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挑 戦 無 き 者 は 去 れ !

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答

mit einem Kommentar


※ 以下、戸田様から質問形式でお答えいただいた内容(黒文字)を原文のまま掲載させていただきます。同一のものはメインの記事「北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。」にも掲載してあります。

※ 原文に忠実に、一切の脚色を施さず、誤字脱字も修正しておりません。
※ 今回、ご質問(青色)を作成なさったのは、swanslab 様 なお、カッコ内は、私が噛み砕いて質問の趣旨を説明した文(青色)です。

※ メッセージ性の高いこの記事をトップに固定します。コメントは、ご自由に、私たちのために貴重なご体験を公開してくださった戸田様の真意を汲んでいただき、節度と理性ある討論が展開されることを期待します。

※ 質問①~⑨7月31日公開、⑩~⑲8月1日公開
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今回の事故で、全国の山を愛する皆さんに対するメッセージのようなものがございましたら、ぜひお書き添えください。 私のところに掲示させていただき、皆さんにお読みいただこうと思っております。

自分が見たことをあまさずみなさんに知っていただきたいです。自分には知らせる義務があると思っています。
自己責任論が亡くなられた人に対しとなえられ、「ちょっと違うぞ」と思っています。不可抗力の要素はあると思いますが、それに対する一定限度のサポートはあってしかるべきとおもいます。それがツァー山行だと思います。突然サバイバルの場につれてこられて命を失った人に代わって、「それは違うぞ」と訴えたい。
後は低体温症の知識です。自分はガイドたちに低体温症の知識があったとは絶対おもいません。そして自分に低体温症の知識があれば、もっと早く対策を要求したのにとおもいます。

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以下ご質問事項です・・。

まず、ガイドの様子についてお聞きします。

①登山全体を通して、計画、状況、判断の説明をする人は、三名のガイドのうち誰でしたか。
(ガイドの名前は吉川ガイド 多田ガイド 松本ガイドのうち誰がリーダー格でしたか?という意味です。独りの人が全部決めていたのか、それとも、役割分担があったのかを知りたいのです。

32歳ガイドがすべてを決めていたとおもいます。北海道がはじめてで、気候やコースについて何も知らない人になんの決定権がありましょう。38歳ガイドとは行きの飛行機で相席となり、彼が「夏休みの代わりとして会社があたえてくれた」といっているのをきいています。つまり責任の軽いもので、お手伝いをすればよいとかんがえていたようです。吉川ガイドのことは分からないが、「雨は気にしないで歩けばよい」といったことをいう人です。(じぶんへの発言)また携帯は持たないとウソをいう人です。最終日には「今日は皆さんを下に送り届けるのがしごとです。」といっていたといいます。

②前日(15日)の天候をご教示ください。
(どのくらいの雨だったかとか、結構衣類が濡れてしまったとか・・、寒かったとか・・、避難小屋についても乾かなかったとか、そういった情報です。)

前日は朝から終日雨でした。風速は5mぐらいです。山の雨ですからはじめはそれほどには気にならなかったのですが、そのうちからだの芯からぬれたようにかんじました。眼鏡が外側は雨粒がつき、内側は曇り苦労しました。ただ着衣は上は春夏ようのジャッケトとゴアのカッパで十分でした。下着まで全部ずぶぬれです。靴はズクズクで靴下は絞れるほどです。自分は全部着替えましたが着干しの人もいました。女客のことは分かりませんが雨具以外を干しているようではなかったとおもいます。シラフをはんぶんぬらしシラフカバーを中にして寝ました。シラフを濡らした人は他にいると思いますが、どうしたでしょう。着替える場所はありません。
2階は別のグループと個人がつかい一階は私たちが使いました。干す場所がなくてこまりました。なおこの日は一時間早く小屋につきました。けっこう急がされたという感じです。それが翌日の判断ミスにつながったと思います。雨の中休む気にはなれませんし、平たんのコースで翌日の参考にはならんと思いますがねえ。

③最終判断をなしうるガイドはヒサゴ沼を出発するとき、理由を説明しましたか。そして、次にどこで天候の判断をすると説明していましたか。
(リーダー格のガイドさんは16日朝に避難小屋を出るときに、なぜ予定通りにトムラウシ温泉に向かうのか、メンバーに説明しましたか?天気が悪くなったらどうするとか、しばらくトムラウシのほうに進んで天気の様子を見るとか言っていましたか?ということです。)

自分はトイレに行ってて、その間に全部終わっていたようです。30分の延期はとなりに寝ていた木村さん(死亡)が教えてくれました。様子を見る、30分延期するというのです。妙だとおもいましたが、30分遅らせれば天気のピークをやり過ごせるとでも考えたのだとおもいます。それと30分以上は長い距離(予定タイムは10時間30分となていました)を考えると無理と思ったようです。だれかが中止を言い出したと報道にありますがそれは女客だとおもいます。だれが言い出したか知りたいのにいまだに分かりません、たぶん亡くなられたのだと思います。女客で生還した人なら分かるかもしれません。32歳ガイドが昼には天気が回復すると言って決行を決めたとの報道があります。途中での天気の判断なるものは彼(32歳)の頭にはなかったと思います。そのような話は誰からも聞いていません。途中で様子をみるという話もありません.そんなそぶりはありませんでした。りょうせんにでてからは前を見て歩くことだけ考えていました。

④出発時にガイドはお客さんの装備(アイゼン・防寒具)のチェックをしましたか。ヒサゴ沼避難小屋を出る時点で重ね着の指示はありましたか。(寒さ対策に中間着を着てくださいとか、フリースを着てくださいとかのアドバイスがなされましたか?という質問です。)

チェックはありません。ストックのゴムを抜くようにとの指示が32歳ガイドからありました。アイゼンはすぐに出せるようにというのは別のガイドの指示です。これは誰かが聞いたからでそうでなければ指示はなかったでしょう。重ね着の指示はありません、誰も聞かなっかたからだとおもいます。

⑤事故当日(16日)、先頭を歩いたガイドさんは誰ですか。最後尾を歩いたガイドさんは誰ですか。

先頭は今回を通じて32歳ガイドがつとめました,正ガイドの務めだそうです。最後は添乗員たる吉川ガイドがつとめ、サブガイドの38歳ガイドは中間に位置すると決めていたようです。

⑥ヒサゴの雪渓の登りで要した時間とアイゼン着脱に要した時間をおおまかにご教示ください。
(アイゼンを使うほどに雪がありましたか?雪がなくアイゼンを使わなかったのでしたら、お答えいただかなくって結構です。)

アイゼンをこのツァーで初めて使いました。一番長く勾配もありアイゼンがあれば安心という雪渓で、北アルプスのそれの小型のものだとおもいます。
雨と風があり少しガスっていたとおもいます。30分ぐらいかっかたと思います。ネパールのシェルパの人がスコップをもってステップを切ってくれて安心感を与えていました。
稜線まで計40分ぐらいと思います。着脱に時間はあまり掛からなかったと思います。

⑦雪渓を上りきった地点(コル)で、風・気温・雨等、天候の変化を感じましたか。疲労や体の不調を訴えるお客さんはいましたか。

コルに着いたときは風はありましたが、撤退とかいうことを考えるようなものではなっかたと思います。故障をいう人はなっかたとおもいます。
なおここで言うのが適当とはおもいませんが体調のことはここで初めて聞かれたのでここで言っておきます。最初の日にすでに一人の女客が旭岳から白雲岳へ行く途中でうつむいてゲロをはくこと、ゲイゲイとやっていた。体調をくずしていたようです、ガイドに連絡しなにかやっていたようですが、自分の視界からきえました。その日にもう一度目撃し、次の日に一度目撃しました。
彼女が延期を言ったのかもしれませんが、彼女が最初の故障者(歩けない人)だとおもいます。ガイドはだから低体温症の判断を誤ったかもしれません。前日、前々日の延長と考え休ませてなんとかやってきたから今回ももう少しだから、推測です、わかりません。彼女のサポートに足を取られ、大幅な時間遅延がしょうじ、それが誤算だったようにおもいます。

⑧雪渓を終えてからロックガーデン・天沼にいたるまでの天候状況は小屋出発時点と比べて劣悪と感じましたか。(小屋を出る頃に比べて、天気が悪くなっておりましたか?という意味です。)

どこかで急に風雨がつよくなりました。自分はそのまえに隊列から抜け、そのためにあらかじめ前に出ておいてフリースを着ました。雨があり雨宿りもないところでカッパを脱ぐと、肌についているシャツが濡れるのでイヤだったが強引に着ました。それで肌寒さというか汗と風による寒さ冷たさから少しは逃れました。天沼からロックガーデンにかけてに木道があるとおもいますが、そこが一番風が強かったと思います。体とザックにたいする風の圧力で木道から飛び出すことになります。32歳ガイドが(自分も真ん中にいたから)風向きに向いて立ち横に歩けと言っていました。風のつよいときは屈めとも言いました。それでほとんど進めなくなりました。低気圧が通ったのかもしれません。7時30分~10時と思いますが時間については後で述べたい。

⑨北沼に至るまではふらつき、転倒する風と報道されていますが、具体的には、行動後何時間経過した時点でそのような気象条件になったのでしょうか。ときおりふらつく、烈風でバタバタ音を立てる雨具のフードを手で押さえる、風上に顔を向けられない、など、具体的な状況もご教示ください。
(報道記事によりますと、天気がとても悪くなったそうですが、ヒサゴ沼避難小屋を出てから、何時間ぐらいしてから、ものすごい風や雨となったのですか?風や雨は、レインコートのフードを手で抑えないと飛ばされてしまうほどでしたか?)

ザックカバーがめくれあがって困りました。ゴムをきつくしておいたのに、一度は直したが、次からは横に丸めて持つことにしました。大型ザックのカバーはどうもよくないようです、ふくれにふくれバタバタと音を立て取れそうになるといったところです。カッパのフードはゴムを強くして、あごのところに来るベルクロをつければ対応できます。時間ですがピークは8時~9時と思います。低気圧の通過時刻はわかりませんか?トムラウシ分岐が10時30分とされていますが自分は11時~11時30分と思います。小屋から5時間でなく6時間(コースタイムは2時間30分)です、2倍ではなく3倍に近い時間を食ったと思います。そして分岐の下で停滞したのが1時間半とされていますが、2時間と思います。2時間は現場で自分が最初に考えた時間です。出発が1時半でそうすると4時前に先行者がコマドリ沢分岐で110番をいれた事と時間的矛盾が取り除かれます。出発が12時というのではコマドリ沢分岐まで時間がかかりすぎです。(地図では2:05です)

分からない質問には、お答えいただかなくって構いません。
なにとぞ宜しくお願い申し上げます。

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戸田 様

毎度お手数をお掛けいたします。
以下、swaslabさまから戴いている質問の後半部分です。

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⑩北沼までの休憩回数と一回の休憩時間をお知らせください。

天沼かそのさきの日本庭園のあたりかよくわかりませんが、木道があってそこが一番風が強かったとおもいます。そこまでに3回ほど休憩をとりました。1回5分ほどのたち休憩です。休むひまはなっかった。32歳ガイドは日没を心配したのだろうとおもいます。それから一度休憩の指示が出て休もうとしたら大粒の雨ふってきてあわてて出発となりました。(2分)そのあとは一度も休憩の指示は出ていません。32歳ガイドにはケアのしごとがでてきたようです。もう32歳ガイドは隊を率いていくことはやめ、サポートに集中しだしたと思います。
以後休憩するとか、食事を取れとか、フリースを着なさいなどの指示はなくなりました。だれも何も言いません。自分はみんなは食事をきちんととったのだるうか、これが生死の分かれ目になったのではと思っています。今思えばですけれど。自分はカッパのポケットにたくさん非常食を詰め込んでいたのできちんと食べましたが食べないままの人もいたかも知れません。低体温症になれば判断力も低下するそうですから。

⑪北沼で最初に不調を訴えた登山客は列のどのあたりにいましたか。不調や疲労を表現できるタイプでしたか。遠慮するタイプでしたか。(苦痛を我慢してしまうタイプか、大騒ぎをするタイプかということです。)

一番最後です。彼女は最初の日から調子が悪かった人だと思います。だれも皆遠慮しました。ツァーはそういうものです。わがままは言えません。大騒ぎなど誰がするものですか。そんな質問を受けるとは思いませんでした。

⑫最初の行動不能者が発生したあと、パーティ待機の指示は誰が出しましたか。理由は説明されましたか。
(単に体調不良であるとか、頭がだるいとか、具体的に風邪ですとか、低体温症ですとか。)

だからそれは32歳ガイドがしました。添乗員の仕事とおもいますが、吉川さんはすでに低体温症にかかってていたのではとおもいます。32歳ガイドがふれ回ったと思います。理由の説明は一切ありません。みなを動揺させたくなかったとあとで語ったそうです。テレビだとおもいますが。

⑬低体温症との判断はどの時点で誰によりなされましたか。

誰も低体温症と知らなかったと思います。救急隊によって、マスコミの発表によって救助の時にというのが自分の回答です。

⑭低体温症であると判断されたあと具体的な処置はどのようなものだったと観察(推測)されましたか。

低体温症と判断したのではないと思いますが、最初の故障者が列の中ほどにいた38歳ガイドのところへ連れてこられ、彼が看護をすることになりました。これは出発40分前としておきます。サブガイドの仕事として看護があるといいますからそれに従ったのでしょう。彼は背中をさすり、大声で「元気を出せ」と叫んでいました。吉川さんがやってきてテルモスの湯を与えていました。ただそれだけです。もうしませんでした。

⑮報道によれば、戸田さんは遭難と認めて救援要請をしてほしい旨をガイドに伝えた とのことですが、どのガイドに伝えましたか。また、そのときの返答はどういったものでしたか。通信状況はどのようなものでしたか。

自分がどなったときの10分前に、吉川さんのところへ出向き「どうしますか」ときくと、「ようすをみる」とだけこたえました。妙な答えです。自分はもとの位置にもどり10分まちましたが何も動きはありません。その時自分はこのままではみんな死を待つことになると突然思いました。それで遭難と認めてどうしたらよいか指示を出せといったのです。それは隊のみんなに訴えたのです、ガイドのだれに言ったのではありません。だから返答もありません。
自分は携帯をもたなっかたので通信状況は分かりません。持っていたら一方的に110番したと思います。かれらに110ばんを迫らなっかたのはまだ信頼していたからです。ここではできないのだと。4時半に32歳ガイドは会社にメールをいれていたといいます。自分は前トム平へ降りてきてしたのかとおもっていたら、頂上でできると教えてもらいました。そうすると38歳ガイドに依頼する必要はない、つまり依頼の要請はなかったのではと思います。また風雨がつよく通信はできないというひともいますが、出発のころはあまり風雨は感じなかったと思います。ピークは過ぎていたと思われます。なお時間の問題があります、出発が12じでは、コマドリ沢分岐で110番したのが4時と確定しているから4時間もかかったことになり(地図では2時間5分)おかしい。出発は1時半ごろではないか、あの時自分は空腹を覚え時計を見て1時20何分だったと記憶しています。それと待機時間は少なめに見て2時間とおぼえておこおうとしましたが人に説明するたびに少なめになっていったようです。これらはみな仮説ですからきちんと検証をする必要があリます。だから1時過ぎの電波状況が問題となり風雨は問題ないとなるとおもう。32歳ガイドがメールを4時30分にいれているがいやいやながら入れたかんじで探そうとしていなかったと思います。認めたくなかったのではとおもいます。

⑯南沼→前トム平の天候について。どちら方面からの風が強かったですか。また天候に変化はありましたか。

下りでは風のことは忘れました。既におさまりつつあったと思います。

⑰コマドリ沢より急な新道を登り、カムイ天上より泥んこの道を下ったと思いますが、そのときの天候、時間、登山道の状況について概況をご教示ください。

この辺のことが自分にはよくわかりません。①新道へ上るところでビバークを考え場所を探していて長田さんをみつけビバークすると伝えてくれといったら一緒に帰ろうというので歩きだしたが自分はビバークの場所を探していてつながりをぎゃくにかんがえてしまいもとにもどりました。それで1時間のロスとなりました。②それから真っ暗な道を一人、どうも谷道を歩いたようでよくわからない。とにかく黒い筋を歩くようにしていました。障害物は分からないので転ぶだけです。カッパが穴があいたし泥だらけです。道の状況などまったくわかりません。それで向こうから2人がきてそれが斐品さんと長田さんで、自分はもと来た方に戻ろうとしていたところを助かったということです。よくわからない。10時ごろか?天候は風もなく暖かくなっていたと思います。

⑱報道では、松本ガイドは救助を呼ぶために、先を急いでいたとされています。携帯電話のつながるところに空身でとりあえずおりて登り返すといったことはされていましたか。(軽装でいったん下降し、110番連絡した後に、皆がいるところに戻ってきたとか、そういったことがありましたか?という意味です。)

まったくの誤報です。彼の行為が理解できないので作り上げた作り話です。かれのあたまは自分のサバイバルだけと考えれば説明がつきます。かれは北沼の小川で客のサポートに回っていて背を水につけたと聞きました。待機中は自分の前で顔をしかめジッとしていました。彼はサバイバルのため先を急いだのです。曲がり角で10人を確認するようにと言われ、20m下でおーいおーいと叫び、自分がおーいおーいと答えると一目算に下って行ったのです。救援依頼の使命が告げられたというのは自分はその横にいたが聞いていません 。コマドリ沢での110番も偶然によるものでかれが積極的にじぶんの携帯を出して連絡しようとした要素はどこにもない。だから上り返すというのは社長の願望がしゃべらせたフィクションです。かれはコマドリ沢分岐の上の草付きでねていて長田さんが見つけ目の前で電話しなさいといわれ5時に会社にメールを入れたのです。長田さんが自分にいったことです。そこへ自分が通りかかり義務があるという意味のことを言いました。彼は2人が去ってからハイマツ帯にもぐりこみ、翌朝の救援隊を避け最後の行方不明者となりそのご、道の近くに移動して登山客に見つけてもらったのです。救援隊にみつかるのはさけたっかたというわけです。じぶんのすいそくですよ。彼は命をつないだので非難は覚悟のうえとおもいます。

swanslabさんからのご質問は今のところ以上となります。
また追って、前回いただいたご回答に対するご質問も出てくると思います。

また、次の私の質問もよろしくお願いいたします。

A①ヒサゴ沼避難小屋を出るときに、屋外は、低体温症が起こるかもしれない気象状況であるといった認識が、ガイドにあったと思いますか?
また、ツアーの全体を振り返って、ガイドは、ツアー客に対して「低体温症」という言葉を使ったことがありますか?使ったことがある場合、初めて使ったのは何時でしょうか?(例 ツアースタート時、15日初めて倒れた女性が出たとき、16日に倒れた女性が出たとき、さらにそれ以降・・)

32歳ガイドにそんな認識はなかったのでしよう。全員を連れて帰れると思っていたでしょう。かれはその言葉は知らなかったと思います。さいごまで低体温症が原因と知らなかったと思います。

A②戸田様が16日にご着用になっていた雨具のメーカーと商品名を教えてください。また、ほかの御仲間が着ていた雨具はどのようなものでしたか?

モンベルのゴアテックスでひとつ前のタイプと思います。北海道警察が死んだ人の雨具は全部ウィンドブレーカー等防水の弱いもので、生還者は本格的な防水透湿のものだったと発表した。歪曲です。竹内さんはゴアテックスをきていました。

A③また16日の戸田様のウェアは、どのようなものでしたか?

例 
上半身 速乾性の半袖Tシャツ+化繊の長袖シャツ+セーター(ないしフリース)+レインコート
下半身 下着+ズボン+雨具のズボン
このほか、帽子と手袋は着用なさっていましたか?

上半身  モンべルジオライン3d長袖、モンベル薄フリース、雨具
下半身  ブリーフ(廉価品)、ワコールタイツスタビライクス、ズボン、雨具
帽子なしでカッパのフード、手袋なし 反省しています

A④16日の朝は、ガスバーナーなどを使って温かい飲み物(コーヒー、紅茶)などは飲みましたか?16日に戸田様の魔法瓶(テルモス)に入っていたのは、温かい飲み物でしょうか?それとも、冷たい飲み物だったでしょうか?

バーナーで紅茶を作りました。湯はガイドがわかしてくれることになっていた。ただ朝食は夜のうちに作っておくようにというのだ。汁や紅茶などは湯をくれるというのだ。自分は北海道でボンベを買いこんろをつかった。

A⑤(大変失礼ながら・・)もし仮に、戸田様が、もう一度同じ暴風雨を体験するとしたら、今度はどのような装備、ウェアを持参なさいますか?何があったら、もっと楽に切り抜けられたとお考えになりますか?

A⑥ツアーの中には倒れた方とそうでない方がいらっしゃいます。生死を分けたのは端的に言って何であったかと考えますか?(体力、装備、寒さ慣れ?)

今はきちんとカロリーを取っていたかが気になっています。低体温症になると3倍のかろりーがいるそうですから。
防寒はもちろんですが、案外そんなところかもしれません。

A⑦美瑛岳で一パーティの一人と、南沼のテント場付近で単独の男性が一人、時を同じくして、低体温症で倒れてしまいましたが、これは、偶然の一致でしょうか?装備または体力とか、なにか共通する弱点があったのでしょうか?

オフィスコンパスはアミューズのもと社員が自分たちで作った会社で同根の要素を持つといいます。単独行の人もふくめ大雪の夏は北アルプスの秋山だとシラナッカったんだとおもう。低体温症のことも知らなかったと思う。北海道のツァーをやるにははやい。

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もっとお聞きしたいことがあるのですが、このメールではここまでとさせていただきます。
また後日、よろしくお願い申し上げます。

Written by silvaplauna

Juli 31, 2009 um 4:40

Eine Antwort

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  1. silvaplauna様
    質問のとりまとめとご連絡、ならびに議論の場のご提供、ありがとうございます。
    戸田様
    お客さんの自己責任論に違和感を覚えていらっしゃるお気持ち、私も同感です。
    ツアーでは通常、すべてリーダーが判断します。もしかりに、下山口のバスで集合、あとは偶然一緒に歩いてたまたま一緒に泊まったお客にだけご飯を提供したというような計画だったとしたら自己責任かもしれませんが、そんな計画あるはずありません(いや、ごくたまに日帰りツアーで似たセンスのツアーをみかけることがあるのでオドロキですが)。

    以下、ご回答に対するコメントを述べさせていただきます。

    ①ガイドの印象
    多田ガイドがリーダー格のようだった、とのことですね。少なくともルート評価と天気に関しては、彼に決定権があったのではないか、ということですね。
    この問いは、17日、18日時点の新聞報道で松下社長が吉川ガイドがこの山域の経験者だという誤情報を流したあと、報道に訂正もされなかったため、再確認させていただくためにさせていただきました。

    ②前日の天候と体力の消耗
    かなり具体的にご回答いただき、状況がとてもよくわかりました。
    事故パーティは小屋の一階でしたか。一階の場合、女性客は着替えをもっていても人目があり躊躇する可能性がありますね。また到着時のレインウエアについた雨のしずくが床におち、床もびしょ濡れであった可能性があります。

    ③最終判断地
    ご証言からあくまで小屋を最終判断場所と考えていたと推測されます。

    ④防寒具の指示
    どの報道をみても、悪天候のなか行動するにあたって防寒対策の指示がなされていた、との証言が見当たらなかったためご質問させていただきました。
    戸田さんが知る限り、指示はなかったということですね。

    ⑤ガイドの行動中の位置取り
    先頭:多田ガイド 中間:松本ガイド 最後尾:吉川ガイド

    そうすると行動中のパーティの状況は松本ガイドと吉川ガイドが多田ガイドに伝達する仕組みになっていたと思います。

    ⑥雪渓の対処
    第四のガイドがネパール人というのは、これまで報道されていませんでしたね。
    テンバさんでしょうか。テンバさんは雪渓でサポートしたあと小屋に戻ったということですね。質問の趣旨は、着脱に時間がかかり、体力を消耗することもしばしばあるので、体力の消耗に寄与したかどうかの印象をお聞きしたかったのです。ご存知のとおり、悪天候の行動では、歩行中のみならず、休息中(じっとしているとき)でも体力を奪っていくものです。ですから、極力、長く休まないという戦略で行動する必要があります。しかしながら、そのためには、アップダウンの多い脚力を要する行程で休まずに動ける行動能力が問われるわけです。この点は別途質問させていただきました。

    ⑦-1 コルでの天候
    風雨・気温ともに行動に余裕のある天候ということですね。
    ⑦-2 お客さんからの不調の訴えの有無
    これは貴重なご証言です。つまり、最初の故障者(吉川さんと最初にビバークしお亡くなりになった女性)は、行動初日から体調不良のサインを出していたのですね。じつは、こういう場合の対応方法はガイドによってかなりばらつきがあることを私は知っています。私の経験でいうと、添乗員系のガイドに「あともう少しだからがんばりましょう」的な対応をする人が多い印象を持ちます。

    あくまで印象です。個人ガイドツアーの場合、逆にお客さんの体調には神経質なまでにぴりぴりしている傾向があります。子供に自己管理を説教する親のような役割と認識しているガイドも多いです。そういう説教くさいガイドはお客さんが不調を言い出す前に、装備や体調を確認しようとする傾向があります。

    添乗員系・個人ガイド系と書きましたが、これはこれでひとつの論点かと思います。しばしばガイドの立場が複雑であることが論じられておりますが、添乗員をかねたガイドは、サーバント(サービスの奉仕者)としてお客さんの満足度を上げる任務も負っており、なおかつ、事務所では顧客の営業もやっている場合が多いので、あなたはパーティについていける体調ではないので下山しましょうとはなかなかいいにくい。甘やかすインセンティブがどうしても強くなります。

    しかし、アウトソースされた現地ガイドは、世間で言われているほど、保身的ではありません。むしろ初めてお会いしたお客さんとのしがらみがないうえ、顧客へのホスピタリティなどさして気にする必要もないので、自分の任務のひとつを安全管理と強く確信している気がいたします。貧弱な装備や不十分な体力で参加するお客さんに対してきつく説教するガイドもいます。これも程度問題であり、一長一短ですが。

    今回の場合、体調不良のメンバーの管理がきちんとされていたかどうか、改めて問われそうです。

    ⑧天候条件が急変した場所
    >どこかで急に風雨がつよくなりました>
    >天沼からロックガーデンにかけてに木道があるとおもいますが、そこが一番風が強かった>

    それは天沼とロックガーデンの間にあるコルです。
    http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=65422655
    地図でご確認いただけるとお分かりになると思います。
    ここは西側がクワウンナイ川の源流にあたり、けっこう大きな谷ですのでコル付近は風の通り道となっています。実はクワウンナイ川自体も上級者向け登山ルートのひとつとして知られており、私も何度か経験がありますが、クワウンナイ川縦走ルートでは、この木道付近で往復登頂するか、ヒサゴ沼に直行するかの判断をします。つまり、想定外の天候など緊急時に判断地を設けるとすればここです。

    ⑨悪天候時のパーティの状況

    風速20mというのをリアルに表現するのはとても大切と考えています。
    >風のつよいときは屈めとも言いました。それでほとんど進めなくなりました>といったご証言もあわせますと、少なくとも天沼より先のルートでは行動可能な天気とはとてもいいがたかったと推察されます。

    これをお聞きした趣旨は、しばしば山岳会等でよく議論されることですが、風速や視界何mといういかにも客観的な基準は、実は計測者の主観によってばらつきがあるため、もっと具体的な目印を共有して判断材料にしようということがいわれます。たとえば行動できる風の基準として、ザックが風で煽られる、フードやザックカバーが外れないか気になり気が散って行動に専念できない、などといった指標です。

    今後、ツアー会社にお願いしたいことがあるとすれば、具体的な天気基準の共有ですね。ウェブサイトでもハンドブックなり冊子でもいくらでも情報共有手段はあるわけで、この会社はこういう行動準則をもっていると公示することで、お客さんも予測が立てやすくなります。

    しかし、では、登山者が北海道の山をなめていたと結論付けていいかは大変疑問です。

    なぜなら、ツアー会社がどんなに情報提供したとしても、それはあくまで消費者がツアー選択する際の判断の一助にはなりえても、それが事故の際の言い訳になりえるわけではないのはいうまでもないからです。会社ないしガイドと消費者との間では、情報量と分析力・技術・判断力すべてにおいて対等ではないからです。つまり、会社は一部のお客さんがうっかり間違えて自分の能力を超えた過酷なツアーに申し込んでしまった場合でも、参加を認めるかどうかの判断を含めて、適切に安全に配慮する義務があります。あるいは、途中で体調を崩してしまい、自分自身で適切な自己管理をしたいのは山々だか、自分の不調のためにパーティ全体に迷惑がかかることを思うと、誰にも不調を言い出せないといった状況を想像してみればわかるように、組織登山において、登山者の自己責任を云々する批判はあまりにも不合理です。それは戸田さんもお感じのとおり、自己責任とはいいがたいのです。リーダーおよびツアー会社の責任というべきなのですね。

    swanslab

    Juli 31, 2009 um 10:37


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