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ニューライトの名付け親、「時代精神」安理事長(4/5)

2009年韓国の模索

◆「わたしを見て、日帝時代を美化していると言うが…」

-ニューライトの歴史観は、既存の民族主義歴史観と衝突する部分が多い。日帝時代の経済成長や資本主義発展など世界レベルでの契機を強調しつつ、韓半島(朝鮮半島)内部で繰り広げられた対立や矛盾を重視しない。

 「ニューライトには日帝時代に対する研究能力がなく、落星垈経済研究所について話しているようだが…。進歩が保守を非難するために、保守団体は日帝時代を美化しているという。保守は日帝時代について語らない。落星垈研究所では、日帝時代になぜ近代的な変化が起こったかと主張したのか。韓国の近代史は、基本的に西洋文物を輸入するキャッチアップ過程だ。それが文明開化運動だった。植民地時代だといっても、文化の開化運動がなかったわけではない。帝国主義国家が植民地を前近代の状況で放置しては、どうして統治できるだろうか。統治の費用が莫大(ばくだい)になる。金融、財政、土地所有制、私有財産制、戸籍制、学校施設、司法制度などをすべて変えた。なぜ変えたのか。植民地社会を発展させなければ、統治費用が莫大になるからだ。植民地統治者の立場からすると、植民地を開発しなければ輸入を確保できない。だから近代化、工業化を指導したのだ。この過程で韓国人が受けた苦痛は、言葉で表すことはできない。ならば、なぜ落星垈研究所は近代的側面だけを明らかにしたのか。日本を称賛するためではなく、キャッチアップする社会の特徴がどのようなものか、低開発国の社会における発展的な側面を研究するためだった」

◆「国史学界は“飯の種”を独占しようとしている」

-解放後の韓国社会が経験した独裁と腐敗、人権弾圧についても、寛大な解釈を行っているようだ。

 「建国後、韓国社会の発展の動力を探ることに焦点を合わせて見ているため、そうなるのだろう。現行の高校近・現代史の教科書は、あまりにも(民衆)運動史中心で記述されている。近代社会は前近代とは異なり、経済が中心となる社会だ。この時代について書こうとすれば、社会科学的に焦点を当てる能力が必要となる。韓国史を専攻する人の中で社会科学的に焦点を当てる能力を持った人は、ほとんどいない。政治・経済を知らない人が近・現代史を書くために、運動史中心で道徳的に判断することしかできない。民族の利益に合うかどうかだけを問う。国史学界は道徳的な判断にはまり込んでいる」

-歴史学界からは、代案教科書の執筆陣に歴史を専攻した人物がいない、という批判が出ている。

 「政治、経済、社会、音楽、芸術史、文学史など分野別の歴史は、該当する学科が担当する。飯の種を独占しようというのではないか。政治、経済を知らず近・現代史を書く能力がない、と告白しているならともかく…」

-ニューライトは前政権を「失われた10年」と呼んでいる。こうした評価は正当なのか。

 「そうだ。過去10年の歴史の発展の方向は、道から外れていたと考えている。太陽政策、参与民主主義、反米主義、これらをまとめて言えば自主路線、“民族同士”路線だ。これらは、韓国近・現代史の基本的な発展の方向に逆行する」

キム・ギチョル記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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