熊本県の蒲島郁夫知事が川辺(かわべ)川ダム計画への反対を表明し、国も計画の再検討を始めた。ダムは環境を壊し、想定を超えた超過洪水には無力と知った県民の圧倒的な「ノー」の声が、巨大ダム計画をここまで追い込んだのだ。国土交通省はダムに固執するあまり「治水か環境か」と国民に二者択一を迫ってきたが、実は「治水も環境も」両立できる技術を持つ。川辺川ダム建設断念を迫られた今こそ、それを使って治水を行い、地球温暖化で超過洪水の頻発が予想される未来型治水のモデルにすべきだ。
川辺川ダム計画(66年発表)がある球磨(くま)川水系には、100年に1度の洪水に対応できるとして建設された県営の市房(いちふさ)ダムがある。ところが完成から50年足らずの間に計画通りの洪水調節ができなかったことが3度もあり、うち1回は「ダム決壊の恐れがある」との情報が流れた。しかもダム下流には年中濁った水が流れ、砂れきの供給がダムで断たれた結果、瀬とふちが続く川本来の景観も失われた。
急流下りで知られる人吉市より下流の球磨川が、清流と呼べる水質と変化に富んだ川の姿を保っているのは、流域面積、流量ともに本流を上回る川辺川にダムがないからだと、住民は肌で感じとっていた。17年前、川辺川ダム建設予定地の下流で反対運動が始まり、たちまち大きなうねりとなったのはそのためだ。
そんな流域のダム反対機運を広く県民に共有させたのが、潮谷義子前知事が01年から始めた住民討論集会だった。川の情報を独占するプロ集団の国交省と、手弁当で活動する反対派が公開で論を戦わせるこの取り組みは、国に圧倒的に有利なはずだった。なのに、情報公開制度を使って反対派が同省から入手したデータは県民のダム不信を増幅させ、世論調査で「ダム反対」が半数を超えたのだ。
今春の知事選にダム推進を唱える候補が一人も立てず、推進の旗を振ってきた流域市町村の首長が相次いでダム反対や中立へとかじを切り始めたのも、その下地があったからだ。蒲島知事の反対表明はその集大成にほかならない。
ダムをやめれば水害が防げないと心配する人もいるが、杞憂(きゆう)だ。ダム無し治水に使えるノウハウを国交省はすでに持っているからだ。その一例が、満水になるまで耐えられ、越流しても急激には破堤しないよう堤防を強化する技術だ。
今の堤防の安全性は上端から下方に一定の余裕(球磨川は1・5メートル)を残した水位までしか保証されていない。これを満水でも耐えられるようにすれば、ダムの調節量くらい川で流せるようになる。超過洪水時にダムが調節不能に陥るのに対し、これなら予定の水量は川で流せ、たとえ越水しても一定時間持ちこたえるから壊滅的被害も防げる。
国交省はその設計指針を00年に策定し、全国の堤防を順次強化していくよう通達した。ところが、川辺川ダムの住民討論集会で反対派が堤防強化計画を根拠にダムを不要と主張した途端、設計指針を改定し、安全基準を昔の水準に引き下げてしまったのだ。
以来、堤防強化という選択肢を国交省は意図的に排除し、「ダムか水害受容か」と国民を脅してきた。河川整備に流域住民の声を反映させようと省自身で設置した近畿の淀川水系流域委員会が、ダム建設を否定して堤防強化を求めたのに、それを無視して整備計画案にダムを盛り込んだのがその象徴だろう。
だが、温暖化に伴う超過洪水の頻発に伴い、ダムに頼る治水は早晩破綻(はたん)すると国も覚悟している節がある。というのも、堤防の安全基準の引き下げ後、「技術的に未確立」としてタブー視してきた越水にも強い堤防の建設を今年6月、破堤災害などの被災個所に限って認める通知を出したからだ。技術的に可能と公認したわけで、あとは適用範囲を広げさえすればいい。
ほかにも、緊急時のみスライドさせて高さを上げられる特殊堤防など、すでに複数の河川で採用された技術もたくさんある。
この問題を取材してきた18年間に、現場で働く何人もの国交省職員から、ダム計画があるばかりに住民本位の治水に取り組めない苦悩を聞いた。今回の知事表明は、国交省がその愚を改めて潔く計画を中止し、職員が誇りを持って川づくりに取り組めるようにするチャンスでもある。
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毎日新聞 2008年9月17日 東京朝刊