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アメリカよ・新ニッポン論:第4部・受容の終わり/1(その2止) 屈折抱えた保守

最後の「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」で記念撮影をする旧日本軍の捕虜だった元米兵たち=米テキサス州サンアントニオで5月30日、隅俊之撮影
最後の「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」で記念撮影をする旧日本軍の捕虜だった元米兵たち=米テキサス州サンアントニオで5月30日、隅俊之撮影

 <世の中ナビ NEWS NAVIGATOR>

 <1面からつづく>

 ◇屈折抱えた「保守」 「諸君!」寛容さ失い休刊

 保守系月刊誌「諸君!」の休刊は2月26日、文芸春秋の臨時役員会で決まった。惜しむ声は出たが、満場一致だった。理由は広告収入の減少だが、元役員は「同誌の赤字をカバーできないほど社の体力がないわけではない」と打ち明ける。最大部数9万5000部を記録したのは2000年代前半、歴史問題で極端な反中・反韓・反北朝鮮論に傾いた時だが、役員会で当時を評価する声はなかった。

 全共闘運動が大学に吹き荒れていた69年5月創刊。冷戦下、日本は米国の同盟国であることを前提に、左翼とは別の選択肢があると示す狙いだった。

 90年代半ばに編集長だった浅見雅男氏は「寛容さこそが保守の誇り」と言う。看板だった評論家、清水幾太郎が極端に主張が振れる度に、常連の評論家、福田恒存がそれをたしなめた。朝日新聞の名物記者や80年代「現代思想ブーム」の浅田彰氏ら左派論客も登場。反米論者も誌上で一定の居場所を得ていた。

 創刊20年でベルリンの壁が崩壊。左翼に代わる「新しい敵」を探す中で、90年代後半の歴史教科書論争から「東京裁判史観」批判が強まり、保守言論にブームが起きた。

 東京裁判否定は、本当ならアメリカの否定につながるが、親米を自任する論者も含めて主張はエスカレート。しかし、米国との徹底対決を避ける埋め合わせのように、矛先は首相の靖国神社参拝問題や北朝鮮の拉致問題と絡んで、東アジア諸国への非難に向かう。

 保守系誌「正論」(産経新聞社)に引きずられる形で、中国や朝鮮半島への侮べつ的な表現が増え、それが読者に受けたが、持ち味の「寛容さ」は薄まる。「日米戦争はルーズベルトの策略」という田母神俊雄・前空幕長の主張を巡り、秦郁彦氏ら実証史家が批判されるようになった。

 ノンフィクション作家の保阪正康氏は「史実より解釈を優先する左翼の特徴が、敵を失った保守の内部に現れた」と分析する。

 第3の保守系誌「WiLL」の創刊(04年11月)もあって、読者が減り始めた。最後の2年間は、元の誌風に戻そうとしても、過激路線に嫌気が差した何人かの著者から執筆を断られたという。

 論の幅より過激な結論を好む読者も多く、「諸君!」は行き場を失い、最後は実売4万部を切った。

 「悪印象の染みついた『諸君!』をつぶして文春は良識を見せた」との評価もあるが、「良識」を発揮する言論の場は消えた。

 ◇「反米」抑圧 噴き出す極論

 「諸君!」休刊への道のりは、本当のテーマである「アメリカとの論争」を正面から構えられない保守論壇のストレスが、議論の幅を狭めてきた構図でもある。米国から受容させられた「東京裁判史観」を批判するにも、日米同盟の枠組みから出ることはできないからだ。そのストレスは時に極端な「反米史観」として噴き出した。

 親米を自任する岡崎久彦・岡崎研究所所長は、05年に検定合格した「新しい歴史教科書」を監修した。「元の原稿にあった米国が日露戦争以来、日本に戦争を仕掛ける気だったという陰謀説を全部切りました」。06年には靖国神社境内の戦史博物館「遊就館」の解説文から、米政府が反発した記述を除いた。岡崎氏は「反米的思想は直した」と胸を張るが、一時的にふたがされただけとも言える。

 東アジアに矛先が向いていた歴史修正論は、一歩間違えば日米同盟にひびを入れかねない。外務省が元米兵への謝罪に乗り出した背景には、90年代後半から続く保守論壇の屈折が影を落としている。

 ◇核論議、吟味の場なく

 6月5日、外務省所管の日本国際問題研究所での日米同盟に関するセミナー。米側から「日本は米国の拡大抑止(核の傘)を信用しているのか」と質問が出た。出席していた森本敏・拓殖大学大学院教授は「ここ数カ月、あちこちの日米セミナーは半分がこの議論だ」と嘆息する。

 不信の先には「日本核武装」への疑念がある。誤解を避けるには、日本でも核武装の不合理さも含め、さまざまな選択肢を吟味する核論議は避けられない。「国際政治、エネルギー、軍備管理、メディア。大きな枠組みで話したい」(森本氏)

 機運はある。西原正平和・安全保障研究所理事長(前防衛大学校長)や佐藤行雄・元国連大使は、複数の専門家や研究者から「議論の場を作りたい」と持ち掛けられた。だが、どれも実現していない。

 戦後、中国やインド・パキスタンの核実験が行われる度に、核武装論が現れては消えた。それが「言論の厚み」だったが、貴重な討議の場だった保守論壇は、「諸君!」休刊に象徴されるように、狭く過激になり、結果として米国の対日不信を増幅する皮肉な悪循環が生まれている。

 ◇佐瀬昌盛・防衛大学校名誉教授の話

 核問題は相当な勉強が必要だが、今は結論が先にあり、「核武装を」と言わなければ弱虫扱いだ。極論が除かれていく議論の舞台が減ってきている。オピニオンリーダーが世間に浸透する議論をするには困った状況だ。

毎日新聞 2009年6月22日 東京朝刊

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