田渡、友川かずき、加川良、高石ともやなどのプロテスタントフォークソングを聴きました。
でも、半ば強制されながら聴いてきたロックやフォークソングが非常に心地よい音楽だと思うと同時にオヤジがよくいう「魂」があるのが分かった気がします。
話は吉田拓郎の「ガンバラナイけどいいでしょう」に戻ります。オヤジに教えられ、いろんな資料を読んでみると、吉田拓郎という人が常に時代の先端を走ってきたミュージシャンだと分かりました。
1972年前後に衝撃のデビューをして直ぐに結婚したけど当時アイドルだった浅田美代子と77年に再婚。マスコミから批判され、年中暴力事件を起こして問題児扱いされても人気は衰えず、森進一とかキャンディーズなど歌謡曲の歌手にも自分の歌を提供したり積極的に音楽活動をしてきました。
75年には日本初の個人レーベル「フォーライフレコード」を設立したり、いままで「地方巡業」と呼ばれていた地方興行をアメリカ式の「全国ツアー」に変えたのも吉田拓郎が元祖です。アメリカのウッドストックで一躍世界に知られた野外コンサートも吉田拓郎が73年に初めて大々的にやって75年のつま恋コンサートは伝説になりました。
フォークソングの時代が終わってニューミュージックの時代に入っても吉田拓郎の存在感は変わらず、86年には美人女優の森下愛子と再婚して、それまで嫌いだったテレビにも出るようになって96年にはKinki Kidsの「LOVELOVEあいしてる」のレギュラーになりました。
「拓郎はテレビに迎合した」と批判の声もあったけど、奥さんのアドバイスを子供みたいに聞く恐妻家の吉田拓郎ってイメージが自分は好きです。
2000年に入り年齢も50を過ぎるとさすがにパワーも衰えて体にもガタがきて03年には肺癌で入院し、06年のつま恋は大成功させたけど、翌年の全国ツアー中に体調不良で中止になり、その後はスランプに悩まされたようです。
何をいいたいかというと、吉田拓郎は50歳を過ぎてもがんばって、病気と戦いながらいくつもの名曲を残したし、いま60歳を過ぎて、やっと「ガンバラナイけどいいでしょう」と歌ってるんだ!ということなんです。
がんばってきた人が歌うべき歌であって、いままでがんばってこなかった人が主張するような軽い歌じゃないと自分は思います。
そういえば最近、オヤジは泉谷しげるの「なぜこんな時代に…」がいいといってもいます。
何故、こんな時代に頑張れないのか
何故、こんな時代に頑張らないのか
この歌は泉谷しげる(現在61歳)が45歳の時に発表したものでいまもコンサートで唄い続けているようです。
40歳とか50歳、60歳という年齢は自分には想像もつかないはるかに遠い世界です。でも自分も必ず40歳になり60歳になるときがくるのです。
自分は50歳になったときにオヤジのように何かを残せるだろうか?
50歳になっても、オヤジみたいに女性を好きになったり街でケンカしたりできるだろうか?
それを考えると永ちゃんはたしかに天才かもしれないけど、吉田拓郎も泉谷しげるも、それにオヤジもスゴイと思います。スゴイ生き方をしてきたから、「ガンバレナイけどいいでしょう」と堂々と歌えるのだと思います。
そしてオヤジはこの吉田拓郎の歌を聴いて少しだけ今までの人生の足跡を振り返ってみたのだと思います。
最近、この歌は、それにオヤジのコラムは今のオヤジの精一杯のLoveSongなんだと解ったような気がしています。
(現在の吉田拓郎)
(今も挑発的な泉谷しげる)
(終わり)
でも、半ば強制されながら聴いてきたロックやフォークソングが非常に心地よい音楽だと思うと同時にオヤジがよくいう「魂」があるのが分かった気がします。
話は吉田拓郎の「ガンバラナイけどいいでしょう」に戻ります。オヤジに教えられ、いろんな資料を読んでみると、吉田拓郎という人が常に時代の先端を走ってきたミュージシャンだと分かりました。
1972年前後に衝撃のデビューをして直ぐに結婚したけど当時アイドルだった浅田美代子と77年に再婚。マスコミから批判され、年中暴力事件を起こして問題児扱いされても人気は衰えず、森進一とかキャンディーズなど歌謡曲の歌手にも自分の歌を提供したり積極的に音楽活動をしてきました。
75年には日本初の個人レーベル「フォーライフレコード」を設立したり、いままで「地方巡業」と呼ばれていた地方興行をアメリカ式の「全国ツアー」に変えたのも吉田拓郎が元祖です。アメリカのウッドストックで一躍世界に知られた野外コンサートも吉田拓郎が73年に初めて大々的にやって75年のつま恋コンサートは伝説になりました。
フォークソングの時代が終わってニューミュージックの時代に入っても吉田拓郎の存在感は変わらず、86年には美人女優の森下愛子と再婚して、それまで嫌いだったテレビにも出るようになって96年にはKinki Kidsの「LOVELOVEあいしてる」のレギュラーになりました。
「拓郎はテレビに迎合した」と批判の声もあったけど、奥さんのアドバイスを子供みたいに聞く恐妻家の吉田拓郎ってイメージが自分は好きです。
2000年に入り年齢も50を過ぎるとさすがにパワーも衰えて体にもガタがきて03年には肺癌で入院し、06年のつま恋は大成功させたけど、翌年の全国ツアー中に体調不良で中止になり、その後はスランプに悩まされたようです。
何をいいたいかというと、吉田拓郎は50歳を過ぎてもがんばって、病気と戦いながらいくつもの名曲を残したし、いま60歳を過ぎて、やっと「ガンバラナイけどいいでしょう」と歌ってるんだ!ということなんです。
がんばってきた人が歌うべき歌であって、いままでがんばってこなかった人が主張するような軽い歌じゃないと自分は思います。
そういえば最近、オヤジは泉谷しげるの「なぜこんな時代に…」がいいといってもいます。
何故、こんな時代に頑張れないのか
何故、こんな時代に頑張らないのか
この歌は泉谷しげる(現在61歳)が45歳の時に発表したものでいまもコンサートで唄い続けているようです。
40歳とか50歳、60歳という年齢は自分には想像もつかないはるかに遠い世界です。でも自分も必ず40歳になり60歳になるときがくるのです。
自分は50歳になったときにオヤジのように何かを残せるだろうか?
50歳になっても、オヤジみたいに女性を好きになったり街でケンカしたりできるだろうか?
それを考えると永ちゃんはたしかに天才かもしれないけど、吉田拓郎も泉谷しげるも、それにオヤジもスゴイと思います。スゴイ生き方をしてきたから、「ガンバレナイけどいいでしょう」と堂々と歌えるのだと思います。
そしてオヤジはこの吉田拓郎の歌を聴いて少しだけ今までの人生の足跡を振り返ってみたのだと思います。
最近、この歌は、それにオヤジのコラムは今のオヤジの精一杯のLoveSongなんだと解ったような気がしています。
(現在の吉田拓郎)
(今も挑発的な泉谷しげる)
(終わり)
gokuakunin15mei at 23:57│
│オヤジと自分