中東・アフリカ

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イラン:ムサビ氏、運動「変質」に苦慮

 【テヘラン春日孝之】大統領選後の混乱に揺れるイランの行方は、「開票の不正」を理由に再選挙を求め、抗議行動を主導してきた改革派ムサビ元首相(67)の動向に左右されるとみられるが、ここ数日、国民の前に姿を見せていない。運動が次第に「反体制」色を帯びる中、運動の方向性を見定められずにいる可能性がある。

 ムサビ氏は抗議行動を体制内の「世直し」と位置付ける。「不正やうそは国家と国民を対立させ、体制を揺るがす」と主張、「手遅れになる前に修正を」と訴えてきた。

 選挙戦で出馬の動機をこう語った。「イスラム革命(79年)を起こしたのは、イランが中東一の大国になり、地域の模範として影響力を行使するためだ。だが、今の政権は非現実的な外交で国家の威信とメンツをつぶしてしまった」

 体制の将来への危機感が駆り立てたというわけだ。そこに噴き出た「大規模で組織的な開票不正」。ムサビ氏は「体制を守るには、不正で権力を得る者には従わない。これが革命のメッセージだ」と強調。「殉教」も辞さない覚悟を示す。

 最高指導者ハメネイ師は、ムサビ氏らの異議を追い払うことで逆に体制の威信を保とうとしており、両者の対決は、革命体制の存亡を懸けた究極の路線対立とも言えそうだ。

 だが、ここ数日のデモは反体制運動の性格を強めている。テヘランで毎晩の恒例になった、屋上などでの抗議スローガンの唱和には「ハメネイに死を」という言葉も交じり、15日のデモ行進当時に比べ、運動は確かに変質した。

 ムサビ氏には、「敵(反体制派や外国勢力)に利用されることを本意としない」との思いがあるようだ。「革命体制の本流を歩んだ」との自負が強いとみられるからだ。

 革命の指導者ホメイニ師の「秘蔵っ子」として体制基盤構築に重要な役割を担い、イラン・イラク戦争中の混乱期と重なる81~89年にハメネイ大統領(現・最高指導者)の下で首相を務めた。

 ハメネイ大統領と経済運営などを巡り深刻な路線対立に陥ったが、89年にホメイニ師が死去するまで、同師の庇護(ひご)を受けた。革命原理回帰を訴えながら、体制崩壊への水門を自らが開けることになれば自己否定につながりかねないのだ。

 【ことば】ミルホセイン・ムサビ氏

 ハメネイ師と同様に少数民族アゼリ系で、同師とは遠い親類とも言われる。テヘランの大学で建築学を学び、反王制運動で投獄経験も。89年の首相退任後は政界を退き「イラン芸術学院」を設立して、今も会長を務める。画家でもある。妻のザハラ・ラフナバルさんは元大学学長で芸術家。「女性の権利向上」を訴える妻と二人三脚で選挙を戦った。

毎日新聞 2009年6月25日 20時33分(最終更新 6月25日 20時33分)

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