スピードに乗る。しなる体。時に強く、時になまめかしく。すーっと伸びた指の先まで、集中力が宿る。
今年3月、ロサンゼルスの世界選手権。4回転ジャンプも3回転の連続技もあえて封印した演技で、安藤美姫は3位に入った。
表彰台に上がる。首に下がる銅メダルに、初優勝した07年の東京大会と同じ輝きはない。だが「今回の方が意味がある」。晴れやかな笑みを見せた。新しい「安藤美姫」がそこにいた。
「天下一品」
コーチの門奈裕子は、安藤の4回転サルコーをそう評する。
踏み切るのは、幅約4mmのブレードだ。摩擦ゼロの氷面に、約160kgの力がかかる。
平均秒速3.3m、ほぼ垂直の角度で空中へ。約50cmの高さで4回、宙を舞う。
その間、約0.6秒。
世界トップ級の男子でも、競技会で4回転を跳べるのは20人いるかどうかだ。
女子唯一の4回転ジャンパー。それが安藤の代名詞だった。
初めて跳んだのは中学3年生のときだ。「遊び半分で練習していたら、できちゃった」。半年後にはジュニアの競技会でも成功させ、世界から注目される存在に躍り出た。
だが、安藤を苦しめたのもまた、4回転だった。
10代後半、身体の成長やけがで、思ったように跳べなくなった。他の武器がないだけに「不安でパニックになった」。
心身を自在にコントロールできない彼女を、次はメディアが襲う。「ミキティ」などと祭り上げられ、家の前には連日、週刊誌やテレビのカメラマンが張りついた。
05年、新天地を求めて渡米した。だが、それも裏目に出る。日本では1日30本跳んでいたが、ほめて育てるタイプの米国人コーチは「ミキは、そんなに練習しなくても大丈夫」。調整が遅れ、体もしぼれず、ジャンプの軸はずれていった。
トリノ五輪の代表3枠には、なんとか滑り込んだ。だが狂った歯車は戻らない。本番の自由演技で4回転に挑んだが失敗。総合15位に沈んだ。
群がっていたメディアは、波が引くように消えた。帰国後、家には期待はずれの結果を批判する手紙も届いた。人間不信になりかけた。
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自分にどんな「力」が備わっているのか。
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編集部が用意した10種類の力から「独断」で選び、順位をつけてもらった。
1987年、愛知県生まれ。
8歳の時、浅田真央らがいたクラブでスケートを始める。2002年、競技会で女子初の4回転に成功。03、04年、全日本選手権連覇。06年、トリノ冬季五輪に出場。同年、中京大体育学部に進学。同時にトヨタ自動車入社。07年、世界選手権(東京)で初優勝したが、翌年はけがで途中棄権。09年、世界選手権(米)銅メダル。