2009.07.06
NEW【駄文・7/6】瀕死の危機からの復活!!
2009年7月6日
先日、酷く体調を崩し3日間の検査入院を余儀なくされました。
5月以来、私にとっては耐えられないショックがあり、それ以前から公私ともにトラブルが続いていました。昨年8月、夢現舎設立以来最大の経営危機に陥りトップの私がパニック状態にある時、副代表が「風」の如く素早く動き、今年になって何とか危機を脱出出来そうな状況も見えて来ました。
しかし、これは何もかも副代表の八面六臂の活躍とスタッフの頑張りによるものでした。
私は何もしていません。
最終的な責任を取るのは自分だと言いながら、副代表は最悪に堕ちる前に自ら決死の活躍で苦難に対処し、夢現舎は何とか甦る気運が見えてきました。
しかし、私は副代表の苦労に薄っぺらな感謝の言葉を言うだけで、彼女の力には何もなれませんでした。否、なろうとしませんでした。Iたちスタッフもまだまだ未熟ながら精一杯頑張ってくれましたが、労いの言葉ひとつ私はかけませんでした。情けない代表です。
夢現舎の危機は実は私と副代表が「大山倍達正伝」の取材・執筆に専念していた2005年から、私たちの知らないところで私たちが予期しない形でジワジワと進行していたのです。
本来ならば私、副代表の下で幹部編集長の任にあった私の実弟が会社をまとめ副代表の代役を果たすべき立場にありました。しかし、彼は陰に隠れて私たちが期待していた中堅スタッフを勝手に使い、私たちに忠実だった1人を潰し、1人を懐柔・洗脳して自分の駒とし、既に独立の準備をしていたのです。
私たちの監督不行き届きであるのは勿論です。しかしまさかそんなクーデター紛いの計画が進行してるとは想像だにしませんでした。その分、夢現舎の体制は実弟によってズタズタにされ、気がついてみると、まだ成長過程にあったIらが夢現舎の実務を背負わざるを得ない事態になったのです。
結局、実弟は有能なスタッフを引き連れ強引に独立していきました。
残されたIたちがどれだけ苦しく辛い思いを強いられたか!? 想像に難くないでしょう。毎日のように私や副代表にドヤされながら経験不足を必死に補おうと彼らは努力し続けました。それでも、限界があります。
それを承知で私たちは部下を激しく叱咤し、自らの文筆活動に大半のエネルギーを割かざるを得ませんでした。
当然、人間ですから確実に不満は出てくるし、それがいつしか体制の歪みとなって表れます。その歪みを精一杯、副代表は矯正し、体制の安定に四苦八苦でした。勿論、経営的業績も低下する一方でした。ましてやこの出版不況です。
何もかも、悲観的な事態の連続でした。
しかし、今年春辺りから何とか上向きになりつつあった5月…。副代表も極度の疲労やストレスを背負って頑張っているにもかかわらず、私は相変わらず「隠居」然と振舞い彼女の苦労のカケラでもフォローする事をしませんでした。
彼女もとうとう私への不満を爆発させました。それは私にとっては核爆弾並みの衝撃でした。全てが私の責任です。私にとっては必要不可欠な副代表です。必死に反省し後は低身低頭、許しを請うしか術はありませんでした。
そんな混乱の中、まとまりかけたあらゆる歪みが再燃したのです。社内はギスギスし、誰もが不満や不安の極限にありました。そこを突いて、私の実弟は現在の夢現舎のスタッフに再び触手を伸ばし、完全な夢現舎潰し、クーデターを実行しようとしたのです。
そのほんの2日前、私は「直感」で何かとんでもない騒動が起きると自覚し、副代表に早急な措置を依頼しました。しかし…それは遅きに逸しました。
そこから夢現舎の地獄の3週間が始まりました。何のかんのと言いつつも、今回も副代表の超人的な活躍とIらの不眠不休により、何とか夢現舎を潰さすにすみました。
しかし彼女、彼らが徹夜連続で緊急事態の対処に終われている中、私には公私関係からキツい締め付けや、幾つかの方面から自称ヤクザ・暴力団の連中から脅しの電話が入り続けました。
そういうトラブルの対処は私の得意分野です。あらゆる人脈を利用して全てケジメをつけました。しかし…流石の私も精神的に限界となり急激な体調悪化により、何と癌の疑いで緊急入院をせざるを得なかったのです。
ひたすら夢現舎は副代表の剛腕に任せ、私は身体中に16カ所もカテーテルで穴を開けられ、死を覚悟しました。私が最悪から逃れられたのはまさに神の力としかいいようがありません。
私が入院中、150近い新人応募者の選考を行ったのも副代表でありIたちスタッフの援助あってこそのものです。
先日、酷く体調を崩し3日間の検査入院を余儀なくされました。
5月以来、私にとっては耐えられないショックがあり、それ以前から公私ともにトラブルが続いていました。昨年8月、夢現舎設立以来最大の経営危機に陥りトップの私がパニック状態にある時、副代表が「風」の如く素早く動き、今年になって何とか危機を脱出出来そうな状況も見えて来ました。
しかし、これは何もかも副代表の八面六臂の活躍とスタッフの頑張りによるものでした。
私は何もしていません。
最終的な責任を取るのは自分だと言いながら、副代表は最悪に堕ちる前に自ら決死の活躍で苦難に対処し、夢現舎は何とか甦る気運が見えてきました。
しかし、私は副代表の苦労に薄っぺらな感謝の言葉を言うだけで、彼女の力には何もなれませんでした。否、なろうとしませんでした。Iたちスタッフもまだまだ未熟ながら精一杯頑張ってくれましたが、労いの言葉ひとつ私はかけませんでした。情けない代表です。
夢現舎の危機は実は私と副代表が「大山倍達正伝」の取材・執筆に専念していた2005年から、私たちの知らないところで私たちが予期しない形でジワジワと進行していたのです。
本来ならば私、副代表の下で幹部編集長の任にあった私の実弟が会社をまとめ副代表の代役を果たすべき立場にありました。しかし、彼は陰に隠れて私たちが期待していた中堅スタッフを勝手に使い、私たちに忠実だった1人を潰し、1人を懐柔・洗脳して自分の駒とし、既に独立の準備をしていたのです。
私たちの監督不行き届きであるのは勿論です。しかしまさかそんなクーデター紛いの計画が進行してるとは想像だにしませんでした。その分、夢現舎の体制は実弟によってズタズタにされ、気がついてみると、まだ成長過程にあったIらが夢現舎の実務を背負わざるを得ない事態になったのです。
結局、実弟は有能なスタッフを引き連れ強引に独立していきました。
残されたIたちがどれだけ苦しく辛い思いを強いられたか!? 想像に難くないでしょう。毎日のように私や副代表にドヤされながら経験不足を必死に補おうと彼らは努力し続けました。それでも、限界があります。
それを承知で私たちは部下を激しく叱咤し、自らの文筆活動に大半のエネルギーを割かざるを得ませんでした。
当然、人間ですから確実に不満は出てくるし、それがいつしか体制の歪みとなって表れます。その歪みを精一杯、副代表は矯正し、体制の安定に四苦八苦でした。勿論、経営的業績も低下する一方でした。ましてやこの出版不況です。
何もかも、悲観的な事態の連続でした。
しかし、今年春辺りから何とか上向きになりつつあった5月…。副代表も極度の疲労やストレスを背負って頑張っているにもかかわらず、私は相変わらず「隠居」然と振舞い彼女の苦労のカケラでもフォローする事をしませんでした。
彼女もとうとう私への不満を爆発させました。それは私にとっては核爆弾並みの衝撃でした。全てが私の責任です。私にとっては必要不可欠な副代表です。必死に反省し後は低身低頭、許しを請うしか術はありませんでした。
そんな混乱の中、まとまりかけたあらゆる歪みが再燃したのです。社内はギスギスし、誰もが不満や不安の極限にありました。そこを突いて、私の実弟は現在の夢現舎のスタッフに再び触手を伸ばし、完全な夢現舎潰し、クーデターを実行しようとしたのです。
そのほんの2日前、私は「直感」で何かとんでもない騒動が起きると自覚し、副代表に早急な措置を依頼しました。しかし…それは遅きに逸しました。
そこから夢現舎の地獄の3週間が始まりました。何のかんのと言いつつも、今回も副代表の超人的な活躍とIらの不眠不休により、何とか夢現舎を潰さすにすみました。
しかし彼女、彼らが徹夜連続で緊急事態の対処に終われている中、私には公私関係からキツい締め付けや、幾つかの方面から自称ヤクザ・暴力団の連中から脅しの電話が入り続けました。
そういうトラブルの対処は私の得意分野です。あらゆる人脈を利用して全てケジメをつけました。しかし…流石の私も精神的に限界となり急激な体調悪化により、何と癌の疑いで緊急入院をせざるを得なかったのです。
ひたすら夢現舎は副代表の剛腕に任せ、私は身体中に16カ所もカテーテルで穴を開けられ、死を覚悟しました。私が最悪から逃れられたのはまさに神の力としかいいようがありません。
私が入院中、150近い新人応募者の選考を行ったのも副代表でありIたちスタッフの援助あってこそのものです。
こうして7月に入り、新人スタッフの採用も決まり、何とか最悪の危機を乗り越える事が出来そうです。勿論、今回のトラブルは複合的なものであり、まだまだ不安要素は消えていません。
しかし、何とかなった…。
後はクーデターを仕掛け夢現舎をひっくり返そうと目論んだ実弟へのオトシマエです。「仕掛け人」集団でもある某会を総動員し、あくまで合法的に反逆者へのケジメはつけます。
他のケジメは私たちの仕事ではありません。
しかし、確実に潰します。古代ハムラビ法典の文句ではありませんが、
「目には目を!」
しかし、
「アルキメデスは手を汚さない」
ただ某会を舐めたら大変な事になるのも事実です。今回の「仕掛け」「仕置き」は某会オーナーである副代表も同意した決定です。
私たちは「正義」の為には手段を選びません。ただ非合法な事には手を染めませんが…。餅屋は餅屋の仕事です。
風林火山…。
この2カ月間、私たちは「山の如く耐え」「林の如く静かに状況を読み」「風の如く襲いかかるトラブルに対処」しました。後は「火の如く反撃」するだけです。
「人生は山あり谷あり」と言ますが時には谷また谷、谷の時もあるのです。
人生が素晴らしいなんて思う余裕もなく、闘わなければ「死」さえあり得るのです。この現代社会でさえ、弱肉強食は厳然と存在し、ビジネスはまさに戦場が如きです。
疲れます。
逃げたくもなります。
辞めたくもなります。
しかし…、私たちは「平和」「平穏」を望むからこそ「闘う」しかないのです。
それでも、
雨降って地固まる…
私も副代表もスタッフも、夢現舎という「城」を守る為に一丸となり結束力は格段に強くなりました。しかし副代表もいつの日か自らの夢に向かい飛び立つ事でしょう。スタッフたちも同様です。
私はそんな日が永遠に来ない事を祈っています…しかし、こんな闘いの日々から解放してやる事も私の義務なのだと覚悟しています。ただ、その前に今回私たちを最大の窮地に貶めた「敵」を殲滅し、夢現舎を難攻不落の城に再構築し、また私と副代表が物書きとしてメジャーで不動の地位を確立するのが不可欠です。
夢現舎は負けません。
私は負けません。
某会は不滅です…。
(了)
しかし、何とかなった…。
後はクーデターを仕掛け夢現舎をひっくり返そうと目論んだ実弟へのオトシマエです。「仕掛け人」集団でもある某会を総動員し、あくまで合法的に反逆者へのケジメはつけます。
他のケジメは私たちの仕事ではありません。
しかし、確実に潰します。古代ハムラビ法典の文句ではありませんが、
「目には目を!」
しかし、
「アルキメデスは手を汚さない」
ただ某会を舐めたら大変な事になるのも事実です。今回の「仕掛け」「仕置き」は某会オーナーである副代表も同意した決定です。
私たちは「正義」の為には手段を選びません。ただ非合法な事には手を染めませんが…。餅屋は餅屋の仕事です。
風林火山…。
この2カ月間、私たちは「山の如く耐え」「林の如く静かに状況を読み」「風の如く襲いかかるトラブルに対処」しました。後は「火の如く反撃」するだけです。
「人生は山あり谷あり」と言ますが時には谷また谷、谷の時もあるのです。
人生が素晴らしいなんて思う余裕もなく、闘わなければ「死」さえあり得るのです。この現代社会でさえ、弱肉強食は厳然と存在し、ビジネスはまさに戦場が如きです。
疲れます。
逃げたくもなります。
辞めたくもなります。
しかし…、私たちは「平和」「平穏」を望むからこそ「闘う」しかないのです。
それでも、
雨降って地固まる…
私も副代表もスタッフも、夢現舎という「城」を守る為に一丸となり結束力は格段に強くなりました。しかし副代表もいつの日か自らの夢に向かい飛び立つ事でしょう。スタッフたちも同様です。
私はそんな日が永遠に来ない事を祈っています…しかし、こんな闘いの日々から解放してやる事も私の義務なのだと覚悟しています。ただ、その前に今回私たちを最大の窮地に貶めた「敵」を殲滅し、夢現舎を難攻不落の城に再構築し、また私と副代表が物書きとしてメジャーで不動の地位を確立するのが不可欠です。
夢現舎は負けません。
私は負けません。
某会は不滅です…。
(了)
samurai_mugen at 08:09
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