松尾芭蕉の『野ざらし紀行』に、「道のべの 木槿 ( むくげ ) は馬にくはれけり」の一句がある。「馬上吟」の前書があるから、馬に乗って旅していたのだろう。ふと見ると道ばたに木槿の花が咲いていた。何気なく目をやりながら近づいたところ、自分を乗せている馬がひょいとその花を食べてしまった。はっと我に返り、「喰われてしまったか」というおかしみに誘われて詠んだ句だが、実はこの木槿というのが韓国の「国花」なのである。 |
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この淡い色の花は夏から秋にかけて、しぼんでもしぼんでも代わる代わる咲き続ける。そんなはかなさと可憐さを茶室に飾る花として珍重したのが日本人だ。そして、むしろその粘り強い生命力を愛し「無窮花(ムグンファ)」(写真右) として国の象徴にしたのが韓国の人たちである。同じ花を見ても、感じ方に少しばかり差がある。ついでに言えば、木槿の枝は繊維質が多くしなやかで、折ろうとしても折れにくい。まことに民族の長い歴史を象徴するにふさわしい木なのだ。 |
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■「似ているけど違う」「違うけど似ている」 |
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©国際観光振興機構 |
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日本と韓国の文化で、「似ているけど違う」「違うけど似ている」という事例は実に多い。例えば食事。どちらも米食を主としているけれど、微妙に違う。日本では木製の箸(写真左)を使うが、韓国では金属製の箸と匙(写真下)を併用し、どちらかといえば匙が活躍する場面が多い。また日本人は食器を左手で持って食べるが、韓国人は食器をテーブルにおいたまま左手で押さえて食べるのである。 |
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日本には冬至の日に柚子湯に入ったり、大根のなますやカボチャを食べる風習がある。柚子湯は身体をよく温め、風邪をひかない効果があると信じられているためだろう。一方、韓国ではこの日に小豆入りの団子汁を食べる。日本と同じように、冬に備えて栄養価の高いものを食べ、病気を防ごうというのだ。 |
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また、韓国には陰暦8月15日に行う国民的行事 「秋夕(チュソク)」(写真右)があるが、これは日本のお盆(写真下)にあたると考えられる 。それぞれが故郷に帰り、先祖の墓に参り、その年に収穫された新しい穀物や酒などを供えて、祖先の霊に感謝する。さらに山や丘に登ってお月見をするという昔ながらの風習も残っているそうだ。 私たちも古くから、旧暦8月の十五夜の中秋の名月を愛でてきた。 里芋を供えるので芋名月とも呼ぶ。 月見が一種の収穫祭だったと推測されることも、両国 |
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に共通している点だ。そして韓国では「秋夕」に親族に贈り物をする習慣があるけれど、これは日本でもお中元として今に伝わっている。 |
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©国際観光振興機構 |
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「遊び」に目を移そう。 相撲(写真左)は日本の国技だが、韓国にも「シルム」(写真下)という相撲が古くから伝わる 。髪形は自由、上半身は裸で短パンをはき、腰から右太ももにかけてサッパと呼ばれる布のまわしを付けて立ち合いを始める。
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土俵がないのが日本と違うところで、先に相手を倒した方が勝ち。1982年にはプロシルムも発足した。日本の大相撲で韓国出身初の関取となった春日山部屋の春日王は、大学在学中にシルムの大統領杯で優勝している。 |
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©社団法人日本将棋連盟 |
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また、 日本に将棋(写真左)があるように、韓国にも独自の朝鮮将棋 (チャンギ:写真下)がある。駒は日本の五角形に対して八角形。駒の動かし方も名称も、日本のものとは少し違う。日本の王将にあたるのは「楚」と「漢」で、何やら項羽と劉邦の歴史的な戦いを思い起こさせる。
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©韓国将棋協会東京支部 |
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©韓国将棋協会東京支部 |
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■実感するための「お祭りイベント」 |
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さていよいよ9月24日には、両国の民俗芸能がステージで競演したり、パレードが行われる「日韓交流 おまつり」のイベントが実施されることになっている(写真はイベントに参加するお祭り。左:ねぶた(青森)、右:韓国の能仁禅院)。それぞれの郷土芸能を 舞台で演じるだけでなく、一般の |
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人々にも祭りに参加してもらい、 華麗な衣装や独特の踊りと動き、和太鼓と韓国太鼓の音色の違いやリズムの違いを実感してもらおうという試みだ。そして同時に、民衆が伝え育んできた伝統文化の中に共通するルーツを探り、そこにプラスされたオリジナリティを見出してもらおう、というのが企画の趣旨である。「似てるなあ」「ちょっと違うなあ」と実感することが、お互いを知り、学び、理解を深めることにつながるだろう。大勢の若者の参加を心から期待している。 |
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私は韓国に生まれ、中学3年までソウルで育った。このため、子ども時代のふるさとを思い浮かべると、浮かんでくるのは韓国の風景である。私の感覚から言えば、日本と韓国の文化は非常に近い関係にあり、共通点は数え切れない。多くの文化はシルクロードを経て中国に渡り、韓国を通して日本に伝えられたのだから、これは当然のことだと思う。 |
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韓国の国鳥はカササギ(写真右)だが、私が日本に引き揚げた先の佐賀県の県鳥もカササギだったことに驚いた。そんなささやかな思い出も、私と韓国を結ぶ不思議なきずなとなった。それが私をして「日韓友情年2005」の実行委員会副委員長の仕事に駆り立てたのである。
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■「尊敬」し合って未来へ |
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12月にはその仕上げとして、「日韓友情の未来」を確かなものにするシンポジウムと交流音楽祭が予定されている。ここでお互いの文化や考え方の共通点と相違点を認識し、ふれあい、つきあうことで相互理解を深めてもらいたいと、切に願っている。
ところで冒頭の木槿だが、その花言葉は「尊敬」である。互いに尊敬し合う心を忘れないことこそが、現代の、そして将来の日韓両国民を強く結ぶ基本だと、私は確信している。 |
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成田豊(なりた ゆたか)
1929年(昭和4年)現在のソウル市生まれ。
1953年東京大学法学部卒業。
同年電通入社。 1993 年代表取締役社長。 2002 年代表取締役会長、 2004 最高顧問、電通グループ会長(現在)。
また、 1997 年(社)日本広告業協会理事長、 2005 年会長(現在)。 |
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