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朝日地球環境フォーラム2009

「アフガニスタンからの伝言(上)」

写真・文 武田剛

2009年6月23日

 南極、北極、ヒマラヤ……。カメラを手に地球を歩き続けた足跡を、朝日新聞の武田剛編集委員が、過去の写真と記事と共にエッセイで振り返ります。現場に立つ思いや苦労話、後日談など、記事では書けなかったエピソードも紹介します。随時更新します。

 南極に行くまでは、紛争地の取材が多かった。中でも、内戦終結後のアフガニスタンでは約3カ月間を過ごし、戦火で傷ついた大勢の人たちに出会った。
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 2001年暮れ、小雪の舞うカブールで会った元兵士もその1人。がれきが散らばるデコボコ道に車いすを走らせ、私を大声で呼び止めてきた。「あなたは日本の記者か」。軽くうなずくと、「戦闘や地雷で障害を負った我々を助けてくれる団体を探してほしい」という。

 正直言って、とても困った。他のアジアの国ならまだしも、終戦直後で治安も悪いアフガンで活動できるNGOは限られる。「せめて連絡先だけでも」とメモ帳を差し出すと、彼が書いたのは「アフガニスタン障害者協会」という団体名のみで、電話はないという。内心は無理だと思いつつ、「努力してみます」と言って、その場は笑顔で別れた。

 帰国後、私はアフガンで撮った写真を持って、当時の勤務地だった名古屋市にある社会福祉法人「AJU自立の家」を訪ねた。車道で物乞いをする老人、義足の歩行訓練をする元兵士……。スタッフの前で写真を広げると、みんな身を乗り出してきた。そして、自分自身も車いすの生活を送る小倉國夫さん(62)が目を潤めて言う。「よし、やろう。どんな支援が必要なのか、俺がアフガンで見てくる」。

 これには、私も驚いた。「障害者の気持ちは、障害者が一番よく分かる」という小倉さんの考えは分かるが、アフガンは内戦が終わったばかりだ。街はがれきと化し、まともなホテルはない。民間の空路もなく、カブールに入るには国連機に乗るか、陸路しかない。そこに、車いすの外国人が行くことなど、想像もできなかった。

 でも、小倉さんの決意は固かった。早速、私のプリントでアフガンの写真展を開き、全国で募金活動をするという。そして、02年秋には現地調査をする計画を立ててしまった。

 こうなると、きっかけを作った私にも責任がある。写真展の準備に加え、6月にはカブールで開かれる国民大会議「ロヤジルガ」を取材し、そのついでに、アフガニスタン障害者協会を訪ねて事前調査をするなどして、「後方支援」を続けた。

 そして10月1日、パキスタンの首都イスラマバード空港を飛び立つ国連機で、私は小倉さんの隣に座っていた。目的はこの活動の取材なのだが、その思いは、小倉さんと一緒だった。

新聞掲載時の記事と地図(2002年10月14日朝刊掲載・名古屋)

地図

アフガンにせめて車いすを… DPI世界会議を前に

 戦乱で傷ついたアフガニスタンの障害者を助けたい――。名古屋市の車いすマラソン選手、小倉國夫さん(55)が10月初め、カブールを訪れた。物ごいで生きる地雷の被害者たち、不足する義足や車いす……。がれきの街を自ら歩き、どんな支援が必要なのかを「同じ障害者の視点」で調査した。15日に札幌市で開かれる障害者インターナショナル(DPI)世界会議で報告する。会議を前に、現地の窮状を紹介する。(写真と文・武田剛)

 毎日12時間。道端に座り続ける男たちがいた。行き交う車にはねられそうになりながら、じっと両手を差し出す。モクモクと吐き出される排ガスで、顔や手は真っ黒だ。

 「物ごいで生きるしかないんだ。車いすがあれば、店を開いたりして働けるのに……」

 ムーサ・モハマドさん(32)。十数年前、ソ連軍との戦闘中に地雷を踏み、左足を失った。

 暑い日だった。肩に食い込むロケット弾。汗をぬぐおうと、わき道にそれた瞬間、爆音とともに体が宙を舞った。あまりの激痛にもうろうとする意識。褐色の地面がみるみる赤く染まった。

 今、家族6人を1日60円の稼ぎで養っている。借家を転々とする日々。キャスターをつけただけの小さな板に乗り、街をさまよい続けている。

 小倉さんが出会った障害者の大半が、物ごいで生きていた。車いすや義足が手に入らず、働けない人が多い。

 20年余りの戦乱が多くの障害者を生んだ。正確な統計はないが、障害者人口は推定で100万。地雷の犠牲者も後を絶たず、月に約100人が被害に遭っている。6月に新政権が発足したが、政府は何の施策も打ち出せていない。

 頼みの外国NGO(非政府組織)も、障害者支援を専門に掲げる団体はわずかだ。
 その一つ、赤十字国際委員会は88年に活動を始め、全国で六つの義肢センターを運営している。障害者支援を専門にするアフガン最大の団体で、毎月、義足600本、車いす100台を生産し、無償で提供している。

 センターの代表を務めるアルベルト・カイロさん(48)は「車いすや義足は、私たちが生産する数で十分に足りている」と自信をみせる。

 しかし、センターの車いすに乗った途端、小倉さんの顔色が変わった。むき出しの金具やねじで生づめをはがしそうになった。車軸はゆがみ、重くて前に進めない。

 「これじゃ鉄の固まりだ。障害者の意見を聞いているとは思えない」

 でこぼこ道が多いアフガンに適した、快適で丈夫な車いすを大勢の人に手渡したい―。

 小倉さんたちは「アフガニスタン障害者支援プロジェクト」を結成。車いすを贈り、小さな車いす工房の建設を夢見ている。連絡先はプロジェクト事務局(052・841・5554)へ。

 <DPI世界会議> DPIは81年、「障害者のことは障害者自身が決めよう」と結成された非政府組織。カナダに本部を置く。4年に1度、世界会議を開き、様々な課題を話し合う。札幌大会は6回目で、日本初の開催。15日から4日間、約100の国・地域から約2千人が参加する。

プロフィール

武田剛さん

武田 剛(たけだ・つよし)

 朝日新聞編集委員。92年入社。03年末から1年4カ月間、第45次日本南極観測隊に同行して、昭和基地で越冬取材。帰国後、地球環境をテーマに「北極異変」「地球異変」取材班を立ち上げ、06年にグリーンランド、07年にネパールヒマラヤ、08年に北極圏カナダ、09年にアフリカ・チャド湖を取材。
 著書に「南極 国境のない大陸」(朝日新聞社)、「南極のコレクション」 (フレーベル館)、「ぼくの南極生活500日」(同)。共著に「地球異変」(ランダムハウス講談社)。41歳。

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