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社説

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解散・総選挙―首相は堂々と信を問え

 衆院の解散・総選挙に向けて、麻生首相がようやく重い腰をあげようとしている。

 あすまでに自民党の役員人事と閣僚の補充人事を行い、12日の東京都議選直後の衆院解散。8月2日か9日の投開票をめざす。これが首相の思い描くスケジュールらしい。

 何度か解散を考えながら、結局は踏み切れずにきた首相のことだ。今回も思惑通りに運べるかはさだかでない。

 それでも、自民党内はてんやわんやである。「不人気の首相の下で選挙は戦えない」と退陣を求めるグループや、党総裁選の前倒しを画策するグループがあちこちで気勢をあげている。

 「万歳突撃解散だ」「解散権の乱用だ」。幹事長経験者から、当選1回の小泉チルドレンまで、首相の手による解散への反発が広がり、土壇場にきてまさに断末魔のような様相だ。

 5日の静岡県知事選や東京都議選の結果によっては「麻生おろし」の動きが雪崩をうつ可能性も出てきた。

 いずれにしても衆院議員の任期切れまであと70日余。解散・総選挙はもう目前に迫っているのに、この期に及んでこの混乱である。

 もちろん、総裁選の前倒しは党則で認められている。だが、それを求める議員たちの目的はといえば、胸を張れるものとはとても思えない。新しいカオで選挙に臨めば、勝てるかもしれない。とにかく今は首相を批判する側に身を置いた方が得策だ。そんな計算からに違いない。

 安倍、福田と2代の首相が政権を放り出した。その後を引き継いだ麻生首相も含め、自民党は3代の首相が国民に信を問わないまま政権を乗り換えてきた。これ以上、首相のいすのたらい回しが許されないのは当然のことだ。

 総選挙では、功も罪も引っくるめて自民党政権の過去4年間を有権者が評価する。人気がないからと、選挙間際になって党のカオを変えようというのはあまりにご都合主義だろう。

 麻生政権が迷走と停滞を重ねてきたのは事実だが、同時に、世界同時不況の中で全力を注いできた緊急経済対策という実績もある。それを掲げて有権者の審判を受けるべきなのだ。

 今回の党役員・閣僚の人事にしても、人気者の東国原・宮崎県知事への立候補打診にしても、自民党は小手先の策に走りすぎていないか。

 公明党は、なお8月下旬以降への選挙先送りに期待をつないでいる。党が全力を挙げるという都議選から日程を離した方が、選挙戦術上やりやすいということのようだ。

 党利党略をすべて否定するつもりはないが、日本という国を率いる首相にとって最も優先すべきは一日も早く、堂々と国民に信を問うことである。この大義を見失ってはならない。

水俣病法案―見切り発車すべきでない

 水俣病の未認定患者を救済する特別措置法案をめぐる与党と民主党との修正協議が最終局面を迎えている。しかし、このまま決着しても、真の恒久救済策には遠いと言わざるを得ない。

 水俣病の被害が確認されて53年になる。被害者の高齢化を考えると、早期救済に向けて決着を急がねばならないのは当然のことだ。

 これまでの協議で、与党も妥協の姿勢を見せている。救済対象については手足の先ほどしびれる感覚障害に限っていたが、より幅広い救済を求める民主党に歩み寄る構えを見せている。

 ところが、最大の争点である原因企業チッソの分社化については、「救済終了まで凍結する」と主張していた民主党が、「救済資金を確保するために分社化が絶対に必要」とする与党案を受け入れるようだ。

 分社化は補償会社と事業会社に分け、事業会社の株を売って補償金に充てる算段だ。将来的には補償会社を清算し、原因企業は実質的に消滅する。

 これでは、あとから症状の出てくる潜在患者らが、今後補償を求めようにも、その時には加害者が存在しないという事態になりかねない。

 分社化は与党案で、今回の救済を最後に公害多発地域の指定を解除し、患者の認定審査の窓口を閉じるという「地域指定解除」とセットだった。

 「被害者救済ではなく、加害者救済だ」という被害者団体の批判を受けて、与党は地域指定解除の条項の削除には同意した。しかし地元は「チッソを免責し、救済の幕を閉じる枠組みは変わらない」と受け止めている。

 そもそも、水俣病患者の救済がここまでこじれているのは、汚染された不知火海一帯の被害調査が一切なされなかったことが大きな原因だ。民主党案に盛り込まれた被害地域の実態把握をすることなく、この問題に終止符を打つことは許されない。

 どうにも解せないのは、特措法案のなかで、与党も民主党も、政府と司法に二つある認定基準の問題に踏み込まなかったことである。

 旧環境庁が77年につくった基準では、感覚障害だけではなく運動失調などとの組み合わせが必要とされた。ところが04年に最高裁がこの基準を事実上、否定し、感覚障害だけで患者と認め、幅広く救済する姿勢を示した。

 環境省は最高裁判決を受け、ただちに認定基準を改めるべきだった。しかし救済の枠組み全体が崩れるのを恐れてか、いまだに変えようとしない。

 これは「水俣病とは何か」という問題である。救済法案を論じる前に二重基準問題を解消することこそ、政治が決断すべきではなかったか。

 一刻も早く決着させたい。しかし安易な歩み寄りは、「公害の原点」といわれる水俣病の歴史に禍根を残す。

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