民主党の小沢一郎代表代行が東京12区への国替えを見送り、同党の選挙区戦略がほぼ固まった。東京都議選圧勝で東京へのてこ入れの必要がなくなり、総選挙後に公明党との協力を探る布石を打つ余裕が生まれたようだ。民主党内での小沢氏の「完全復権」も視野に入り始めている。
「おう! がんばれよ」
21日、衆院解散の直後に党本部で行われた公認証書授与。小沢氏は鳩山代表らとともに、前職議員や元職・新顔の候補者一人ひとりと握手を交わし、笑顔で激励した。
同日の常任幹事会では、自らの岩手4区公認を見送った。公明党の太田代表が立候補する東京12区や、福田康夫前首相と対決する群馬4区の擁立作業がなお残るため、これらを片づけたうえで正式決定する見通しだ。
一方、小沢氏の国替えを求めてきた新党日本代表の田中康夫参院議員は21日、国会内で記者団に兵庫8区への「くら替え」出馬を正式表明。「(国替えは)小沢さんが判断なさること」と見送りを容認する考えを示した。
小沢氏は首都圏の戦いが政権交代のカギとみて、東京12区への「国替え」をちらつかせてきた。政権交代が困難な情勢になれば、このカードを切って劣勢を跳ね返すシナリオだった。太田氏との直接対決をにおわせることで、公明党を揺さぶる材料にした。
そんな国替えカードをここで手放した理由は「代表辞任で意味が薄れた」(幹部)だけではない。12日の都議選圧勝で、新たなカンフル効果がなくても政権交代はできると確信したからだ。小沢氏は17日に会食した東京12区総支部内の地方議員に「自分でなくても勝てる」と語った。
関係者によると、小沢氏は将来の公明党との連携も口にしたという。土壇場で公明党との決定的な対決を回避して公明党にメッセージを送ることで、自民党からの決別を促す狙いとみられる。
小沢氏は07年参院選以降、自民党地盤の切り崩しを図ってきた。代表辞任後も意識的に自民党の強い農漁村を回っている。「小沢グループの拡大が党勢拡張にもつながる」(側近議員)として100人規模の直系候補をてこ入れしており、党内基盤も着々と固めている。(松田京平)