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Break-through 突破する力 安藤美姫


支えてくれたのは、家族や「4回転に挑んでくれてありがとう」と言ってくれたファン。そしてトリノで金メダルに輝いた先輩、荒川静香の言葉だった。
「最初の五輪は余裕がなく『夢』のままで終わってしまう。でも、多くを学んだ4年後の五輪は、戦い方も楽しみ方もわかるよ」
もう一度やってみよう。門奈の下へ戻ったとき、ジャンプは1回転しか跳べなくなっていた。 毎朝6時から1時間半、名古屋市内のリンクで、踏み切るタイミングや軸の修正に取り組んだ。

ニコライ・モロゾフと出会ったのは、そんなときだった。
ベラルーシ出身の元アイスダンス五輪選手。引退後、米国で振付師兼コーチとなり、荒川をはじめ数々のメダリストを育てていた。門奈にジャンプを見てもらいつつ、彼のもとで苦手なステップや表現力を磨くことにしたのだ。
互いに日米を行き来した。モロゾフは自ら手本を演じてみせる。長い手足に豊かな表情、巧みなエッジさばき。彼のように滑りたい――。

でも、簡単にはいかない。「何だ、その棒のような腕は。関節は何のためにある?」「限界までやれ」。自分に対するふがいなさに、筋肉痛。氷上で何度も泣いた。

もともと感情や気分のムラが激しい。ずっと「短所だ」と指摘されてきた。だがモロゾフは違った。
「気持ちを素直に出せるのは長所。演技に生かさない手はない」
2季目以降は安藤に、男性を惑わすカルメンや中東の美女といった妖艶なプログラムを与えた。
「君には、大人の女性らしいスケートがふさわしい。ジャンプ力、芯の強さ、そして美を兼ね備えた80年代の金メダリスト、カタリナ・ヴィットを彷彿とさせるような、ね」
最初は恥ずかしがっていた安藤も、自分よりセクシーに踊る師を見て、素直に「うまい」。少しでも役に近づこうと、ミュージカルやバレエ、映画などを見て勉強した。
日本スケート連盟フィギュア強化部長の吉岡伸彦は、この間の安藤を「形だけのマネではなく、指先、視線まで意識して、気持ちの中から演技ができるようになった」と話す。

そして今年3月。
ショートプログラムを終えた時点で、安藤は4位につけていた。4回転ジャンプの練習での成功率は約6割と、調子は悪くない。日本のフィギュア関係者やメディアから「五輪に向け、大技をこなしておくべきだ」などと意見されてもいた。
だが、モロゾフは「今回のジャッジ(審判)はジャンプに厳しい。無理せず、100%の演技でメダルをとろう」と言ってきた。
迷った。4回転はともかく3回転連続ジャンプは入れたほうがいいのではないか。
自由演技の当日、朝の公式練習を終えると、更衣室に向かう廊下で不安を打ち明けた。
「帰国したら『何で跳ばなかった?』って批判されるかもしれない」
モロゾフの怒声が響いた。
「人の意見より、君の考えはどうなんだ?」
マッサージを受けながら、ここまでの道のりを思い起こした。「ニコライだけを信じよう。ちゃんと向き合おう」。様子を見に来た師に、安藤は穏やかな表情で伝えた。
「I believe you」

白いリンクの中央に一人立つ。曲はサン・サーンスの交響曲第3番。音楽以外、何も聞こえない。4分間の最後、オルガンの重厚な音が鳴り響く中、思いっきり上半身を反ってポーズを決めると、観客が拍手と共に立ち上がった。
表彰式後、審判の一人から「義務的な滑りではなく、どう見せたいかという姿勢が伝わってきたよ」と声をかけられた。8歳の時から安藤を知る愛知県スケート連盟フィギュア委員長の久野千嘉子も「あそこまで喜怒哀楽の表情をつけられる日本人選手は、彼女だけ」とたたえた。
バンクーバー五輪は、約半年後。代表3枠は、年末の全日本選手権後に確定する。2度目の五輪になるならば、やはり4回転に挑みたい。前回のリベンジを果たしたいと思う。

「でも」と、安藤は言う。
「今の私は、フィギュアはジャンプだけじゃないこともわかっている」

 

自己評価シート

「30分くらい、このシートとにらめっこしながら考えたんですよ。自分にあまり関心がなくって」
1位の集中力と、2位の瞬発力は納得。フィギュアはショートプログラム2分50秒、自由約4分という規定時間内で、非日常的な重圧や緊張と戦いつつ、普段通りの力をいかに発揮できるかの勝負だ。

安藤は試合ごとに好不調の波が激しい。「陸上なら、短距離系なんです」
だが、昨季あたりから新たに備わってきた「持続力、忍耐力」が5位に。
「一度決めたら、その道を頑張って進みます」

6位の語学力は、もう少し上位でもいいかもしれない。モロゾフコーチとコンビを組んだ初年度は「Yes,No程度の会話だけだった」が、4季目の今や英語はもちろん、ロシア語でもやりとりできるまでに上達している。

最下位には「運」を指定。「自分が頑張ろうと思った時に結果が出ないことが多い」とぽつり。2度目の五輪での結果次第で、急上昇するかもしれない。

 

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