2009年07月14日

NEW! オヤジのコラム<頑張れないけどいいでしょう>のAnser編

今日はいったい何が
どうしちゃったんだろう
胸の中のどこかが
スッキリしない
朝から頭の中も
重たい感じで
動きたくないんだから
仕方ない

こんな気持ち自分しか
分かりはしない
説明なんて無意味な
行動だから
誰かを想ってみようと
考えたけど
恋するウキウキには
ほど遠い

追いかけすぎる事は
いけないんだね
この頃ちょっとだけ
悲しくなり始め
君に会えるだけで
幸せなはずさ
自分のことを嫌いに
なっちゃいけないよね

もっともっと素敵に
いられるはずさ
眩しい程じゃなくても
いいじゃない
気持ちをなくしてしまった
わけじゃない
掴めそうで掴めない
戸惑ってしまう

でも
頑張らないけどいいでしょう
私なりってことでいいでしょう
頑張らなくてもいいでしょう
私なりのペースでもいいでしょう

雨の中を歩けば
気がつくこともある
振り返ってみると
誰もいないんだ
昔、人生に躓いた
夜があって
多くの失敗を
繰り返してました

はしゃいでいた季節は
真実だったし
風の行方なんて
分からなかったし
あの日皆が求めたものは
何だったんだろう
僕らの行く先を
誰が知ってたろう

本当の心の中が
言えない気がする
言える時が来ても
言わない気がする
きっとこの頃何かを皆
気にしてるんだね
誰かの顔の色も
気にかかるんだね

そこよりもっともっと
それよりももっと
心が痛くならない
辛くないところ
例えば求める愛が
遠くても近くても
進んでいくだけが
自分と思ってた

でも
頑張らないけどいいでしょう
私なりってことでいいでしょう
頑張らなくてもいいでしょう
私なりのペースでもいいでしょう

心が歩くままでいいでしょう
そうでない私でもいいでしょう
頑張れないけどいいでしょう
私なりってことでいいでしょう


この歌は最近、<人生最後の全国ツアー>を前に吉田拓郎が発売したアルバム<午前中に…>に収録されている代表曲<ガンバラナイけどいいでしょう>です。
吉田拓郎は1946年生まれなので今年63歳のはずです。


少し脱線しますけど、数年前、自分が好きで聴いていたポルノグラフィティのアルバムやDVDをオヤジにみんなトレーニング用のダルベルでボロボロにされました。最後には自分でDVDを割るようにオヤジから命令されました。
非常に悔しかったです。中には大切な友人やガールフレンドや夢現舎で世話になった元スタッフの人にもらったものもあったからです。音楽だけじゃなくて自分の人間関係や何もかもオヤジに破壊されたようでとてもオヤジを憎く感じました。
オヤジはいいました。
「こんな腐った歌謡曲をロックだなんて勘違いして聴いてたら一生本物がわからねえまま終わっちまんうんだぞ。音楽を聴くならば真剣に音楽に向き合え!本だって映画だって、それに空手だってなんでもそうだ。本物を知らねえヤツは偽物を本物と勘違いして薄っぺらな人生を送るんだ。ロックならば、ちゃんとアメリカ、ミシシッピデルタの綿花畑で鎖に繋がれながら酷使されたアフリカンの叫びから生まれたブルースを聴いて、白人に迎合してるってアフリカンに軽蔑されながらロックンロールを歌ったチャックベリーを聴いて、そのブルースがロックンロールとともに大西洋を渡ってジェフベックやジミーペイジやロッドスチュワートたちがブリティッシュロックを確立したんだ。そういう歴史の流れを学んでロックの奥深さや本物のロックを聴きこんだ後で、フーンって余裕でポルノグラフィティだろうがB'zだろうがオモチャ意識で聴くならばいい」
それから自分はオヤジからロックの系譜やフォークソングの道程を教えられ、洋楽を中心に山ほど音楽を聴かされてきました。




吉田拓郎を聴く前には、かなり長い間、オールディズといわれる1950ー60年代のカレッジフォークからボブディランやキャロルキング、サイモン&ガーファンクル、ブルーススプリングスティーンなど洋楽を徹底的に聴かされ、次に日本の岡林信康とか高田渡、友川かずき、加川良、高石ともやなどのプロテスタントフォークソングをウンザリするほど聴きました。
でも、そんな半ば強制されながら聴いてきたロックやフォークソングが今になると、非常に肯定的というか心地よい音楽だと思うと同時に、本物の音楽にはオヤジがよくいう<魂>があるのが分かった気がします。


話しは吉田拓郎の<ガンバラナイけどいいでしょう>に戻ります。オヤジに教えられ、いろんな資料を読んでみると、吉田拓郎という人が非常に素晴らしく時代の先端を走ってきたミュージシャンだと分かりました。
1972年前後にアマかプロかわからないまま衝撃のデビューをして直ぐに結婚したけど当時アイドルだった浅田美代子と付き合い出して77年に結婚、マスコミからは批判され、年がら年中暴力事件を起こしてますます批判されながらも人気は衰えず、森進一とかキャンディーズなど演歌や歌謡曲の歌手にも自分の歌を提供したりいつも積極的に音楽活動をしてきました。
75年には日本初の個人レーベル<フオーライフレコード>を設立したり、いままでは<地方巡業>と呼ばれてた地方興行を地元の興行師に頼らないで独自にやるアメリカ式の<全国ツアー>を始めたのも吉田拓郎が元祖らしいです。アメリカのウッドストックで一躍世界に知られた野外コンサートも吉田拓郎が73年に初めて大々的にやって75年のつま恋コンサートは伝説になりました。
フォークソングの時代が終わってニューミュージックの時代に入っても吉田拓郎の存在感は変わらず大きくて、86年には美人女優の森下愛子と再婚して、それまで嫌いだったテレビにも出るようになって96年にはキンキキッズののレギュラーになりました。
吉田拓郎はテレビに迎合さたなんて批判する声もあったけど、結局その行動がその後のフォークソング再ブームにつながったと思うし、奥さんのアドバイスを子供みたいに聞く恐妻家の吉田拓郎ってイメージが自分は好きです。
2000年に入るとさすがに年齢も50いくつか過ぎて、いままでのエネルギーやパワーも衰えて、体にもガタがきて03年には肺癌で入院し、06年のつま恋は大成功させたけど、翌年の全国ツアー中に体調不良で中止になり、その後はしばらく鬱に悩まされたとオヤジはいってました。
何をいいたいかというと、吉田拓郎は50歳を過ぎてもがんばって、病気と戦いながらいくつもの名曲を残したし、いま60歳を軽く過ぎて、やっと<ガンバラナイけどいいでしょう>と歌ってるんだ!ということなんです。
がんばってきた人が歌うべき歌であって、いままでがんばってこなかった人が主張するような軽い歌じゃないと自分は思います。

そういえば最近、オヤジは泉谷しげるの<なぜこんな時代に…>がいいといってもいます。

何故、こんな時代に頑張れないのか
何故、こんな時代に頑張らないのか

この歌は吉田拓郎より2歳下の泉谷しげる(現在61歳)が93年の45歳の時に発表したもので2000年くらいまでコンサートでは必ず歌っていたとオヤジがいってました。けど最近は歌わないとも…。
「泉谷も正直な人なんだ」
なんてオヤジはいいます。


40歳とか50歳、まして60歳という年齢は自分には想像もつかないはるかに遠い世界です。でも自分も必ず40歳になり60歳になるときがくるのです。
自分は50歳になったときにオヤジのように何かを残せるだろうか?
50歳になっても、オヤジみたいに女性を好きになったり街でケンカしたり、お金を稼いだりできるだろうか?
それを考えると永ちゃんはたしかに天才かもしれないけど、吉田拓郎も泉谷しげるも、それにオヤジもスゴイと思います。スゴイ生き方をしてきたから、<ガンバレナイけどいいでしょう>と堂々と歌えるのだと思います。

(終わり)




gokuakunin15mei at 23:57 │この記事をクリップ!オヤジと自分