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ニューライトの名付け親、「時代精神」安理事長(3/5)

2009年韓国の模索

◆「わたしを親米・親日派と非難するが…」

-上海臨時政府の意義への評価があまりにも低いのではないか。保守陣営内の対立を呼び起こしかねない。

 「独立運動を行った人物だけが大韓民国の正当性を備えているわけではない。不幸にも、1948年の建国は独立運動によってのみ達成されたものではなく、自由主義陣営がファシズム陣営と戦い、勝利したからこそ可能だった。独立運動が48年の建国の唯一のきっかけだったと言うのなら、歴史的事実に反することになる。大韓民国を建国する際、独立運動を行っていた人々だけが中心になったのではない。植民地内で教育を受け、知識と能力を蓄積した人々が参加した。植民地が近代国家を形成しようとするなら、独立精神だけを持って成し遂げるのではない。それを支えることのできる専門性が伴なわなければならない。李承晩元大統領は、民族の反逆者を排除し、親日派まで起用し建国した。そのため左派は、大韓民国の正当性は疑わしいと主張する。大韓民国建国の国際的契機を理解できないがゆえに、そういうことを言うわけだ。植民地を経験した国で国家を形成する際には、自主路線だけではなく、国際協力路線を歩まなければならない。韓国の場合、韓米同盟が決定的に重要だった。軍事・安全保障分野での米国の協力なくしては、どうして韓国を守ることができるだろうか。産業化も、外国との技術・資本・制度的協力なしに可能だっただろうか。大韓民国の発展は自主・自生的発展過程ではなく、先進国に追いつく“キャッチアップ”過程だった。このように説明すると、わたしを親米・親日派だと非難する。進歩的知識人は、韓国の歴史が歩んできた過程を全く理解せずにいる。イギリスのような先進資本主義国家ではなく、ドイツ・日本・イタリアといった後発の諸国は、産業革命はあったが市民革命はなかった。韓国よりもさらにひどいファシズムを経験した。韓国では市民革命も産業革命もなく、先進国に追いつくキャッチアップを通じ、ここまでやって来た。これが韓国の歴史だ。スカルノ(インドネシアの元大統領)やネルー(インドの元首相)は皆失敗したではないか」

-外国の土地で数十年間苦労を重ね独立闘争を繰り広げた臨時政府を、そのように評価するのは厳しい。

 「上海臨時政府は韓国の独立運動の主流ではあったが、米国の李承晩を中心とする外交活動、満州の社会主義武装闘争もあったではないか。臨時政府だけが独立運動を独占するのは難しい。上海臨時政府の独立精神を受け継いだことは否定しないが、その時に大韓民国が誕生したと言うことはできない。そうなれば、1948年の歴史的意味が小さくなる」

 安理事長は、「研究者は事実が生命だ。事実と異なる話をするならば、学問をやめなければならない」と語った。

キム・ギチョル記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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