写真・文 武田剛
2009年6月30日
「みんな、とっても喜んでくれたよ。でも、武田くんが一緒にいられないのは残念だね」
アフガンの障害者支援を続けていた名古屋市の車いすマラソン選手、小倉國夫さんからで、400台の車いすをカブールの障害者たちに無事に届けたという報告だ。前年秋の事前調査で現地を訪れ、帰国後、有志で「アフガニスタン障害者支援プロジェクト」を結成。全国でアフガンの写真展を開いて募金を集め、中古車いすの収集や整備などの活動を続けてきた。
カブールの街角で私が出会った男性からの伝言が、こんな形で実現するとは思ってもみなかった。そして何より、治安の悪いアフガンで、小倉さんやプロジェクトの仲間が無事に活動を終えたということが嬉しかった。
今でもそうだが、アフガン国内では自爆テロなどの反政府活動が続き、英米軍などを中心にした国際治安支援部隊が駐留している。さらに、2本の大型コンテナに400台の車いすを満載して輸送する段階で、イラク戦争が始まり、予定していたパキスタンのカラチ港からの陸揚げができなくなった。そこで、中国の上海からシルクロードを経由するルートに変え、最後はアフガンと国境を接するウズベキスタンから国内に運び入れるという「大迂回」を強いられた。
「途中でコンテナが行方不明になるんじゃないかと、ずっと心配でね。だって、大勢の人に支援してもらっている責任があるでしょう」と、なつかしい名古屋弁で話す小倉さんも、とても嬉しそうだった。
電話を切ると、バグダッド市内では相変わらず、銃声が響き渡っていた。ホテルから望むチグリス川の向こうでは、大統領府に砲弾が撃ち込まれ、大きな黒煙が青空に上がっている。その光景を見ながら、私はぼんやりと考えていた。
「もう少し時間がたって、イラクが平和になったら、次はバグダッドに小倉さんと来なくては」
あれから6年。悪化の一途をたどるイラク情勢を思うと、残念でならない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
小倉さんたちの活動は、その後、「アジア障害者支援プロジェクト」と名称を変えて、今も続いている。名古屋市にある社会福祉法人「AJU自立の家」を拠点に、毎年、タイやカンボジア、ラオス、キルギスなどのアジア各国に、中古車いすを贈っている。
がれきのカブールを2カ月間、車いすで走り回った。地雷を踏んだ元兵士、市街戦に巻き込まれ歩けなくなった少年。援助が届いていない人々を捜し出し、1台1台手渡してきた。(文・武田剛)
長年の戦乱で大勢の身体障害者が生まれ、物ごいで生活していることを昨夏、新聞で知った。20歳の時、漁船事故で下半身マヒになった自分の姿と重なった。名古屋の重度障害者支援施設「AJU自立の家」の仲間と、アフガンの窮状を伝える写真展を全国で開いた。寄せられた1200万円のカンパが、「400人の笑顔」に結実した。
長年、障害者の移動を手助けする仕事をしてきた。両手だけで運転できる車を使い、自らハンドルを握る。お客さんが床ずれを起こさぬようにと特製クッションを用意し、遠出には紙おむつも積み込む。
「体が不自由だからこそ、分かる苦しみがあるんです」。今回のカブール行きもその延長線上にある。
昨秋に現地調査をして要望を聞いた。意外だったのは、日本では重くて不評の鉄製の車いすを求める声が多かったこと。「溶接できて修理しやすいから」。帰国後、中古品をコツコツ集め、仲間と磨き上げた。
コンテナにパンク修理具や空気入れも満載し、この5月に再訪。連日の猛暑で体重は10キロ減った。それでも約束した人たちを訪ねると、「本当に来てくれたんですね」と涙ぐまれた。
希望者を日本に招き、車いすに関する技術を学んでもらう。それが次の目標だ。
◇
おぐら・くにお 趣味は車いすマラソン。「いつかアフガンの選手たちと走りたい」(56)
朝日新聞編集委員。92年入社。03年末から1年4カ月間、第45次日本南極観測隊に同行して、昭和基地で越冬取材。帰国後、地球環境をテーマに「北極異変」「地球異変」取材班を立ち上げ、06年にグリーンランド、07年にネパールヒマラヤ、08年に北極圏カナダ、09年にアフリカ・チャド湖を取材。
著書に「南極 国境のない大陸」(朝日新聞社)、「南極のコレクション」 (フレーベル館)、「ぼくの南極生活500日」(同)。共著に「地球異変」(ランダムハウス講談社)。41歳。