2009年07月16日

「最後のパレード」とみのもんた

 

 

2年ほど前のことでしょうか。みのもんた氏が朝の番組でこのような話をされたことがあります。

 

「昔は柿を(所有者である)家の人は上の方から取った。なぜなら・・・下の方の(誰でも手が届く)柿は、貧しい人、旅人のために残しておいたのです。今の人に欠けているのはこのような(人を思いやる)気持ちではないでしょうか。」

 

「最後のパレード」のエピソードを柿の果実と考えてみると「最後のパレード」問題の本質的論点がはっきりと見えてきます。

 

「最後のパレード」は、25年間のディズニーランドで起こった(今も日常的に起こっている)感動のエピソード(秘話、実話、美談)を集めて、著者である私がそのエピソードにコメントを加え、一冊の著作物にしたものです。

 

つまり、筆者である私が、問題となった一つひとつのエピソードらを「作」したことはありません。本にも明記されているように「集めてきたもの」なのです。このことは誤解なきようお願い申し上げます。

 

それでは、この集めた一つひとつのディズニーランドのエピソードは、一体誰のものなのでしょうか。

 

ディズニーランドで生みだされた感動的なエピソードを柿の果実に例えてみます。ディズニーランドの一本の柿の木には、感動のエピソードである果実が数え切れないほど実を結んでいます。このような感動の「感動の実がなる果樹」はたくさん見受けられます。

 

私は、長年に渡り東京ディズニーランドのキャストを務めてきました。ウォルト・ディズニーの分身としてディズニーランドの価値を高める役目のスーパーバイザーも務めました。ウォルト・ディズニーの哲学や考え方は誰よりも理解しているつもりです。

 

その私は、これらの「感動の実がなる果樹」がはえているのは、「ディズニーの森」であると考えています。「ディズニーの森」でウォルト・ディズニーの教えを伝承してきた私は、この森で生まれる(経済効果以外の)人々を幸福にする恵みは、「すべてのディズニー」のものであると教えられてきました。今でもそう信じています。

 

私は「盗人」と疑われました。「最後のパレード」に掲載された一つのエピソードが、「ヨミウリの森」に生えていた木の果実であるエピソードによく似ているという理由からだけで、「泥棒野郎」と、日本中に印象づけられたのです。

 

私は、「ヨミウリの森」とは全く接点を持ちません。元々は巨人の大ファンで後楽園球場で長嶋の引退試合に涙した人間ですが、江川問題以来、ヨミウリが大嫌いになり、以後、読売新聞は一回たりとも読んでいません。

 

盗作疑惑報道の前日の夜に「ゲリラ取材」にやってきた読売の記者にも同じことを言いました。しかしながら読売新聞の記者は私とヨミウリに接点がないことを知りながら、「満塁ホームラン」狙いの大誤報記事を放ちました。

 

繰り返しますが、私はエピソードを創作した人間ではありません。読売新聞との間には全く接点がなく、掲載されたオリジナルを私が「盗作」した事実は100%ありません。天地神明に誓って申し上げます。

 

このように、ヨミウリは、私が「ヨミウリの森」には全く近づいたこともないのに、エピソードという果実が似ているというだけで、人を「悪者扱い」しました。私には冤罪被害者の気持ちが痛いほど分かります。

 

話を「ディズニーの森」に戻しましょう。ウォルト・ディズニーのDNAを受け継ぐ私は、「ディズニーの森」で生みだされる人を幸福にする果実は、「すべてのディズニー」のものと確信しています。

 

半世紀以上をかけて築き上げてきた壮大なる「ディズニーの森」は、ディズニーで働いた人や訪れた人々らの汗と血と涙というミネラル一杯の大地に存在します。一本一本の果樹が、先人が積み上げたその養分を力強く吸い上げ、ミネラル一杯の実を結んだのが、感動のエピソードという果実なのです。

 

ディズニーランドを運営するオリエンタルランドは、この「ディズニーの森」の産物は「すべてのディズニー」のものではなく、オリエンタルランドという一企業のものであると主張しているようです。

 

天国のウォルト・ディズニーは嘆き、悲しんでいるに違いありません。

 

著作権侵害の侵害とは相手の権利を侵し、損害を与えるという意味です。私はオリエンタルランドに損害を与える意志も、損害を与えたという認識もありませんでした。あるのは、「ディズニーランドはみんなのもの、果実である感動のエピソードを分かち合いたい」という気持ちだけでした。

 

先日も、山菜採りは犯罪であると書きました。しかしながら森や山は、元々は所有者個人が造ったものではありません。宮崎アニメの「もののけ姫」ではありませんが、「神々しいものである」と私は考えています。

 

「最後のパレード」に著したように人間の心や意志も神秘に満ちているといっても過言ではありません。すべての出来事を人間(役人)が決めた法律という「ものさし」で計った時、冒頭に記したようにみのもんた氏が説く、何か大切なもの(良心)が「規定違反」としてはじかれるとともに、すべての権利が強者のものになってしまう。私にはそんな予感がします。

 

ここが、「最後のパレード」問題の核心的論点の一つなのです。民主党の鳩山代表が主張する「友愛社会」とは、まさにディズニーの世界同様に、「愛、思いやり、分かち合い」という、宗教や思想を超えて誰もが受け入れるクリスマスの精神そのものなのです。

 

今後、「最後のパレード」問題が、ウォルト・ディズニーや「友愛社会」を目指すすべての人々の良心と離れて解釈されることのないよう切望します。

 

最後になりますが、1955年にカリフォルニアにディズニーランドがオープンした時のウォルト・ディズニーのスピーチを掲載します。

 

今日ここにお集まりのすべての皆さま、幸せの国へようこそ。ディズニーランドは今日から皆さまのものです。私は、ディズニーランドが幸福を感じてもらえる場所、大人も子供も、ともに生命の驚異や冒険を体験し、楽しい思い出を作ってもらえるような場所であってほしいと願っています。ここで、ある人は過ぎ去った日々への郷愁にふけり、若者は来るべき未来への挑戦に思いをはせるかもしれません。

 

私たちは、王様や女王様をもてなすことが好きです。でも、ここでは、すべての人がVIPなのです。                    ウォルト・ディズニー

  

東京ディズニーランドテーマ曲 -Tokyo Disneyland Is Your Land

http://www.youtube.com/watch?v=-JMVwRVqndw