Print this Post Article Lists Back

ニューライトの名付け親、「時代精神」安理事長(2/5)

2009年韓国の模索

◆「大韓民国を認めない進歩、自由主義を留保してきた保守」

-ニューライトだけでなく、保守・進歩を問わず知識人の役割が以前ほどではなくなっているようだ。

 「進歩的知識人は、韓国社会が進む方向を明確に提示できずにいる。大韓民国は民主化と産業化を通じ、先進国並みの社会となったが、こうした現実を受け入れず否定的な視点で見るため、代案がない。大韓民国の正当性を積極的に評価せず、回避する。これではどんな展望があるといえるだろうか」

-保守系知識人も、同じようだが。

 「保守の自由民主主義は、反省すべきところが多い。権威主義と独裁、反共体制の下で自由民主主義を留保してきた。国民の一部を排除しなかっただろうか。保守陣営で新たに実現する民主主義は、そうした限界を克服しなければならない。韓国は経済発展と民主化を達成し、高度に発展した自由民主主義社会となった。政治理念としては、自由民主主義と社会民主主義が共存できると見ている。大韓民国の憲法体制を認める合法的土台の上で、両陣営が競争する社会を作ろう、ということだ」

◆「今日の大韓民国を作ったのは1948年の建国」

-2008年に建国60周年の記念行事を終えた一方で、1919年の上海臨時政府樹立を建国の基点とすべきだ、という批判も提起された。ニューライトは1948年の大韓民国政府樹立を高く評価しているが、上海臨時政府についてはどう見るか。

 「1948年の建国の意味は極めて大きい。新憲法は、当時先進国が実現していた最も進歩した市場経済体制をすべて取り入れた。私有財産制度と自由競争、民主主義…。それ以前に、こうした憲法体制を築くだけの土台はまるで存在しなかった。事実上、無から有を創造したわけだ。ここで大韓民国が発展する土台を固めたことから、48年が大韓民国史上有する意味は、計り知れない。大韓民国が上海臨時政府の独立精神を継承したという点は認めるが、臨時政府が完全な国家だったかについては、異見の余地がある。国家の構成要素は主権・領土・国民だが、19年の段階でこうしたものがあっただろうか。上海臨時政府は少数の独立運動団体であって、それ自体が国家ではなかった。こうした点から判断すると、大韓民国を建設したのは48年だった」

キム・ギチョル記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

このページのトップに戻る