2009.07.08
【ファイト!!】力なき正義は無能なり=ブログのメインテーマ・コラム
ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ
暗い水の流れに打たれながら魚たち昇ってゆく
光っているのは傷ついて剥がれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ流れ落ちてしまえば楽なのにね
痩せこけてそんなに痩せこけて魚たち昇ってゆく
勝つか負けるかそれは分からない
それでもとにかく闘いの出場通知を抱きしめてアイツは海になりました
ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ
あの魚たちの群れキラキラと海のなかの国境を越えていく
諦めという名の鎖を身を捩って解いていく…
中島みゆきと吉田拓郎の合作、「ファイト!」という唄の歌詞である。
この唄を聴いて私は幾度、涙を流したか分からない。実際の歌詞はもっと長い。悔しい、辛い、悲しい少年や少女の思いが、それぞれのシチュエーションで綴られている。私も歌詞に出てくる彼らのなかの1人だった…。
悔しいから反抗した。
辛いから泣いた。
悲しいから闘った。
「闘う」ということがどういう意味か? 私は自らの体験から学んだのだ。本来なら、そんなもの学ぶ必要はない。学びたくもないことだ。しかし、生き抜くためには闘うしかなかった。
そんな私を過去、多くの人間たちが嘲笑ってきた。
「ヤクザの息子が、チョーセンに何が出来るよ! 悔しかったら一人前に学校出て人並み以上に稼いでみな。どうせチンピラになるのがせいぜいだよ」
「チビが、かかってこいよ、チビの癖に生意気に! 柔道だろうがプロレスだろうがやってこいよ。いつでもフクロにしてやるわ」
「口だけ達者でとうとう逃げ出した。アイツはそうやっていつも調子いいこといって都合が悪くなると逃げ出すんだよ」
「ペンは暴力にもなる。けどオマエのペンなんか簡単に折ってやる。ペンでさえ握れないようにしてやるよ。生意気いうのは100年早いんだよ」
いまでも私を嘲笑うヤツらは絶えない。
だが、昔と違っているのは、誰も直接私の前で笑わないし、愚弄もしないということだ。笑うヤツらはいつも姿を隠し、必死になって見えないところから引きつったように笑うだけである。
そういうのを世間では「負け犬の遠吠え」と呼ぶ。
私は逃げも隠れもしない。
東京豊島区池袋の夢現舎が私の本陣だ。私を笑いたければ、悪口叩きたいならば、ケンカを売りたいならば夢現舎にくればいい。
「ファイト!」は真実を歌っている。
闘う人間の姿を、闘えない弱虫が笑うのだ。心のなかは歪んだ劣等感に溢れている。捻れたプライドにしがみつくことしか出来ない人間が自身の惨めさを隠そうと無我夢中に、闘う人間を笑うのだ。それも想像を絶するほど陰湿に、そして陰険に…。
しかし、闘う人間にとってはそんなもの痛くも痒くもない。なにせ負け犬の遠吠えだ。逆に、負け犬は闘う者から嘲笑を浴びることを知っているから、自らの卑屈さを知っているから尚更ヤツらはムキになって闘う者を笑う。
私は差別と偏見と蔑視の視線を大人たちから浴びながら今日まで闘い続けてきた。それだけは胸を張って断言出来る。
不良、少年犯罪者というレッテルを貼られた私は、T県トップの進学校に進み早稲田大学に入った。誰か悔しかったら早稲田大学に入ってみたらええ! 死ぬ気で受験勉強してみいや。ただのう、三瓶啓二や東孝が通った「夜学」は早稲田とはいわんよ。夜学は早稲田の盲腸じゃけえ、近々廃学が決定しとるんよ、念のため。
柔道も中途半端、極真空手は末席の末席のまた片隅を汚しただけの男に過ぎません。でも、私を弱者呼ばわりしてバカにするならば、とりあえず極真会館(松井派か極真館)の黒帯を取ってから吠えろや! いつでも待ってますけえ。
編集者だ、物書きといってもまだまだ出版界では「ハキダメのような格闘技界の業界人」(ちなみに私は俗に呼ばれる「格闘技界」と「格技・武道界」は別物と捉えています)としか見なされていない半端者です。物書きとしてさえ認められていない未熟者です。
けど、そんな私を笑うならば1冊でもいいから本を出版してからいえや。それも山田英司や家高康彦のように初版2000部なんちゅうのはメディア、マスコミとはいわんけえ。それはミニコミというんじゃ。小島は1回の増刷だけでもそれ以上を刷りますけん。
夢現舎、夢現舎といってもちっちゃなカスのような会社です。スタッフもせいぜい10人程度に過ぎません。デカい会社が本気になって潰そうと思えば簡単に跡形もなく消えてしまいそうな編集制作会社です。でも、誰もそれは出来ません。私たちは絶対に「筋」だけは通します。道理を無視して筋を違える相手には刺し違えても引きません。
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ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ
暗い水の流れに打たれながら魚たち昇ってゆく
光っているのは傷ついて剥がれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ流れ落ちてしまえば楽なのにね
痩せこけてそんなに痩せこけて魚たち昇ってゆく
勝つか負けるかそれは分からない
それでもとにかく闘いの出場通知を抱きしめてアイツは海になりました
ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ
あの魚たちの群れキラキラと海のなかの国境を越えていく
諦めという名の鎖を身を捩って解いていく…
中島みゆきと吉田拓郎の合作、「ファイト!」という唄の歌詞である。
この唄を聴いて私は幾度、涙を流したか分からない。実際の歌詞はもっと長い。悔しい、辛い、悲しい少年や少女の思いが、それぞれのシチュエーションで綴られている。私も歌詞に出てくる彼らのなかの1人だった…。
悔しいから反抗した。
辛いから泣いた。
悲しいから闘った。
「闘う」ということがどういう意味か? 私は自らの体験から学んだのだ。本来なら、そんなもの学ぶ必要はない。学びたくもないことだ。しかし、生き抜くためには闘うしかなかった。
そんな私を過去、多くの人間たちが嘲笑ってきた。
「ヤクザの息子が、チョーセンに何が出来るよ! 悔しかったら一人前に学校出て人並み以上に稼いでみな。どうせチンピラになるのがせいぜいだよ」
「チビが、かかってこいよ、チビの癖に生意気に! 柔道だろうがプロレスだろうがやってこいよ。いつでもフクロにしてやるわ」
「口だけ達者でとうとう逃げ出した。アイツはそうやっていつも調子いいこといって都合が悪くなると逃げ出すんだよ」
「ペンは暴力にもなる。けどオマエのペンなんか簡単に折ってやる。ペンでさえ握れないようにしてやるよ。生意気いうのは100年早いんだよ」
いまでも私を嘲笑うヤツらは絶えない。
だが、昔と違っているのは、誰も直接私の前で笑わないし、愚弄もしないということだ。笑うヤツらはいつも姿を隠し、必死になって見えないところから引きつったように笑うだけである。
そういうのを世間では「負け犬の遠吠え」と呼ぶ。
私は逃げも隠れもしない。
東京豊島区池袋の夢現舎が私の本陣だ。私を笑いたければ、悪口叩きたいならば、ケンカを売りたいならば夢現舎にくればいい。
「ファイト!」は真実を歌っている。
闘う人間の姿を、闘えない弱虫が笑うのだ。心のなかは歪んだ劣等感に溢れている。捻れたプライドにしがみつくことしか出来ない人間が自身の惨めさを隠そうと無我夢中に、闘う人間を笑うのだ。それも想像を絶するほど陰湿に、そして陰険に…。
しかし、闘う人間にとってはそんなもの痛くも痒くもない。なにせ負け犬の遠吠えだ。逆に、負け犬は闘う者から嘲笑を浴びることを知っているから、自らの卑屈さを知っているから尚更ヤツらはムキになって闘う者を笑う。
私は差別と偏見と蔑視の視線を大人たちから浴びながら今日まで闘い続けてきた。それだけは胸を張って断言出来る。
不良、少年犯罪者というレッテルを貼られた私は、T県トップの進学校に進み早稲田大学に入った。誰か悔しかったら早稲田大学に入ってみたらええ! 死ぬ気で受験勉強してみいや。ただのう、三瓶啓二や東孝が通った「夜学」は早稲田とはいわんよ。夜学は早稲田の盲腸じゃけえ、近々廃学が決定しとるんよ、念のため。
柔道も中途半端、極真空手は末席の末席のまた片隅を汚しただけの男に過ぎません。でも、私を弱者呼ばわりしてバカにするならば、とりあえず極真会館(松井派か極真館)の黒帯を取ってから吠えろや! いつでも待ってますけえ。
編集者だ、物書きといってもまだまだ出版界では「ハキダメのような格闘技界の業界人」(ちなみに私は俗に呼ばれる「格闘技界」と「格技・武道界」は別物と捉えています)としか見なされていない半端者です。物書きとしてさえ認められていない未熟者です。
けど、そんな私を笑うならば1冊でもいいから本を出版してからいえや。それも山田英司や家高康彦のように初版2000部なんちゅうのはメディア、マスコミとはいわんけえ。それはミニコミというんじゃ。小島は1回の増刷だけでもそれ以上を刷りますけん。
夢現舎、夢現舎といってもちっちゃなカスのような会社です。スタッフもせいぜい10人程度に過ぎません。デカい会社が本気になって潰そうと思えば簡単に跡形もなく消えてしまいそうな編集制作会社です。でも、誰もそれは出来ません。私たちは絶対に「筋」だけは通します。道理を無視して筋を違える相手には刺し違えても引きません。
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【ショートコラム7/8】24時間一緒!?
(愛しい愛しい黒猫のミル)
人間なんて悲しい生き物なんです…。
歳を取り、
ガキも成長し、
その上、×イチで、
またまた失恋したり、
仕事でトラブッたり、
スタッフに逃げられ、
血を分けた身内に謀られ、体調を崩し、
それなのに闘わなくてはならず、表では裁判で争い、裏では「アルキメデスは手を汚さない」のですが…。
疲れた私にいつも寄り添い、癒してくれるのが黒猫のミルです。
とても不思議な猫です。
腕枕をして抱いて寝れば、私が目覚めるまでそのマンマの姿勢で一緒に寝ています。キスが大好きで、両手(前足)で私の頬を抱えながら私の口に自分の口をくっつけてペロペロ舐めたり、噛んだり…。最近、ミルが一瞬人間に思えてしまう。もはや倒錯の世界です。
しかし、ミルは神様が孤独な私に授けてくれた「天使」なのだと思っています。
私がベッドに寝てる間は決して私のもとから離れません。ベッドに腹這いになってPCに向かって仕事をしている間、ずっとPCの脇に座って私を眺めています。
たまにですが、「ミルがアイツならなあ…」なんて。誤解は禁物!! こんな私でも一応はモテるのです。恥ずかしい話ですが、私の場合26歳が最高の「モテ期」でして、それ以前は全く女性に相手にされず、勘違いと早トチリで結婚して以来、殆ど「男」を棄てて「夫」になりブクブク醜く肥り…。それが離婚を決意した辺りから、つまり35の歳を過ぎた頃から徐々にモテ始めましたが、そうは世間は甘くない。好きな相手にゃ相手にされずどうでもいい相手に好かれていつもすれ違い。
自慢じゃありませんが、私は平均よりは…
銭があります。都内の高層マンション程度ならば即買えます。
ケンカも強いです。
表も裏も、右も左も人脈が広いです。
一応、社長です。
人気の業界、出版・メディアにいます。
物書きの端くれです。
50万人の人に知られています。
最低限の地位も名誉もあります。
また国際線のCAと、いや今度こそはCAとお近づきになるぞ〜なんて不埒な私をミルは真剣なマナコでキッと見つめるのです。
(最近、気品が出てきました)
2009.07.07
【告知】特にメッセージ色のない「駄文」とひとこと「ショートコラム」を始めます!
Blogを休眠して以来、多くの読者・ファンからコラムの再開を要望する声が届いてきました。しかしBlogのコラムは物書きの端くれに過ぎない私にとっても一応「作品」のつもりで一生懸命に書いてきました。でも、今は休眠中。本格的なコラムはなかなか書くエネルギーがないのが実際です。
ところが!!
私の代わりに倅がBlogを始めたら1日のaccessが何と1500超という…たったガキが書いた2、3の雑文で1500名がaccess(Livedoorの場合は端末計算)だって!? 既に私の半分近いaccessではないのか!!
せめて近況だけでもBlogに載せて欲しい…そんな声に応えるカタチで、今後可能な限り短い小話・雑話、という感覚で「駄文」でも書いていこうと思います。
また、ほんのひとことだけ!! の「ショートコラム」も機会あるごとに書いていければいいと思っています。
また以前予告した格技研究家・宮田玲欧氏から寄せられたコラムも多忙云々を理由にまだ掲載していません。宮田さんの叱咤が聞こえるようです。これらもしっかり筋を通す所存です。宮田さん、ゴメン!!
とはいえ、実際に最近の私は多忙を極め、ビジネス上のtroubleによる波状攻撃に晒され、また腹が立つ事も多くて多くてウンザリの毎日を送っております。体調も崩し、つい先日は「死」をも覚悟した程です。
しかし、どうやら私は「悪魔」か「鬼神」にでも守られているようで、絶望の淵から何とか甦る事が出来ました。
そんな訳で…、気分次第に任せて下されば嬉しい限りです。併せて倅のBlogも宜しくお願いいたします。
【改訂版】某会が追求する格技/宮田玲欧氏は天才である!?
宮田玲欧氏といえば「格技・空手研究家」また「大山倍達研究家」として主にNetを舞台に活躍している、言わば極真空手のWalkingーDictionary的存在である。
「大山倍達正伝」の制作・執筆にあたり最大の協力者である。私が常々宮田氏を「正伝第3の著者」と呼ぶ所以である。とにかく彼の知識は尋常ではない。
私的研究家だから基本的に取材・インタビューは行わず、主に文献を中心に格技の歴史的考察から技術分析まで行う。
自らも極真空手経験者でありアメリカ留学中はITFテコンドーを学び有段者でもある。レスリングも学んでいる為、彼の技術分析は常に一目置くべき合理的解釈に満ちている。
ただ格技経験者の常で、酷い腰痛に悩まされており、今は「実践者」としての立場から離れている。今後、私は宮田氏を著者とする書籍の企画も予定しており、また「大山倍達の遺言」の次に控える私とパートナーの著書では再び「第3の著者」として協力を依頼する事になっている。
更に宮田氏の博学さはNet全般にも広く及んでいる。夢現舎が現在進めている新事業に於ても宮田氏の協力は必要不可欠である。某会としても彼にはブレーンとして三顧の礼を以て迎えようとしている。
そんな訳で、去る5月10日に実施した某会定例の総会稽古会に宮田氏を招待した。Blogで告知したように近く宮田氏による「観戦記」を紹介する。この「観戦記」執筆の依頼に際して宮田氏と話をした。
今回の総会稽古会は見学者を募りはしたものの、基本的に内部イベントであり、我々が追求する格技の詳細については殆んど明らかにしていない。
極真空手の打撃技術を基本にしながらも芦原英幸のサバキ(表と裏)を学ぶ…というのが建前だ。しかしサバキの源流を遡るならば警察逮捕術、大日本武徳会柔道、更には古流柔術に行き着く。我々は最終的に武徳会系柔術と言われ、また時には「講道館護身術」とも呼ばれ逮捕術として普及した格技の真髄を希求している。
誤解ないよう書いておく。極真会館館長である松井章圭氏が見学に訪れたのは、あくまでプライベートであり、私達の格技と松井氏は何の関係もない。ただ私と松井氏の友情と、私達の格技の基盤が極真空手にあるからという理由以外何もない。
(二人掛け)
さて、稽古会を見学した宮田氏の第1声は「コジマさんが極真空手経験者なのは知っていましたが、いつの間にそんな技術を学んでいたのか…、組手もまだバリバリやるなんて全く知りませんでした」というものだった。
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「大山倍達正伝」の制作・執筆にあたり最大の協力者である。私が常々宮田氏を「正伝第3の著者」と呼ぶ所以である。とにかく彼の知識は尋常ではない。
私的研究家だから基本的に取材・インタビューは行わず、主に文献を中心に格技の歴史的考察から技術分析まで行う。
自らも極真空手経験者でありアメリカ留学中はITFテコンドーを学び有段者でもある。レスリングも学んでいる為、彼の技術分析は常に一目置くべき合理的解釈に満ちている。
ただ格技経験者の常で、酷い腰痛に悩まされており、今は「実践者」としての立場から離れている。今後、私は宮田氏を著者とする書籍の企画も予定しており、また「大山倍達の遺言」の次に控える私とパートナーの著書では再び「第3の著者」として協力を依頼する事になっている。
更に宮田氏の博学さはNet全般にも広く及んでいる。夢現舎が現在進めている新事業に於ても宮田氏の協力は必要不可欠である。某会としても彼にはブレーンとして三顧の礼を以て迎えようとしている。
そんな訳で、去る5月10日に実施した某会定例の総会稽古会に宮田氏を招待した。Blogで告知したように近く宮田氏による「観戦記」を紹介する。この「観戦記」執筆の依頼に際して宮田氏と話をした。
今回の総会稽古会は見学者を募りはしたものの、基本的に内部イベントであり、我々が追求する格技の詳細については殆んど明らかにしていない。
極真空手の打撃技術を基本にしながらも芦原英幸のサバキ(表と裏)を学ぶ…というのが建前だ。しかしサバキの源流を遡るならば警察逮捕術、大日本武徳会柔道、更には古流柔術に行き着く。我々は最終的に武徳会系柔術と言われ、また時には「講道館護身術」とも呼ばれ逮捕術として普及した格技の真髄を希求している。
誤解ないよう書いておく。極真会館館長である松井章圭氏が見学に訪れたのは、あくまでプライベートであり、私達の格技と松井氏は何の関係もない。ただ私と松井氏の友情と、私達の格技の基盤が極真空手にあるからという理由以外何もない。
(二人掛け)
さて、稽古会を見学した宮田氏の第1声は「コジマさんが極真空手経験者なのは知っていましたが、いつの間にそんな技術を学んでいたのか…、組手もまだバリバリやるなんて全く知りませんでした」というものだった。
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【ショートコラム7/7】元芦原会館総本部師範代のHさんへ
先日、芦原英幸先生の遺品である手裏剣を私に託してくれたのが、元芦原英幸総本部師範代のHさんです。
さっそく私の体調を心配してわざわざ電話して頂きありがとうございました。
Hさんには事情を話しましたが、訂正をしておきます。芦原先生の形見である手裏剣はたしかに毎日肌身話さず持っています。束の脇の穴に麻縄を通し、約1.5メートルの長さに留めて(実戦を想定するが為に)手裏剣の鞘に巻き付けています。
私が手裏剣の練習に使用しているのは実は芦原先生の形見ではありません。あまりにも怖れ多くてバチが当たります。
実際は近所の板金屋さんに知人がいて、その方がソックリの手裏剣を3本手作りで製作してくれました。
形状はほぼソックリです。しかし材質はチタンとかいう強度の高いもので、一回り小さく、重さもやや軽めです。形見の手裏剣では3メートルからでも刺さりません。最低5メートル近くは必要です。
あくまで練習用の手裏剣なので日常は携帯していません。ただ形見の手裏剣は切っ先を敢えて甘くしてありますが、練習用の手裏剣の切っ先はナイフ並みです。小振りなので5メートルからの回転打法にも耐えられます。
私は基本的に人間嫌いですが、何故かマンションの人たちとは懇意にしています。中でも私を兄のように慕う1FのF夫婦とは大の仲良しです。息子に極真空手(極真館)に通わせています。
私も倅もFさんの息子に空手を教える事は殆どありません。でも旦那と一緒に手裏剣の練習をしています。その旦那は練習用の手裏剣をやはり3つ保有していますが、元ヤンキーだったせいか、私の真似をして毎日携帯して会社に通っているそうです。
あしからず…。
さっそく私の体調を心配してわざわざ電話して頂きありがとうございました。
Hさんには事情を話しましたが、訂正をしておきます。芦原先生の形見である手裏剣はたしかに毎日肌身話さず持っています。束の脇の穴に麻縄を通し、約1.5メートルの長さに留めて(実戦を想定するが為に)手裏剣の鞘に巻き付けています。
私が手裏剣の練習に使用しているのは実は芦原先生の形見ではありません。あまりにも怖れ多くてバチが当たります。
実際は近所の板金屋さんに知人がいて、その方がソックリの手裏剣を3本手作りで製作してくれました。
形状はほぼソックリです。しかし材質はチタンとかいう強度の高いもので、一回り小さく、重さもやや軽めです。形見の手裏剣では3メートルからでも刺さりません。最低5メートル近くは必要です。
あくまで練習用の手裏剣なので日常は携帯していません。ただ形見の手裏剣は切っ先を敢えて甘くしてありますが、練習用の手裏剣の切っ先はナイフ並みです。小振りなので5メートルからの回転打法にも耐えられます。
私は基本的に人間嫌いですが、何故かマンションの人たちとは懇意にしています。中でも私を兄のように慕う1FのF夫婦とは大の仲良しです。息子に極真空手(極真館)に通わせています。
私も倅もFさんの息子に空手を教える事は殆どありません。でも旦那と一緒に手裏剣の練習をしています。その旦那は練習用の手裏剣をやはり3つ保有していますが、元ヤンキーだったせいか、私の真似をして毎日携帯して会社に通っているそうです。
あしからず…。
2009.07.06
NEW【駄文・7/6】瀕死の危機からの復活!!
2009年7月6日
先日、酷く体調を崩し3日間の検査入院を余儀なくされました。
5月以来、私にとっては耐えられないショックがあり、それ以前から公私ともにトラブルが続いていました。昨年8月、夢現舎設立以来最大の経営危機に陥りトップの私がパニック状態にある時、副代表が「風」の如く素早く動き、今年になって何とか危機を脱出出来そうな状況も見えて来ました。
しかし、これは何もかも副代表の八面六臂の活躍とスタッフの頑張りによるものでした。
私は何もしていません。
最終的な責任を取るのは自分だと言いながら、副代表は最悪に堕ちる前に自ら決死の活躍で苦難に対処し、夢現舎は何とか甦る気運が見えてきました。
しかし、私は副代表の苦労に薄っぺらな感謝の言葉を言うだけで、彼女の力には何もなれませんでした。否、なろうとしませんでした。Iたちスタッフもまだまだ未熟ながら精一杯頑張ってくれましたが、労いの言葉ひとつ私はかけませんでした。情けない代表です。
夢現舎の危機は実は私と副代表が「大山倍達正伝」の取材・執筆に専念していた2005年から、私たちの知らないところで私たちが予期しない形でジワジワと進行していたのです。
本来ならば私、副代表の下で幹部編集長の任にあったTが会社をまとめ副代表の代役を果たすべき立場にありました。しかし、彼は陰に隠れて私たちが期待していた中堅スタッフを勝手に使い、私たちに忠実だった1人を潰し、1人を懐柔・洗脳して自分の駒とし、既に独立の準備をしていたのです。
私たちの監督不行き届きであるのは勿論です。しかしまさかそんなクーデター紛いの計画が進行してるとは想像だにしませんでした。その分、夢現舎の体制はTによってズタズタにされ、気がついてみると、まだ成長過程にあったIらが夢現舎の実務を背負わざるを得ない事態になったのです。
結局、Tは有能なスタッフを引き連れ強引に独立していきました。
残されたIたちがどれだけ苦しく辛い思いを強いられたか!? 想像に難くないでしょう。毎日のように私や副代表にドヤされながら経験不足を必死に補おうと彼らは努力し続けました。それでも、限界があります。
それを承知で私たちは部下を激しく叱咤し、自らの文筆活動に大半のエネルギーを割かざるを得ませんでした。
当然、人間ですから確実に不満は出てくるし、それがいつしか体制の歪みとなって表れます。その歪みを精一杯、副代表は矯正し、体制の安定に四苦八苦でした。勿論、経営的業績も低下する一方でした。ましてやこの出版不況です。
何もかも、悲観的な事態の連続でした。
しかし、今年春辺りから何とか上向きになりつつあった5月…。副代表も極度の疲労やストレスを背負って頑張っているにもかかわらず、私は相変わらず「隠居」然と振舞い彼女の苦労のカケラでもフォローする事をしませんでした。
彼女もとうとう私への不満を爆発させました。それは私にとっては核爆弾並みの衝撃でした。全てが私の責任です。私にとっては必要不可欠な副代表です。必死に反省し後は低身低頭、許しを請うしか術はありませんでした。
そんな混乱の中、まとまりかけたあらゆる歪みが再燃したのです。社内はギスギスし、誰もが不満や不安の極限にありました。そこを突いて、Tは現在の夢現舎のスタッフに再び触手を伸ばし、完全な夢現舎潰し、クーデターを実行しようとしたのです。
そのほんの2日前、私は「直感」で何かとんでもない騒動が起きると自覚し、副代表に早急な措置を依頼しました。しかし…それは遅きに逸しました。
そこから夢現舎の地獄の3週間が始まりました。何のかんのと言いつつも、今回も副代表の超人的な活躍とIらの不眠不休により、何とか夢現舎を潰さすにすみました。
しかし彼女、彼らが徹夜連続で緊急事態の対処に終われている中、私には公私関係からキツい締め付けや、幾つかの方面から自称ヤクザ・暴力団の連中から脅しの電話が入り続けました。
そういうトラブルの対処は私の得意分野です。あらゆる人脈を利用して全てケジメをつけました。しかし…流石の私も精神的に限界となり急激な体調悪化により、何と癌の疑いで緊急入院をせざるを得なかったのです。
ひたすら夢現舎は副代表の剛腕に任せ、私は身体中に16カ所もカテーテルで穴を開けられ、死を覚悟しました。私が最悪から逃れられたのはまさに神の力としかいいようがありません。
私が入院中、150近い新人応募者の選考を行ったのも副代表でありIたちスタッフの援助あってこそのものです。
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先日、酷く体調を崩し3日間の検査入院を余儀なくされました。
5月以来、私にとっては耐えられないショックがあり、それ以前から公私ともにトラブルが続いていました。昨年8月、夢現舎設立以来最大の経営危機に陥りトップの私がパニック状態にある時、副代表が「風」の如く素早く動き、今年になって何とか危機を脱出出来そうな状況も見えて来ました。
しかし、これは何もかも副代表の八面六臂の活躍とスタッフの頑張りによるものでした。
私は何もしていません。
最終的な責任を取るのは自分だと言いながら、副代表は最悪に堕ちる前に自ら決死の活躍で苦難に対処し、夢現舎は何とか甦る気運が見えてきました。
しかし、私は副代表の苦労に薄っぺらな感謝の言葉を言うだけで、彼女の力には何もなれませんでした。否、なろうとしませんでした。Iたちスタッフもまだまだ未熟ながら精一杯頑張ってくれましたが、労いの言葉ひとつ私はかけませんでした。情けない代表です。
夢現舎の危機は実は私と副代表が「大山倍達正伝」の取材・執筆に専念していた2005年から、私たちの知らないところで私たちが予期しない形でジワジワと進行していたのです。
本来ならば私、副代表の下で幹部編集長の任にあったTが会社をまとめ副代表の代役を果たすべき立場にありました。しかし、彼は陰に隠れて私たちが期待していた中堅スタッフを勝手に使い、私たちに忠実だった1人を潰し、1人を懐柔・洗脳して自分の駒とし、既に独立の準備をしていたのです。
私たちの監督不行き届きであるのは勿論です。しかしまさかそんなクーデター紛いの計画が進行してるとは想像だにしませんでした。その分、夢現舎の体制はTによってズタズタにされ、気がついてみると、まだ成長過程にあったIらが夢現舎の実務を背負わざるを得ない事態になったのです。
結局、Tは有能なスタッフを引き連れ強引に独立していきました。
残されたIたちがどれだけ苦しく辛い思いを強いられたか!? 想像に難くないでしょう。毎日のように私や副代表にドヤされながら経験不足を必死に補おうと彼らは努力し続けました。それでも、限界があります。
それを承知で私たちは部下を激しく叱咤し、自らの文筆活動に大半のエネルギーを割かざるを得ませんでした。
当然、人間ですから確実に不満は出てくるし、それがいつしか体制の歪みとなって表れます。その歪みを精一杯、副代表は矯正し、体制の安定に四苦八苦でした。勿論、経営的業績も低下する一方でした。ましてやこの出版不況です。
何もかも、悲観的な事態の連続でした。
しかし、今年春辺りから何とか上向きになりつつあった5月…。副代表も極度の疲労やストレスを背負って頑張っているにもかかわらず、私は相変わらず「隠居」然と振舞い彼女の苦労のカケラでもフォローする事をしませんでした。
彼女もとうとう私への不満を爆発させました。それは私にとっては核爆弾並みの衝撃でした。全てが私の責任です。私にとっては必要不可欠な副代表です。必死に反省し後は低身低頭、許しを請うしか術はありませんでした。
そんな混乱の中、まとまりかけたあらゆる歪みが再燃したのです。社内はギスギスし、誰もが不満や不安の極限にありました。そこを突いて、Tは現在の夢現舎のスタッフに再び触手を伸ばし、完全な夢現舎潰し、クーデターを実行しようとしたのです。
そのほんの2日前、私は「直感」で何かとんでもない騒動が起きると自覚し、副代表に早急な措置を依頼しました。しかし…それは遅きに逸しました。
そこから夢現舎の地獄の3週間が始まりました。何のかんのと言いつつも、今回も副代表の超人的な活躍とIらの不眠不休により、何とか夢現舎を潰さすにすみました。
しかし彼女、彼らが徹夜連続で緊急事態の対処に終われている中、私には公私関係からキツい締め付けや、幾つかの方面から自称ヤクザ・暴力団の連中から脅しの電話が入り続けました。
そういうトラブルの対処は私の得意分野です。あらゆる人脈を利用して全てケジメをつけました。しかし…流石の私も精神的に限界となり急激な体調悪化により、何と癌の疑いで緊急入院をせざるを得なかったのです。
ひたすら夢現舎は副代表の剛腕に任せ、私は身体中に16カ所もカテーテルで穴を開けられ、死を覚悟しました。私が最悪から逃れられたのはまさに神の力としかいいようがありません。
私が入院中、150近い新人応募者の選考を行ったのも副代表でありIたちスタッフの援助あってこそのものです。
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NEW【駄文・7/5】泉谷しげるに「男」を見た!(大改訂版)
【何故、こんな時代に…】
何故、こんな時代に
頑張れないのか
何故、こんな時代に
頑張らないのか
口煩いぜ
見飽きた励ましの言葉は
今更オマエの口から聞きたくない
歳を取ったかい
いつもの顔付きが優しいぜ
受け売りの言葉など
横に置けよ
何か起こせる口だけのフリは
見抜かれている
気付くのが遅いのか早いのか
何故、こんな時代に
頑張れないのか
何故、こんな時代に
頑張らないのか
口喧しく
いつまで言う事はないだろう
イラつく俺は
オマエの目を見ない
それでも止めずに
素顔に迫ってくる気かよ
俺だけが引いた
ラインを超えてくる
何もかも見棄てたフリしても
見抜かれている
気付くのが遅いのか早いのか
何故、こんな時代に
頑張れないのか
何故、こんな時代に
頑張らないのか
命を賭けて答えを出すのは
戦う相手が強いから
目覚めるのが遅いのか早いのか
何故、こんな時代に
頑張れないのか
何故、こんな時代に
頑張らないのか
(作詞・作曲/泉谷しげる)
泉谷しげる…。
1970年代、吉田拓郎や井上陽水と並び「フォーク御三家」などと呼ばれたソングライターである。
だが1979年、TVドラマ「戦後最大の誘拐事件 吉展ちゃん事件」でいきなり犯人役を演じ、役者として大絶賛されたのを期に俳優としても活躍するようになった。
80年代に流行したトレンディドラマでこそ剽軽な亭主役をこなしたが、以後は自ら好んで悪役や穢れ役を演じた。最近ではTVドラマ「電車男」の痴漢役で注目を浴びた。
私はそんな泉谷が嫌いではなかったが、やはり彼は「歌を棄ててしまった」のかと寂しい思いを抱いていた。
70年代の泉谷のソングライターとしての個性は際立っていた。「春夏秋冬」「春のからっ風」「寒い国からきた手紙」「白雪姫の毒リンゴ」などの名曲と共に挑戦的かつ過激な反体制的な楽曲も彼の十八番だった。
荒削りの歌詞、しかし聴けば聴く程、心を激しく揺さぶった。
怒鳴るように、叫ぶように唄い、ギターを打楽器の如く鳴らした。しかし、フッと見せる恥じらいや笑顔は透明感に満ちていた。
高校中退後、職を転々とし、また幼少期に患った小児麻痺の影響で足が不自由ながらも常に前向きに生き続けた結果、自分の心に燻る怒りや悲しみを表現する事が出来る「フォークソング」に辿り着いたと彼は言う。
75年には拓郎、陽水、小室等と共に「フォーライフレコード」設立のメンバーに加わったが、極めて強い個性と組織嫌いから「フォーライフ」を離れ、これを期に彼の楽曲はフォークからロック色を強めていく…。
考えてみれば、最初から泉谷の歌はロックだったのかもしれない。
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何故、こんな時代に
頑張れないのか
何故、こんな時代に
頑張らないのか
口煩いぜ
見飽きた励ましの言葉は
今更オマエの口から聞きたくない
歳を取ったかい
いつもの顔付きが優しいぜ
受け売りの言葉など
横に置けよ
何か起こせる口だけのフリは
見抜かれている
気付くのが遅いのか早いのか
何故、こんな時代に
頑張れないのか
何故、こんな時代に
頑張らないのか
口喧しく
いつまで言う事はないだろう
イラつく俺は
オマエの目を見ない
それでも止めずに
素顔に迫ってくる気かよ
俺だけが引いた
ラインを超えてくる
何もかも見棄てたフリしても
見抜かれている
気付くのが遅いのか早いのか
何故、こんな時代に
頑張れないのか
何故、こんな時代に
頑張らないのか
命を賭けて答えを出すのは
戦う相手が強いから
目覚めるのが遅いのか早いのか
何故、こんな時代に
頑張れないのか
何故、こんな時代に
頑張らないのか
(作詞・作曲/泉谷しげる)
泉谷しげる…。
1970年代、吉田拓郎や井上陽水と並び「フォーク御三家」などと呼ばれたソングライターである。
だが1979年、TVドラマ「戦後最大の誘拐事件 吉展ちゃん事件」でいきなり犯人役を演じ、役者として大絶賛されたのを期に俳優としても活躍するようになった。
80年代に流行したトレンディドラマでこそ剽軽な亭主役をこなしたが、以後は自ら好んで悪役や穢れ役を演じた。最近ではTVドラマ「電車男」の痴漢役で注目を浴びた。
私はそんな泉谷が嫌いではなかったが、やはり彼は「歌を棄ててしまった」のかと寂しい思いを抱いていた。
70年代の泉谷のソングライターとしての個性は際立っていた。「春夏秋冬」「春のからっ風」「寒い国からきた手紙」「白雪姫の毒リンゴ」などの名曲と共に挑戦的かつ過激な反体制的な楽曲も彼の十八番だった。
荒削りの歌詞、しかし聴けば聴く程、心を激しく揺さぶった。
怒鳴るように、叫ぶように唄い、ギターを打楽器の如く鳴らした。しかし、フッと見せる恥じらいや笑顔は透明感に満ちていた。
高校中退後、職を転々とし、また幼少期に患った小児麻痺の影響で足が不自由ながらも常に前向きに生き続けた結果、自分の心に燻る怒りや悲しみを表現する事が出来る「フォークソング」に辿り着いたと彼は言う。
75年には拓郎、陽水、小室等と共に「フォーライフレコード」設立のメンバーに加わったが、極めて強い個性と組織嫌いから「フォーライフ」を離れ、これを期に彼の楽曲はフォークからロック色を強めていく…。
考えてみれば、最初から泉谷の歌はロックだったのかもしれない。
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2009.07.04
【改訂新版】盧山初雄と松井章圭/虚勢・アピール・逃亡…
私は虚勢を張ったり自己アピールをする人間が大嫌いです。
「自分は根性では誰にも負けない自信があります!」
「体力だけが自分の取り柄です。徹夜でも何でも苦になりません!」
よく新入社員の募集をすると、こう面接で胸を張る人間が多い。私はそんなアピールを聞く度に、吐き気さえ覚えます。私にとって生涯の恩人だった芦原英幸は、そんなアピールをする人間を決して許しませんでした。
私の前で無理に虚勢を張る連中には必ず次のように言う事に決めています。
「そうか、根性や体力じゃ誰にも負けないんだ。極真空手の世界にはヒンズースクワットを1000回以上やる人間がワンサカいるけえ。自信があるんやったら、今からヒンズースクワットを1000回やれ!」
まず100%の人間が震え上がります。そして「無理です」と蚊の鳴くような声で前言を翻すのです。
私と多少なりとも親しくなると、こう断言めいた言葉を口にする人間も少なくありません。
「コジマさん、自分は一生コジマさんについていきます!」
そう興奮気味にアピールする人間に共通しているのは不自然な<熱さ>と、裏に見え隠れする<媚び>または<計算>です。だから私は所謂「熱血漢」を信じない事に決めています。
何故なら、そんな言葉を臆面もなく吐く人間は、間違いなく些細なトラブルをきっかけに豹変し、私を非難し、私から離れていくと相場が決まっているからです。まるでイエス・キリストを敵に売った弟子のユダの如しです。その時の文句もだいたい共通しています。
「コジマさんを信じられなくなった」
これはまだ正直なので許せます。我慢がならないのは次のような言葉を掲げる人間たちです。
「自分がコジマさんの近くにいると、コジマさんに迷惑をかけてしまう。執筆活動の妨げになりたくない」
必ず綺麗事、大義名分を並べたてるのです。だから私は、さもコジマに心酔したような言葉を投げかける人間を信じません。
綺麗事を吐くだけ吐いて、イザッとなると戦えず、砂をかけるように逃げていったヤツらが何と多い事か!!
過去、会社を辞めていったスタッフの多くが必ずのように口にするのが以下のセリフです。
「責任を取る為に辞めさせてください」
完全な勘違いです。「責任を取る」為に辞めてもらって会社に一体何の得があるというのでしょう?
「本当に責任を取るというなら辞めずに、仕事の実績として成果を残しますというのが筋だろ。<責任を取って辞めます>というのは単に逃げたいだけやろが! 責任を取ると言うならば、オマエがトラブルを起こして会社に損害を与えた分、計算するけん、全部耳揃えて払ってから辞めろ。それができないならば、汚名返上、名誉挽回のために汗して頑張れ」
全て綺麗事です。あまりにも自分勝手で偽善的なアピールです。本当に信頼できる強い人間は決してアピールなどしません。
私の「パートナー」は、この20年近い付き合いの中で1度も自己宣伝(アピール)をした事がありません。どんなに陰で努力をしようが私の前ではそんな素振りすら見せません。風邪を引こうが体調を崩そうが、私が「大丈夫か?」と訊けば「大丈夫です」としか答えませんでした。倒れる寸前まで絶対、弱音を吐かないのが彼女です。だから私は彼女には勝てないのです。きっと彼女が去っていけば私は間違いなく廃人になるでしょう。
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「自分は根性では誰にも負けない自信があります!」
「体力だけが自分の取り柄です。徹夜でも何でも苦になりません!」
よく新入社員の募集をすると、こう面接で胸を張る人間が多い。私はそんなアピールを聞く度に、吐き気さえ覚えます。私にとって生涯の恩人だった芦原英幸は、そんなアピールをする人間を決して許しませんでした。
私の前で無理に虚勢を張る連中には必ず次のように言う事に決めています。
「そうか、根性や体力じゃ誰にも負けないんだ。極真空手の世界にはヒンズースクワットを1000回以上やる人間がワンサカいるけえ。自信があるんやったら、今からヒンズースクワットを1000回やれ!」
まず100%の人間が震え上がります。そして「無理です」と蚊の鳴くような声で前言を翻すのです。
私と多少なりとも親しくなると、こう断言めいた言葉を口にする人間も少なくありません。
「コジマさん、自分は一生コジマさんについていきます!」
そう興奮気味にアピールする人間に共通しているのは不自然な<熱さ>と、裏に見え隠れする<媚び>または<計算>です。だから私は所謂「熱血漢」を信じない事に決めています。
何故なら、そんな言葉を臆面もなく吐く人間は、間違いなく些細なトラブルをきっかけに豹変し、私を非難し、私から離れていくと相場が決まっているからです。まるでイエス・キリストを敵に売った弟子のユダの如しです。その時の文句もだいたい共通しています。
「コジマさんを信じられなくなった」
これはまだ正直なので許せます。我慢がならないのは次のような言葉を掲げる人間たちです。
「自分がコジマさんの近くにいると、コジマさんに迷惑をかけてしまう。執筆活動の妨げになりたくない」
必ず綺麗事、大義名分を並べたてるのです。だから私は、さもコジマに心酔したような言葉を投げかける人間を信じません。
綺麗事を吐くだけ吐いて、イザッとなると戦えず、砂をかけるように逃げていったヤツらが何と多い事か!!
過去、会社を辞めていったスタッフの多くが必ずのように口にするのが以下のセリフです。
「責任を取る為に辞めさせてください」
完全な勘違いです。「責任を取る」為に辞めてもらって会社に一体何の得があるというのでしょう?
「本当に責任を取るというなら辞めずに、仕事の実績として成果を残しますというのが筋だろ。<責任を取って辞めます>というのは単に逃げたいだけやろが! 責任を取ると言うならば、オマエがトラブルを起こして会社に損害を与えた分、計算するけん、全部耳揃えて払ってから辞めろ。それができないならば、汚名返上、名誉挽回のために汗して頑張れ」
全て綺麗事です。あまりにも自分勝手で偽善的なアピールです。本当に信頼できる強い人間は決してアピールなどしません。
私の「パートナー」は、この20年近い付き合いの中で1度も自己宣伝(アピール)をした事がありません。どんなに陰で努力をしようが私の前ではそんな素振りすら見せません。風邪を引こうが体調を崩そうが、私が「大丈夫か?」と訊けば「大丈夫です」としか答えませんでした。倒れる寸前まで絶対、弱音を吐かないのが彼女です。だから私は彼女には勝てないのです。きっと彼女が去っていけば私は間違いなく廃人になるでしょう。
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2009.07.03
【再掲載】「野獣死すべし」のように…戦士の休日
私は決して強い人間ではありません。どこにでもいるただの弱い男です。
何か突然、大きなトラブルやアクシデントに襲われた時、私はまずパニックに陥ります。精一杯平静を装いながら、内心では洞穴にでも隠れたいほどの逃避衝動に駆られます。それが第1段階です。
第2段階はトコトン落ち込みます。鬱(不安神経症)にでもなったかのように独りドロップするのです。それを一昼夜耐え続けなくてはなりません。
すると…、突然のように猛烈な怒りが湧き上がってきます。これが第3段階です。ただ、この怒りに任せて行動すると、大抵は失敗します。過去の私の敗北の殆どが、この怒りに任せた行動が原因でした。時に暴力事件に発展し、警察沙汰になって所轄に連行される事態にまで発展してしまいます。
ですから、自らが行動するまでは、第4段階の意識変化まで待たねばなりません。
燃え盛る怒りを心に溜め込みながら、精神力と冷静な論理的判断力を呼び戻します。そして戦略と戦術が明確になるまで静かに時を待つのです。こうして<覚悟>が宿り、私は完全に<居直り>ます。
そうなったら何も怖いものがなくなります。冷酷なまでに冴えた頭と飽和に達した怒りを胸に、卑怯なまでに緻密で徹底した反撃がやっと可能になります…。
つまり、私がトラブルやアクシデントに際して<覚悟>を持つ為には4段階の心の変化を待たねばならないのです。でも、そんな時の私は<無敵>です。
力なき正義は無能なり…
結局、<正義>だ何だと騒いでみても、勝たなくては全く意味はありません。自分にとって大切な人間や自らの尊厳は命を盾にしてでも守ります。
しかし、凡人の私と違い極真会館館長の松井章圭は、一瞬で<覚悟>を決める超人的な精神力と胆力を有しています。だから私は松井章圭には絶対に勝てないと諦めています。
かといって、命を賭けて戦う覚悟を持つ…。そんな生き方が決して格好いいとか「男」だなんて思いません。そんなヒロイズムに浸ってなどいたら、足元を掬われてしまいます。
先日も極真会館館長の松井章圭と会食しました。私は松井に言いました。
「たとえ敵が100人揃い、ダンビラを振りかざしていても、松井さんは、守るものの為に彼らに向かっていくでしょう。殺されるのが分かっていても、4、5人は道連れにして死ぬ。そんな覚悟が松井章圭にはあるんです」
松井は「どうでしょうかねえ…」と笑みを浮かべるだけでしたが、決して否定はしませんでした。
松井は<偽悪者>であり、決して自分を作るようなハッタリ屋ではありません。しかし<偽悪者>として生きられるという事は、余程の度胸と自信がなければなりません。だからこそ命を賭ける覚悟があるのです。私はそんな、何事にも臆さずに戦う意志と術を持った松井が眩しく見えました。
私も松井章圭に負けない! 絶対に物書きとして大きくなる! かつて私を見下したチンケな2流3流の活字メディアの連中をみんなひれ伏しさせてやる! アイツら全員、頭を下げて「ウチの為に本を書いてください」と言わせてみせる!
私はいつか必ず「メジャー」の世界に杭を打ち込みます。今の私には、心から応援してくれる<生涯の絆>を誓い合った「兄弟」たちがいてくれます。まさに百人力の応援団です。
怒りが、怒りが…、冷徹で緻密な怒りが! 怒りこそが最大のエネルギー源なのです。
大藪春彦の「野獣死すべし」が私の物書きとしての、更には人生の原点であり聖書でもあります。なかの一節を紹介します。この文章には、私の様々な想いが抽象化されながら散りばめられています。
(前略)弱い弱い男と女が一緒になって、慎ましい家庭の幸福を築く。これが人生の最高の逸楽であり安らぎかもしれぬ。しかし今の彼には破壊者とはなれても建設者とはなれぬのだ。
少なくとも、これから先、己の内にくすぶる凶暴な自我にはけ口を見いだし己れの才能と死を賭けて、現世の苦楽を味わい尽くしてしまうまでは。
ときがきたら、可愛い足の指を折らねば十から上を数えられぬほどの、楚々たる無垢の少女を妻として、そのあどけない海の泡を現世の女神、生きた美神にまで育て上げるのだ。
(中略)出来る奴の周りに街娼のごとく群がる女たち。馬鹿踊りを踊り続ける仮面の下からのぞく、ひやりとする冷酷なエゴイズム、こずるさ。みじめな頭には、ケチ臭い夢が相応しい。
彼の頭脳はまだ把握力を失っていない…
H・OYABU
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何か突然、大きなトラブルやアクシデントに襲われた時、私はまずパニックに陥ります。精一杯平静を装いながら、内心では洞穴にでも隠れたいほどの逃避衝動に駆られます。それが第1段階です。
第2段階はトコトン落ち込みます。鬱(不安神経症)にでもなったかのように独りドロップするのです。それを一昼夜耐え続けなくてはなりません。
すると…、突然のように猛烈な怒りが湧き上がってきます。これが第3段階です。ただ、この怒りに任せて行動すると、大抵は失敗します。過去の私の敗北の殆どが、この怒りに任せた行動が原因でした。時に暴力事件に発展し、警察沙汰になって所轄に連行される事態にまで発展してしまいます。
ですから、自らが行動するまでは、第4段階の意識変化まで待たねばなりません。
燃え盛る怒りを心に溜め込みながら、精神力と冷静な論理的判断力を呼び戻します。そして戦略と戦術が明確になるまで静かに時を待つのです。こうして<覚悟>が宿り、私は完全に<居直り>ます。
そうなったら何も怖いものがなくなります。冷酷なまでに冴えた頭と飽和に達した怒りを胸に、卑怯なまでに緻密で徹底した反撃がやっと可能になります…。
つまり、私がトラブルやアクシデントに際して<覚悟>を持つ為には4段階の心の変化を待たねばならないのです。でも、そんな時の私は<無敵>です。
力なき正義は無能なり…
結局、<正義>だ何だと騒いでみても、勝たなくては全く意味はありません。自分にとって大切な人間や自らの尊厳は命を盾にしてでも守ります。
しかし、凡人の私と違い極真会館館長の松井章圭は、一瞬で<覚悟>を決める超人的な精神力と胆力を有しています。だから私は松井章圭には絶対に勝てないと諦めています。
かといって、命を賭けて戦う覚悟を持つ…。そんな生き方が決して格好いいとか「男」だなんて思いません。そんなヒロイズムに浸ってなどいたら、足元を掬われてしまいます。
先日も極真会館館長の松井章圭と会食しました。私は松井に言いました。
「たとえ敵が100人揃い、ダンビラを振りかざしていても、松井さんは、守るものの為に彼らに向かっていくでしょう。殺されるのが分かっていても、4、5人は道連れにして死ぬ。そんな覚悟が松井章圭にはあるんです」
松井は「どうでしょうかねえ…」と笑みを浮かべるだけでしたが、決して否定はしませんでした。
松井は<偽悪者>であり、決して自分を作るようなハッタリ屋ではありません。しかし<偽悪者>として生きられるという事は、余程の度胸と自信がなければなりません。だからこそ命を賭ける覚悟があるのです。私はそんな、何事にも臆さずに戦う意志と術を持った松井が眩しく見えました。
私も松井章圭に負けない! 絶対に物書きとして大きくなる! かつて私を見下したチンケな2流3流の活字メディアの連中をみんなひれ伏しさせてやる! アイツら全員、頭を下げて「ウチの為に本を書いてください」と言わせてみせる!
私はいつか必ず「メジャー」の世界に杭を打ち込みます。今の私には、心から応援してくれる<生涯の絆>を誓い合った「兄弟」たちがいてくれます。まさに百人力の応援団です。
怒りが、怒りが…、冷徹で緻密な怒りが! 怒りこそが最大のエネルギー源なのです。
大藪春彦の「野獣死すべし」が私の物書きとしての、更には人生の原点であり聖書でもあります。なかの一節を紹介します。この文章には、私の様々な想いが抽象化されながら散りばめられています。
(前略)弱い弱い男と女が一緒になって、慎ましい家庭の幸福を築く。これが人生の最高の逸楽であり安らぎかもしれぬ。しかし今の彼には破壊者とはなれても建設者とはなれぬのだ。
少なくとも、これから先、己の内にくすぶる凶暴な自我にはけ口を見いだし己れの才能と死を賭けて、現世の苦楽を味わい尽くしてしまうまでは。
ときがきたら、可愛い足の指を折らねば十から上を数えられぬほどの、楚々たる無垢の少女を妻として、そのあどけない海の泡を現世の女神、生きた美神にまで育て上げるのだ。
(中略)出来る奴の周りに街娼のごとく群がる女たち。馬鹿踊りを踊り続ける仮面の下からのぞく、ひやりとする冷酷なエゴイズム、こずるさ。みじめな頭には、ケチ臭い夢が相応しい。
彼の頭脳はまだ把握力を失っていない…
H・OYABU
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