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【社会】

寮追われ無一文…故郷まで130キロ歩く 『派遣切り対策を』 日産など提訴の岡田さん

2009年6月24日 夕刊

日産自動車を提訴し、会見する岡田知明さん(右)ら=5月12日、横浜市中区で

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 寮を追い出され、無一文で故郷まで130キロ、6日間歩いたが、実家は既になくなっていた−。派遣切りは無効として雇用継続を求め、日産自動車と派遣会社の提訴に踏み切った元派遣社員岡田知明さん(35)は「企業の都合で解雇され求職もない。国や企業は対策を取ってほしい」と訴えている。

 岡田さんは二〇〇四年九月から神奈川県内の日産や日産車体の工場で、派遣社員や期間工として勤務。今年一月、派遣会社から突然、二月末での解雇を通知された。

 ハローワークに通い必死に仕事を探したが、職は見つからなかった。

 住んでいた寮の退居期限の三月三十一日。運悪く全財産十三万円が入った財布をJR川崎駅近くで紛失。「今日追い出されるのに無一文で寮には戻れない」。電話を借りようと駆け込んだ川崎の交番では相手にされなかった。頼る人が思い当たらず、音信不通だった群馬県伊勢崎市の実家まで歩こうと決めた。

 国道1号で東京に向かい、国道17号で北を目指した。冷え込みを避けて昼間、公園のベンチで横になり、夜中に歩き続けた。道中、コンビニの店員から廃棄弁当をもらい、公園で水を飲み、渇きをいやした。

 六日目、伊勢崎市に到着したが、実家があった場所は駐車場に。ぼうぜんと立ち尽くした。仲の良かった姉の携帯電話はつながらなかった。一瞬「死のうか」と思ったが、「ここであきらめたら何のために生きてきたんだ」ととどまる。現地の交番で知人に連絡。五千円を借りて電車で神奈川県に戻った。

 岡田さんは派遣会社と交渉し、しばらく平塚市の寮に住んでいたが、会社から退寮を促され、横浜市のアパートに。月七万九千円の生活保護を受けながら仕事を探すが、不安で眠れない夜が続く。「派遣はこりごり。仕事をしてたまには友達と遊ぶ。そんな普通の生活がしたい」

 

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