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さらば、すき焼き 文人の宿「日吉館」、22日取り壊し

2009年6月21日15時30分

写真:「旅舎 日吉館」の看板を背にするおかみの田村キヨノさん(故人)。揮毫は会津八一=1993年1月、奈良市登大路町「旅舎 日吉館」の看板を背にするおかみの田村キヨノさん(故人)。揮毫は会津八一=1993年1月、奈良市登大路町

写真:取り壊される日吉館=奈良市登大路町取り壊される日吉館=奈良市登大路町

 古都・奈良を訪れる文化人や学生に愛された旅館「日吉館」(95年廃業、奈良市登大路町)の取り壊し工事が22日から始まる。名物旅館が消え去ることに、かつての常連客からは惜しむ声が上がる。日本画家の平山郁夫さん(79)もその一人だ。

 名勝・奈良公園の一角にある日吉館は木造2階建てで、奈良国立博物館の北側、東大寺の南西に位置する。創業は1914年。宿泊者名簿には志賀直哉、広津和郎、土門拳、家永三郎ら500人超の文化人の名前が残り、看板の「旅舎 日吉館」の文字は歌人の会津八一が揮毫(きごう)した。

 おかみの田村キヨノさん(故人)は、時にすき焼きなどをふるまって採算を度外視して貧乏学生らをもてなし、「おばちゃん」と親しまれた。95年6月に廃業し、キヨノさんも3年後に亡くなった。その後は使われることなく、老朽化が進んだため、所有者が今春、文化庁に取り壊しを申請していた。

 平山さんが東京美術学校(現東京芸大)の学生時代の1949年、初めて奈良に写生に訪れたときに泊まったのが日吉館だった。当時19歳。「質素な旅館だったが、いろんな文人や学者が泊まったと聞いて感慨があった」。平山さんの絵は奈良を出発点に、アジア、中東へとシルクロードをさかのぼっていく。その最初の拠点となった。

 金がないときには布団部屋に泊めてもらい、格安にしてもらった。忘れられないのはやはりキヨノさんのすき焼き。「コメが少ない時代にどこから肉を調達したのか。とにかく食えなかった時代だが、鍋のつゆまでみんなで飲んだ」。一方で朝寝でもすると「しっかり勉強してきなさい」と怒られたという。

 卒業後も毎年訪れ、東京芸大の学部長や学長になってからも顔を出した。日吉館が最後を迎えることに「赤茶けてまだらになった戸を今も思い出す。我々の青春の歴史が閉じられ、今後はずっと夢の中で続いていくということですね」と話した。(土居新平)

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