いしけってあそぶ日々
http://d.hatena.ne.jp/K416/20090626/1246027867
id:K416
正直、もう「はてな」で外国人のこと書きたくない。対話といってもボクは著作や非公開のブログも含めて、もう十分かたったし、なによりも法廷で、NGOで、集会で、大学で、語り続けけてきた。これからも語り続ける。だから、これで最後。あなたはボクの著作も読んでくれているようなので。
イラン・テヘランから両親とともに3歳で日本に来て、オーバーステイになり、中学生の時に在留を特別に許可され、その後に日本の大学に進学し、かつての自分と同じ境遇の子どもたちの悩みに正面から向き合っている少女がいる。
フィリピン・レイテ島から嫁不足の東北地方の農家へ嫁いだものの、夫の暴力に耐え切れず、子どもを抱えて東京へと逃げ、シングルマザーとしてスーパーのレジに立ちながら忙しい日々をおくる女性がいる。
ペルー・リマから6才の時に「偽日系人」の父に連れられて日本にやってきて、父が摘発されて強制送還になった後も入管の追跡を逃れて日本に残り、ビザの当てもないまま場末のジムでプロ・ボクサーになる夢を追い続けている若者がいる。
コロンビア・ペレイラの貧しい小作農の一家に生まれ、16才で人身売買業者の手配で日本にやってきて、売春をしながら父も分からない赤ん坊を産んだ後に強制送還され、人並みのやすらぎにありつくこともないまま、今は特定の人の淡い記憶の中でのみ生き続けている少女がいる。
ペルーから日系人の母に連れられて、7歳で来日したものの、学校になじめず、社会に背をむけたまま、やるせない気持をシンナー、カツアゲ、タタキにシャブと、非行でしか表現できなかったペルー人の少年がいる。
在外華僑で、国籍国である台湾に帰れないまま日本に不法滞在を続けた両親のもと日本で生まれ、高校在学中に脳腫瘍になり、ビザがないがゆえに被保険者資格を認められず、裁判の最中に息絶えた華僑の少年がいる。
ボクのこれまでの仕事をみてくれ。ボクはこんな人たちの、それでもこの国にいたい、というささやかで切実な声を、法のコトバにかえて語ってきた。何百万ものコトバを、何千人もの人たちにむけて語りかけてきた。彼らに同情する人にも、彼らが増えると治安が悪化すると気軽に口にする人にも、また外国人の管理の名の下に彼らを叩き出そうとする権力をふるう人たちにも。
それは、外国人の在留なんて国の裁量でどうにでもできるんだ、外国人の人権なんて在留管理制度の枠内でしか保証されないんだ、という、この国の外国人にのしかかる圧倒的な制度の力を解体するための、必死の営みだったのだ。
「国家に貢献していない奴は排除されるべきか」否かなんて立場から「反日」を問題にしているわけがない。あなたはボクの立場を誤解している。
「『ある問題についてこういう主張をしてほしくない/されるべきではない』と思われるのであれば、『たいへんな迷惑』が起きると思われる理由/実際に起きているということを示し、『迷惑は得られるものより大きいだろ』って言ってほしいかな」にはがっかりした。ボクは、あなたがボクの仕事をなめていると感じている。
「反日上等」は、この国にいたい、と願う人たちの心からしぼり出されたコトバなのか。
この国の人々の心を揺さぶり、外国人にのしかかる、圧倒的な「制度の力」を解体する可能性を秘めたコトバなのか。
ボクはそうではないと考えている。それはボクの紡いできたコトバをかみしめてくれれば、わかるはずだ。
自分でみつけた人権課題の場で、覚悟をもってこのコトバを語るのはかまわない。だが、外国人の支援の場における効果を示すのは、むしあなた(たち)のほうだ。あなた(たち)が上記の疑問に答えれば、ボクはよろこんで「反日上等」ととなえよう。
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正直、もう「はてな」で外国人のこと書きたくない。対話といってもボクは著作や非公開のブログも含めて、もう十分かたったし、なによりも法廷で、NGOで、集会で、大学で、語り続けけてきた。これからも語り続ける。だから、これで最後。あなたはボクの著作も読んでくれているようなので。
イラン・テヘランから両親とともに3歳で日本に来て、オーバーステイになり、中学生の時に在留を特別に許可され、その後に日本の大学に進学し、かつての自分と同じ境遇の子どもたちの悩みに正面から向き合っている少女がいる。
フィリピン・レイテ島から嫁不足の東北地方の農家へ嫁いだものの、夫の暴力に耐え切れず、子どもを抱えて東京へと逃げ、シングルマザーとしてスーパーのレジに立ちながら忙しい日々をおくる女性がいる。
ペルー・リマから6才の時に「偽日系人」の父に連れられて日本にやってきて、父が摘発されて強制送還になった後も入管の追跡を逃れて日本に残り、ビザの当てもないまま場末のジムでプロ・ボクサーになる夢を追い続けている若者がいる。
コロンビア・ペレイラの貧しい小作農の一家に生まれ、16才で人身売買業者の手配で日本にやってきて、売春をしながら父も分からない赤ん坊を産んだ後に強制送還され、人並みのやすらぎにありつくこともないまま、今は特定の人の淡い記憶の中でのみ生き続けている少女がいる。
ペルーから日系人の母に連れられて、7歳で来日したものの、学校になじめず、社会に背をむけたまま、やるせない気持をシンナー、カツアゲ、タタキにシャブと、非行でしか表現できなかったペルー人の少年がいる。
在外華僑で、国籍国である台湾に帰れないまま日本に不法滞在を続けた両親のもと日本で生まれ、高校在学中に脳腫瘍になり、ビザがないがゆえに被保険者資格を認められず、裁判の最中に息絶えた華僑の少年がいる。
ボクのこれまでの仕事をみてくれ。ボクはこんな人たちの、それでもこの国にいたい、というささやかで切実な声を、法のコトバにかえて語ってきた。何百万ものコトバを、何千人もの人たちにむけて語りかけてきた。彼らに同情する人にも、彼らが増えると治安が悪化すると気軽に口にする人にも、また外国人の管理の名の下に彼らを叩き出そうとする権力をふるう人たちにも。
それは、外国人の在留なんて国の裁量でどうにでもできるんだ、外国人の人権なんて在留管理制度の枠内でしか保証されないんだ、という、この国の外国人にのしかかる圧倒的な制度の力を解体するための、必死の営みだったのだ。
「国家に貢献していない奴は排除されるべきか」否かなんて立場から「反日」を問題にしているわけがない。あなたはボクの立場を誤解している。
「『ある問題についてこういう主張をしてほしくない/されるべきではない』と思われるのであれば、『たいへんな迷惑』が起きると思われる理由/実際に起きているということを示し、『迷惑は得られるものより大きいだろ』って言ってほしいかな」にはがっかりした。ボクは、あなたがボクの仕事をなめていると感じている。
「反日上等」は、この国にいたい、と願う人たちの心からしぼり出されたコトバなのか。
この国の人々の心を揺さぶり、外国人にのしかかる、圧倒的な「制度の力」を解体する可能性を秘めたコトバなのか。
ボクはそうではないと考えている。それはボクの紡いできたコトバをかみしめてくれれば、わかるはずだ。
自分でみつけた人権課題の場で、覚悟をもってこのコトバを語るのはかまわない。だが、外国人の支援の場における効果を示すのは、むしあなた(たち)のほうだ。あなた(たち)が上記の疑問に答えれば、ボクはよろこんで「反日上等」ととなえよう。