2008年07月20日
「迷い人」 氏への回答 3
12. Posted by 迷い人 2009年07月01日 23:47
りずさんがどうのこうのというよりあなたの
スタンスを指して言っているんですけどね。
物凄く乱暴に言えば、あなたのスタンスってのは
例えるなら
付き合っている女に結婚をせまられて、もとから
結婚しないと決めているにもかかわらず
「いまはその時期じゃない、勿論良い材料が出て
きたら結婚したいと思っているよ」
などといいながら、つきあっている姿が浮びます。
意志はどうなんだ?と問われて、元々決まっている
にもかかわらず中立派を装うというのは、こう言う
ハッキリしない男の態度そのものでしょう。
無党派層が云々ですが、ブログのタイトルといい
内容といい、やっている事といい、立場を留保して
いるなんて、言えるものじゃあないでしょう。
「規制派と反反対派とは違う」なんて言い出し
そうですが、それが嘘だと言っているのです。
貴方は計算機のようなものですが、何をやっても
最後に「×ゼロ」をやる計算機のようなものです。
おそらくあなたの事だ、「説得力ある数字を入れたら
ちゃんと計算をしますよ」なんていうかも知れない。
しかし、元から最後に×ゼロとプログラムされている
計算機に熱心に数字を打ち込む馬鹿もいないでしょう。
自覚がないのか、いや、おそらく確信ですね。
何人かの反対派の人が、空しくも貴方を説得或いは
論破しようとしたでしょう。しかしそれは元から
無理なのです。
それは何を言っても、最後に×ゼロである計算機に
数字を打ち込むようなものです。
どんな人が何を言おうと、貴方は絶対に反対派には
ならないと私は思っていますし、おそらく無自覚に
貴方もそうでしょう。それこそ、反対派にさせる
なら物理的に貴方を拘束して転向を迫るように
拷問でもするしか無いでしょうな。
もっとも、戦前ならいざしらず、あなたの嫌いな
戦後民主主義ではそれが否定されているのでやりま
せんけどね。
客観科学的に見れば人間が減れば減るほど地球に
いいらしいですから、一人でも人間が減るのは
良い事です。「ですから、あなた死んでください」
なんていわれても、「ちょっとまて冗談じゃない」
というのが普通の人間でしょう。でもその人の
命が貴重かどうかを決めるのは、論理じゃなくて
感情なんですね。戦後民主主義に疑問をもつなんて
いう考えも、それが正しいかどうかをあなたの中で
決めるのも所詮感情なんですよ。
あなたの主張には事実誤認が含まれています。
自慢にも何もなりはしませんが、過去の議論で私が間違えた事は
数知れずあります。
議論相手から指摘された事もあれば、あとで自分で気付いた事もあります。
前者であればその場で誤りを認めますし、後者であれば当ブログで
引用する際に訂正線を引いてその旨記述しています。
その最大のものは 「児ポ法を社会的法益で正当化する」 でしょう。
もっともこれはその後、「児ポ法において社会的法益と個人的法益は
厳密に区別できない」 という考え方に変わりましたが、
最初のうちは単なる無知で間違いを犯していたことに変わりはありません。
私の主張全てに目を通してから批判しろ、なんて無茶を
言うつもりはありませんが、せめてこれを機に認識を
改めていただきたいと思います。
無党派層が云々ですが、ブログのタイトルといい 内容といい、やっている事といい、立場を留保して いるなんて、言えるものじゃあないでしょう。 |
ブログのタイトルに関しては、規制反対派を挑発する意味で
こういうものを選択しました。
そのほうが議論が白熱すると考えたからです。
これは、積極的な賛成派ではないという立場と何ら矛盾しません。
また、規制推進派にも与しないという立場は何度も表明しています。
ブログデザインにしても、ホラー趣味・露悪趣味の厨二病的発現ではありますが、
規制推進派に代表される社会良識とは一線を引いているという
意思表明でもあります。
私が本気で規制に賛成するなら、こんな俗悪なタイトルやデザインを
選択するはずがありません。
この運動の成否は、一般大衆の良識に如何に訴えかけるか、
ということだと理解しているからです。
「規制派と反反対派とは違う」なんて言い出し そうですが、それが嘘だと言っているのです。 |
私がそんな嘘をついて、何のメリットがあるのか説明してください。
貴方は計算機のようなものですが、何をやっても |
最後に「×ゼロ」をやる計算機のようなものです。
何でもかんでもゼロを掛けるというのも事実誤認です。
私が反対派の主張を正しいと認めたことだって無くはないですよ。
そんなに多くもないですけどね。
規制反対派の主張には、最初からゼロが掛かっているという
可能性も考慮すべきですね。
しかし、元から最後に×ゼロとプログラムされている 計算機に熱心に数字を打ち込む馬鹿もいないでしょう。 |
ここにいますよ。規制反対派の頑迷固陋さは良く承知してますが、
私は根気良く数字を打ち込み続けています。
そもそも、議論なんて平行線に終わっても良いんですよ。
その過程でさまざまな事実の照会や確認による知識の共有が図られ、
論理自体の妥当性が振るいにかけられ、議論者自身の立場が
より明確に自覚できる。他の人が目にすることで
その人たちの判断基準の参考にもなる。
最初から×ゼロと打ち込むことに論理の破綻があるなら、
それをきちんと説明すれば良い。
そんな事をめんどくさがってて、なんで議論なんかできますか。
どんな人が何を言おうと、貴方は絶対に反対派には ならないと私は思っていますし、おそらく無自覚に 貴方もそうでしょう。 |
今の反対派のレベルからすれば、私が説得を全面的に
受け入れることは無いでしょう
それこそ、反対派にさせる なら物理的に貴方を拘束して転向を迫るように 拷問でもするしか無いでしょうな。 もっとも、戦前ならいざしらず、あなたの嫌いな 戦後民主主義ではそれが否定されているのでやりま せんけどね。 |
拷問までせずとも、様々な圧力を掛けて主張を圧殺することは
いくらでも可能ですよ。
戦後民主主義の要素のひとつに、「話し合い至上主義」
というのがあります。
これは、「人間は話し合えば理解しあえる」 という前提に基づいていますが、
何を言われても主張を変えなかったり、最初から耳を傾ける気がない
人間に対しては、まっとうな人間ではない、という評価に直結します。
まっとうな人間ではないのだから、どんな手段を使ってでも
発言を封じていいという話になってしまいます。
戦後民主主義は、まさしくそれを正当化してきたのです。
朝日新聞などの進歩的マスコミが、閣僚の右翼的発言に対して
外圧を呼び込んでまで叩きまくり、辞任に追いこんだのが好例です。
規制反対派も同じようなことをやっているではありませんか。
客観科学的に見れば人間が減れば減るほど地球に いいらしいですから、一人でも人間が減るのは 良い事です。「ですから、あなた死んでください」 なんていわれても、「ちょっとまて冗談じゃない」 というのが普通の人間でしょう。 |
どうにも例えがまずいですね。
●死ぬのが 「わたし」 でもなく 「彼、彼女」 でもない
「あなた」 である必要があるとする客観的根拠は?
●人口抑制措置などの穏便な方法は他にないのか?
●悪影響が表面化する時間的スパンは?また、具体的にどのようなものか?
それが1億年くらい先なら、当面は放置するというのは合理的で現実的。
それらをすっ飛ばして 「あなた死んでください」 では、
説得力が無いのは当然です。
「君が死なないと、君を含めた全人類が近日中に死滅する」
という、客観的根拠に基づいた理由が提示されたなら、
「死ぬのはいやだけどしょうがないか」 程度に忌避観は後退するでしょうね。
戦後民主主義に疑問をもつなんて いう考えも、それが正しいかどうかをあなたの中で 決めるのも所詮感情なんですよ。 |
私がいつ感情論を否定しましたか?
「感情論でもって他人の感情論を批判する」 という規制反対派の
ダブルスタンダードは批判してますが。
それはそれとして、りず氏に話を戻しますと、
「開かれた議論を望んでいない」
「自分が間違っているという可能性に無頓着」
「身内で愚痴を言い合いたいだけ」
「論理は度外視して、感情だけで規制反対を言いながら、
推進派の感情論を批判する」
という結論に何ら瑕疵はないと思われますが、いかがですか?
(2009/7/20 entry)