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社説

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アニメの殿堂―ハコ造りよりまず中身

 補正予算で117億円がついた「国立メディア芸術総合センター」、いわゆる「アニメの殿堂」建設が批判にさらされている。

 文化庁はマンガ、アニメ、ゲーム、コンピューターを使った美術作品などを「メディア芸術」と呼び、その国際的な拠点が必要だとしている。

 だが、当のマンガ家や研究者たちから疑問の声があがり、民主党は、バラマキの象徴として、政権をとったら真っ先に中止する対象にしている。

 予期せぬ予算がついて文化庁は大慌てだ。景気対策だから早く工事を始めなければと、肝心の中身の議論は置いてけぼりにされている。

 収蔵品をどう選び、どう展示するか。建物の設計を左右するはずのことさえ決まっていない。運営は民間に委託し、費用は入場料などで賄うという。そんな体制で「拠点」にふさわしい資料収集、保存、研究、展示を続けられるのか。準備不足で空虚な「ハコ」ができないか心配だ。

 マンガやアニメは、現代日本を代表する文化の一つである。海外への影響力も大きく、産業としても観光資源としても期待されている。この分野の研究や情報発信を国が支援することには十分な意味がある。

 これまでは個人が集めた資料が、研究や普及に大きな役割を果たしてきた。その熱意を引き継いだ研究・文化施設も各地にできている。

 「京都国際マンガミュージアム」は京都精華大学と京都市が06年につくった。閉校した小学校を使い、整備費は12億円だった。寄贈されたものを中心に30万冊の資料をそろえる。昨年度は28万人が訪れ、1割が外国人だ。海外のメディアや研究機関からの問い合わせも多い。

 東京では、明治大学が国際的な研究拠点作りをしている。この夏、先行して図書館を開館し、多様な資料の収集も進む。数年のうちに大規模な施設を整備し、一般にも開放する計画だ。

 国の機関では、国会図書館がマンガやアニメDVDも集めているし、近代美術館にフィルムセンターもある。

 こうした施設と連携を深め、その上で政府がやるべきことを検討すれば、実のある施策ができるはずだ。

 横断的なデータベースや総合的なウェブサイト作り、多くの言語への翻訳と発信など、個別の施設には荷が重い仕事はたくさんある。若い作り手の育成も重要な課題だ。そういう事業を中心に据える柔軟な発想がほしい。それでどうしても建物が必要ということになれば、改めて検討すればいい。

 ハコものづくりを優先するいまのやり方は、現代の大衆文化を大事にしようと、せっかく高まっている機運に冷や水を浴びせる結果を招きかねない。それは何より不幸なことだ。

国交省談合―天下りと無駄の大掃除を

 これでは、「国土談合省」とでも呼びたくなる。

 連綿と続いてきた天下りを維持するために、発注先の業界の談合を仕切り、高値で公共事業や請負業務を落札させる。そんな官製談合が国土交通省で3年連続して発覚した。

 今回、公正取引委員会から官製談合防止法に基づく改善要求を受けたのは、北海道開発局が発注した公用車の管理・運転請負業務だ。

 公用車のハンドルは、委託された外部業者の運転手が握っていることが多い。北海道開発局では、その業務を歴代OBが天下っていた業者が随意契約で独占的に受注していたが、02年になってやっと指名競争入札が導入された。

 ところがその後も、北海道開発局が指名業者名など入札に関する情報を、天下ったOBに伝え、そのOBが落札業者を決めてきたというのだ。

 いつもながらの典型的な官製談合である。北海道開発局では昨年も、農業・河川事業をめぐる官製談合が摘発され、現職の局長が逮捕された。その前年には、本省の技術官僚トップにいた元技監らによる水門工事談合が公取委から指摘されている。

 国交省は政府発注の公共事業の8割を扱う。他省庁や自治体に談合防止を求める権限も持つ。本来、範を示すべき役所の常習的な官製談合は、組織犯罪というしかない。

 官製談合を根絶するための策ははっきりしている。天下り自体を全廃することである。

 ただちにやめることが難しいなら、天下り先の業者を入札の指名から排除したり、制限したりするといった経過措置をとるべきだ。

 公正な入札が行われた場合より高値で発注されたということは、その差額分の税金が食い物にされたということに他ならない。

 国交省は業者だけでなく、職員にもきちんと損害を賠償させなければならない。官製談合防止法が発注側にこのことを義務づけているのは、職員にも経済的責任を科すことで、官製談合の抑制につなげようという狙いからだ。

 そもそも、どうしても車が必要なときは、職員自身が運転すればすむ。電車やバスといった公共交通機関を利用できる場合もあるはずだ。

 こんな無駄が長年まかりとおってきたのも、道路や河川事業に必要以上に予算がついてきたからだろう。それぞれの部署や出先機関に割り振られた予算を、「自分たちの金」と勘違いしているとしか思えない。

 毎年、こんな官製談合の実態を見せつけられては、政府の「無駄ゼロ」のかけ声はむなしい。将来、増税を求めようとしても国民からの理解は得られないだろう。

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