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民族情報学・メディア文化論・コンピュータ民族学・オーストラリア研究の久保正敏教授

オーストラリアのアボリジニが住むコミュニティ、アーネムランドで、会計処理をコンピュータ化しようと、コンピュータに詳しい久保先生が駆り出された。そこで、アボリジニ独特の伝統的な学習法があることを知り、興味津々。

*採取狩猟社会には、元々文字がないので、文字から情報を得るのではなく、基本的にイメージとして物事を捉えるのが一つの特徴。例えば、車の運転なら、他の人が運転しているところを見て、「右側に岩があるので、それを避けるために、左にハンドルを少しまわすのかぁ。」「左に曲がるためには、左にハンドルをいっぱいまわすのかぁ。」という感じ。

オーストラリア大陸はとにかく広い。オーストラリアの人はそれを「距離の暴虐」と呼ぶ。それを克服するために鉄道・ロードトレイン・フライングドクターサービスなどが発展してきた。

イギリスからの入植者達は、最初、気候が良く住みやすい(シドニーの辺り)所に住んでいたが、そこからだと船便でしか連絡手段がない。何とか本国と早く連絡が取れるようになりたいと考え、(19世紀)海底電信が発達し、ジャワ島の辺りまで引かれていたのに着眼!オーストラリア大陸の真ん中を突っ切って、連絡線を通したい、丁度ゴールドラッシュも重なって、どんどん、奥地(僻地)へ入っていった。探検隊が入り、電柱を立て、ブッシュファイヤーから電柱を守るために、周りの木を刈り、それが道となり、ラクダの隊列(キャメルトレイン)で物資を運んだ。→これが、道路、電信、鉄道建設へと繋がっていった。

中央部は砂漠地帯なので、ラクダをパキスタンやアフガニスタンから輸入した。

シドニーからダーウィンまで、鉄道を引きたいという思いは100年も前からあったが、経済的なことや技術的なことで立ち消えになっていたが、1990年代、ノーザンテリトリー州の人が、アジアに目を向けたいと建設を進め、ようやく2004年に開通。列車が走るまでの間は、「ロード・トレイン」(長〜いトレーラー)が活躍した。

フライングドクターサービスは、オーストラリアが発祥。
住居が点在しているアボリジニのために、(もちろん、アボリジニ以外の人も利用)考え出された。
第一次世界大戦後、戦争帰りのパイロットが立ち上げたのは、カンタス航空。そこと、キリスト教団のジョン・フリンさんが協力して作った制度。
(すごいのが、すべて寄付金だけでまかなわれている。)この偉業をたたえて、オーストラリアの20$紙幣には、ジョン・フリンさん、当初使われた飛行機、無線電信を送る時に使われたペダル式の発電機が載っている。

一時は、歌謡曲の研究もなさっていた久保先生。
「僕は、気が多いから・・・・・」
研究したいことがいっぱいあるそうです。
だからこそ、多方面の研究に着手できるんですね。

今日も、とっても面白いお話でした

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