松茸と昆布の由緒正しい歴史

  たかまつの このみねもせにかさたてて みちさかりける あきのかのよさ

(万葉集)より

 秋の味覚の王者として名高い”松茸”は平安の昔より歌に詠まれたり、貴族や宮中人たちの遊びとして秋の季節には松茸狩りが盛んに行われていました。

 宇多天皇(八八七ー八九六)のころに、素性(そせい)法師の歌の詞書に、「北山に松たけとりにまかりける」と記しています。室町から安土桃山時代にかけて政治が京都で行われている頃には、料理材料として用いられていることや宮中に対する進上物の中にも松茸があることが書かれています。徳川時代には各藩が特産として献上していたものの中に洛外・山城や丹波の松茸がでており、特に丹波山地方の各藩(亀山、笹山=篠山、柏原など)からの献上記録が残っています。

 かたや昆布は、はるか奈良時代より献上品として用いられていたことが記されており、貴族や宮中人の間で珍重されていたあわびと共に貴重な海の幸でありました。また、寺院では中国からの豆腐湯葉など大豆製品の渡来とともに精進料理には欠かすことの出来ないものとなり現在に受け継がれています。

 北海道から日本海を通り福井県の小浜や敦賀に荷揚げされ、琵琶湖を経て京・奈良の都へ運ばれていた昆布は、江戸時代に入り北前船の出現で瀬戸内海を経由して天下の台所である大阪へ集積されるようになりました。大阪の気候が昆布の保存によくあったことと、堺の利器(刃物)、湯浅の醤油、伏見や灘の酒、みりん、酢などの生産地が近くにあったことから昆布加工が盛んになり、昆布製品が大阪の名物にまで至ったわけです。

 このように松茸も昆布も、それぞれ献上品として格調高い伝統を持った素材で、その二つを合わせることで松茸昆布として現代にその味を受け継いでいます。

 松茸昆布を食べる時は平安時代の雅な雰囲気を思い浮べながら食べましょう。

参考文献「松川 仁 著  キノコ方言図譜」東京新聞出版局