自分が「論破」されているのも無自覚のまま、
未だ、中学生以下のど素人解釈をかきなぐり、
失笑モノの「裸踊り」を続ける無許可の
「コピペ屋」、哀れ!見殺しにされ晒されたままの
無残! |
無許可の「コピペ屋」らが必死にすがりついている地裁判決は、つぎのように断定しました。「他に本件検察官発言を真実と認めるに足りる証拠はない」(21頁5行)。
矢野議員が言及した「検察官発言」は真実ではない、と断定し、「朝木市議転落死事件が他殺であり、これに原告(創価)が関与しているとの摘示事実につき、その重要な部分について真実であることの証明はなく、また、被告らにはこれを真実と信じたことについて相当の理由もないから、被告らは原告に対し、連帯して名誉毀損につき不法行為責任を負うというべきである』」と決め付けていたのです。
ところが、とうとう 無許可の「コピペ屋」は、
「東京高裁判決が「『検察官発言』はなかったとか、『検察官発言』が客観的真実に反するというような認定は一切していない」のは事実です。」と白状しました。つまり、繰返して指摘してきたとおり、最高裁確定判決は愚かな地裁判決を否定していることは説明の必要がありません。これで、無許可の「コピペ屋」は、自分のど素人解釈が破綻したことを、ようやく自覚することになったのです。
上に指摘したように、最高裁確定判決は、「上記判断と結論を異にする原判決中控訴人敗訴部分を取り消し、被控訴人の請求をいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する」と明確に結論づけており、『検察官発言』はなかったとか、『検察官発言』が客観的真実に反するというような認定は一切していませんから、矢野議員が言及した「検察官発言」はなかったと断定した地裁判断が取り消されたことは議論の余地がありません。
ところが、無許可の「コピペ屋」は、まだど素人の屁理屈をこね回しています。見てやってください。
「しかし同時に、『「検察官発言』が実際にあったとか、『検察官発言』は客観的真実に基づくものであるという認定も一切していません。「創価学会が朝木明代市議を殺害したとの印象を持つことはない」として名誉毀損性が否定された以上、この点に関わる判断を行なう必要はないのです」とまだ懲りずに叫び続け、100%のまじりっけなしの愚か者ぶりを天下に晒し続けています。
最高裁確定判決は、矢野議員が言及した「検察官発言」はなかったと断定した地裁判決を取り消していて、『検察官発言』はなかったとか、『検察官発言』が客観的真実に反するというような認定は一切していないのですから、すでにこれだけで十分で、特にそれ以上の言及も認定もする必要がないことは、普通の読解力のある方ならすぐにわかるお話です。最高裁確定判決のどこに地裁判決が一部でも容認され生き残っているか!??
悔しかったら、ど素人解釈でなく、最高裁確定判決(高裁第1民事部判決)のどこに地裁判決が一部でも容認され生き残っているか、はっきりと示しなさい!愚か者めっ!
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本紙が正しくは「摘示事実」だと、わざわざ警告した後も、
未だに依然として訂正すらしないで
「適示」と記述し続ける100%のど素人=「無許可のコピペ屋」
あれあれ、2ちゃんねる書き込みまで動員し、ますます深みに。
何をやっても、哀れ!晒されたまま見殺し。 |
「
「無許可のコピペ屋」は「フォーラム21」最高裁確定判決を、ど素人にもかかわらず、破れかぶれのなりふり構わぬ没論理を書きなぐりつづけています。あまりのひどさに、忠告してあげる仲間もいないようですね。忠告したとたん、逆に噛まれて大怪我しかねない、ですからね。
「無許可のコピペ屋」について、本紙はブログ名で呼ぶことも過去にはありました が、この無知無能がある以上、今後、「無許可のコピペ屋」という呼称を使用することとしました。くれぐれも、取り違えのないように願います。無内容没論理の錯乱ぶり、そのひどさが理由というわけです。ワッハッハッハッ!
とくに、無許可の「コピペ屋」は、自分で
「東京高裁判決が「『検察官発言』はなかったとか、『検察官発言』が客観的真実に反するというような認定は一切していない」のは事実です。」と白状してからの文字通りの錯乱ぶりには、手がつけられませんねぇ。
その錯乱に、も一つ手を貸してあげましょう。上の欄で、 脳内血行障害の「無許可のコピペ屋」らに結論を提示してあげました。
脳内血行障害の「無許可のコピペ屋」らが必死にすがりついている「他に本件検察官発言を真実と認めるに足りる証拠はない」(21頁5行)地裁判決は取り消されていない、と未だに叫んでいるからです。
つまり、
「最高裁確定判決は、矢野議員が言及した「検察官発言は「『創価学会(信者)』が事件に関与した『疑い』が『否定できない』」というものであると認定し(9頁14行以下)、『検察官発言』はなかったとか、『検察官発言』が客観的真実に反するというような認定は一切していないのですから、すでにこれだけで地裁判決が取り消されているという根拠は十分で、特にそれ以上の言及も認定もする必要がないことは、普通の読解力のある方ならすぐにわかるお話です。」
したがって、問題は、「無許可のコピペ屋」らが、「他に本件検察官発言を真実と認めるに足りる証拠はない」(21頁5行)と決め付けた地裁判決が取り消されていないといいたいのなら、「最高裁確定判決のどこに地裁判決が一部でも容認され生き残っているか!??」その動かぬ証拠を、最高裁確定判決(「東京高裁第1民事部判決」)からみつけだしてこなければ、全巻の終わり!だということくらいは、気づくんじゃないですか?脳細胞が破壊されていなければ、ですがね。
なお、普通に、判決や名誉毀損の法理が読めて理解できる人は、最高裁確定判決(「東京高裁第1民事部判決」)が、「フォーラム21」掲載の対談記事(による摘示事実)には真実性、相当性はないとした地裁判決を、全部取り消した上でなければ、「フォーラム21」掲載の対談記事には名誉毀損性自体がない、という判断ができないことくらい、わからないような人はおりません。せっかく「適示」ではない、「摘示」だよと親切にも教えてあげたのに、「無許可のコピペ屋」はいつまでたっても、これがわからない!単純な「誤字」 ではなく、名誉毀損法理を全くしらないという自己暴露でしょう。顔を洗うだけでなく、脳内をMRIか MRA 、いやCTスキャンくらいはしてもらってから、「無許可のコピペ屋」は出直すことを警告しておきましょう。放っておくと、手遅れになりますよ、ワッハッハッハッ!
もう脳内メチャメチャかもね!
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最高裁確定判決のどこにも、地裁判決が容認され生き残っている証拠を見つけられず、「検察官発言」を「真実と認めるに足りる証拠はない」(21頁5行)とか「フォーラム21」掲載の対談記事は「朝木議員が殺害された事件に創価が関与している」と書いている(事実を摘示している)が、この摘示事実には真実性、相当性はない(つまり、ウソ)と決め付けた地裁判決が全部取り消されていることを認めざるをえなくなった無許可の「コピペ屋」は、とうとう遁走し始めました。 |
最高裁確定判決は、
「本件記事は、朝木市議転落死事件が、朝木明代市議の自殺であるとして捜査は終結されたが、その後新たに判明した事実によれば、何者かによる『他殺』であること、今後は更なる真相究明とともに犯人の検挙が望まれることを訴える趣旨の記事であることは読み取れるが、本件記事が、特定の個人なり、団体なりを朝木市議を殺害した犯人であると断定するものであることまでは、到底読み取ることはできない」(9頁19行以下)として、この記事が名誉毀損だとする創価本部の主張を全部斥け、「検察官発言」を「真実と認めるに足りる証拠はない」(21頁5行)とか、つまり「ウソ」だとときめつ、「フォーラム21」掲載の対談記事は「朝木議員が殺害された事件に創価が関与している」と書いている(事実を摘示している)が、この摘示事実には真実性、相当性はない(つまり、ウソ)と決め付けた地裁判決を全部取り消したのです。。
無許可の「コピペ屋」は、
「東京高裁判決が「『検察官発言』はなかったとか、『検察官発言』が客観的真実に反するというような認定は一切していない」のは事実です。」と白状しました。つまり、繰返して指摘してきたとおり、最高裁確定判決は愚かな地裁判決を否定していることは説明の必要がありません。これで、無許可の「コピペ屋」は、自分のど素人解釈が破綻したことを、ようやく自覚することになったのです。
そして、最高裁確定判決(高裁第1民事部判決)のどこにも、地裁判決は容認されておらず、全く生き残っていない事実をつきつけられて、言葉がでなくなり、ついに遁走し始めました。ワッハッハッハッ!
ど素人がむきになっても無駄!「摘示事実」は気づかなかった、というレベルの問題ではありません。いくら言い訳しても、ど素人のオツムの中身は隠せないもんです。図星でしょうが、そんなに悔しがらずに、まっ、名誉毀損の法理を一からしっかり勉強することですネ。 |
商標登録を単にコピペして無意味な主張をした
「親創価ネット族」、「無許可のコピペ屋」をみるにみかね、また登場。ですが、自分の引用文書で、強烈な「オウンゴール」!
(「××の一つ覚え」しかも詭弁にもならない無知無能のデタラメ、壊れた蓄音機のように繰返す「無許可のコピペ屋」よりはマシですがね。もっとも、根拠として引用した文書は、論証しようという向きとは全くベクトルの向きが全く逆になってますが、お気づきですか!?矢印の向きがを180度違ってるのに、平気で、結論を原因にしたままの「無許可のコピペ屋」よりはマシですがね) |
無許可の「コピペ屋」は、自分で
「東京高裁判決が「『検察官発言』はなかったとか、『検察官発言』が客観的真実に反するというような認定は一切していない」のは事実です。」と白状してからの文字通りの錯乱ぶりには、手がつけられませんねぇ。
このように「無許可のコピペ屋」は、「××の一つ覚え」しかも詭弁にもならないデタラメ、法例理解の無知、無能を繰返すのみで、依然として、100%の愚か者ぶりを自己暴露し続けていて、しかも、この「フォーラム21最高裁確定判決」問題を一番後ろに回して、人目につかないように、涙ぐましい愚かな努力を続けてますが、身の程しらずにも本紙に対して「リンクを張って」などと叫んでいます。あまりの無知無能ぶりに、ブログ名すら呼んでもらえない事態になっているのが、とんとわからないという哀れさ、です。まさしく、100年早いっ!お黙りっ、ってところで、ホントニ愉快な話です。
「無許可のコピペ屋」の「思考回路欠落」のあまりのひどさに、さすがに、お仲間も、みるにみかねて、商標登録を単にコピペして無意味な主張をした「親創価ネット族」が登場です。そして、今度は、裁判所書記官研修所監修「民事上訴審の手続と書記官事務の研究」(22頁)からの抜粋だ、そうです。
「続審制・・・・・・控訴審は第2の事実審として、第一審判決に対する当事者の不服主張の当否を審判するのに必要な範囲で、改めて事実認定と法律判断をし直すものであり、第一審の訴訟資料と控訴審で追加された訴訟資料とで、控訴審の弁論終結時において、第一審判決がなお維持できるか否かを検討する審理構造である。すなわち、第一審の続行としてその訴訟資料を引き継ぎ,更に新資料の追加も許し(更新権)、請求についての審判を行うという点では覆審的であるが、他方、第一審判決の存在を前提として、不服申立ての範囲内で第一審判決の当否の事後審査を行う点では、事後審的な性格を持つということができる。 控訴審で提出された訴訟資料を加え、これに基づき請求の当否を判断することによって、第一審判決の事実上及び法律上の過誤の是正を図ろうとするのである。」
つまり、引用文書は、控訴審は「改めて事実認定と法律判断をし直すものであり」とはっきりと指摘し、「第一審判決の存在を前提として、不服申立ての範囲内で第一審判決の当否の事後審査を行う点では、事後審的な性格を持つということができる。 控訴審で提出された訴訟資料を加え、これに基づき請求の当否を判断することによって、第一審判決の事実上及び法律上の過誤の是正を図る」のである、と明示し、控訴審はその「事後審」的性格から、「控訴審で提出された訴訟資料を加え、これに基づき」、請求の当否を「判断」する以上、「上記判断と結論を異にする原判決中控訴人敗訴部分を取り消し、被控訴人の請求をいずれも棄却する」とした控訴審判決が『原判決である地裁判決主文』に限定して取り消し、「地裁判決の判決理由」は取り消していないなどという解釈が生まれるはずがないことは、自明です。
ところが、この「親創価ネット族」は、わざわざ、
「仮に民事訴訟の控訴審が『事後審制』をとっているのであれば、東京高裁が東京地裁の判決(における控訴人の敗訴部分)を取り消したことをもって、東京地裁の判決理由が誤りだったと結論付けてもよいかもしれません。」といっています。
この思考回路の短絡ぶりには唖然とさせられます。この「親創価ネット族」は、
自分が引用した文書に、はっきりと、
「「第一審判決の存在を前提として、不服申立ての範囲内で第一審判決の当否の事後審査を行う点では、事後審的な性格を持つということができる。 控訴審で提出された訴訟資料を加え、これに基づき請求の当否を判断することによって、第一審判決の事実上及び法律上の過誤の是正を図る」のである、と明記されているのを、もしやネグって読んだのではないでしょうネ。
すでに明らかですが、この「親創価ネット族」の引用した文書が根拠付けているのは、控訴審判決は原判決主文に限定して取り消すものではなく、「控訴審で提出された訴訟資料を加え、これに基づき請求の当否を判断する」つまり、「控訴審で提出された訴訟資料を加え、これに基づき」、原判決の主文の根拠となった「判決理由」を「改めて事実認定と法律判断をし直すものであ」ることは、あえて指摘するまでもないことです。
結局、ごくろうさまでしたが、「最高裁確定判決は、原審地裁の判決理由を取り消してはおらず、原判決主文に限定して取り消した」と強調するこの「親創価ネット族」のお説は、自分で引っ張り出してきた引用文書で、もののみごとに、強烈な「オウンゴール」となったのでありました。
それにしても、ひどすぎ、ですねぇ。
矢野議員が指摘した「検察官発言」についても、再度指摘しておきますが、
最高裁確定判決は、「検察官の発言が『創価学会(信者)』が事件に関与した『疑い』が『否定できない』というものであること」(9頁14行以下)と認定しており、
「他に本件検察官発言を真実と認めるに足りる証拠はない」(21頁5行)と断定し「検察官発言」自体を「ウソ」だとした地裁判決が取り消されていることは、明白です。
これを否定したいのなら、
判決書を恣意的にど素人解釈するのではなく、最高裁確定判決(高裁第1民事部判決)のどこに地裁判決が一部でも容認され生き残っているか、はっきりと示すことです。
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