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【社会】

「刑事の声怖かった」 菅家さんインタビュー

2009年6月10日 10時45分

 足利事件の再審請求で、17年半ぶりに釈放された菅家利和さん(62)が9日、本紙のインタビューに応じ、栃木県警の取り調べに対し、虚偽の「自白」をした経緯を振り返った。髪の毛を引っ張るなど暴力的な調べから自白に追い込まれたが、「やりました」と言った以上、説明しなければならないと考え、架空のストーリーを供述したという。

 【栃木県警は事件から1年以上、菅家さんを尾行。DNA型鑑定した体液の型が一致したとして91年12月、逮捕した】

 朝7時ごろ起きると、玄関をどんどんたたく音がする。「警察だ。菅家いるか!」って。ドアを開けたとたん、6人のうち3人がなだれ込んできた。「おまえ、子ども殺したな」と言われ、「殺してなんていませんよ」と否定すると、座った姿勢でひじ鉄を食らわされ、後ろにどーんと倒れた。むかつきましたよ、いきなり何をするんだって。

 【その日は日曜で、結婚式に出る予定だった】

 「そんなもん、どうでもいい」と怒鳴られた。警察署に連れて行かれて「子どもを殺しただろう」「やっていない」と押し問答を繰り返した。昼をはさんで午後も同じ繰り返し。夕飯後、また繰り返す。どうしても聞き入れてくれない。頭の毛を引っ張られ、け飛ばされた。それぞれ1回。

 【夜中になり、菅家さんは「やりました」と“自白”する。刑事のひざが涙でぐっしょり濡(ぬ)れた】

 とにかく怒鳴られて怖かった。イライラして、もうどうでもいいやという気持ちになった。早く楽になりたかった。刑務所とか死刑とか、家族のことも全然頭に上らなかった。なぜそんな心境になったか分からないけど、刑事の手を握り締めた。涙が止まらなかったのは悔しかったから。認めたら、刑事の態度が穏やかになってほっとした。

 【犯人にしか分からない犯行の詳細や遺体の遺棄場所などをどうやって供述したのか】

 現場検証のとき、遺体を捨てた場所が分からない。「ここです」とでたらめを言うと、警察は「違う、もう少し先だ」と言う。「そうかもしれない」と話を合わせた。合掌して、心の中で殺された女の子に「おじさんはやってないよ」と念じた。

 やりましたと言った以上、どう説明しようかと考え続けた。一生懸命想像して話を作った。ムラムラとして恥ずかしいことを夢想した後、女の子の首を絞めたことにした。女の子が裸だったことも、警察で「これが別に捨ててあった衣類だ」と見せられて初めて知った。それも、後から付け加えて供述した。

 【別の女児殺害事件2件(栃木県警が再逮捕後にいずれも不起訴)についても“自白”した。このうち、1件は被害者の遺体がリュックに入れられていた】

 警察から聞いて、リュックをごみ箱から拾った話を作った。そうしないと、取り調べに答えられない。1日中調べられるから苦しくて、何でもいいから早く終わらせたくて。自分の性格は、小さいときからおとなしくて、反論ができない。人さまに「そうだろう」と言われると「はい、そうです」と言ってしまう。

 【菅家さんは裁判が始まってから、犯行を否認したり、また認めたりすることを繰り返した。これも不自然だとされた】

 やっていないと言いたかったけど、刑事が傍聴していると思うと怖くて。(第6回公判で)否認したのは、その日は傍聴席に刑事がいない気がしたから。でも、その後また「どうせ聞いてもらえない」とあきらめて、認めてしまったりした。論告求刑で検察官が「極刑にしてほしい」という女の子の両親の言葉を読んだ。初めて死刑になる可能性に気付いて、「とんでもない」と思った。

 【求刑公判の後、見知らぬ人から手紙が来た】

 その人は支援者で、1カ月後に面会に来た。私のことを「信じる」と言ってくれたんですよ。家族も言わなかったのに…。それで強くなれた。やっていないと言おう、と思えた。

 【刑務所生活は過酷を極めた。それでも菅家さんは弁護士に「不自由はない」と話していた】

 6人部屋に入ったら、同じ房に悪いやつがいて「1週間で全部覚えろ」と言う。布団のたたみ方やトイレ掃除、食器の洗い方…。うまくできず、殴られて肋骨(ろっこつ)が折れた。水を張った洗面器に顔を漬けられ、殺されると思った。急所をけられ、他人の小便や大便を食えとも言われた。医務室の先生に「やられたか」と聞かれたけど、最初は「何もされてません」と答えた。弁護士の先生には言わなかった。言ったら、殺されてしまうと思ったから。

 【獄中の17年半を経て、これからやりたいこと】

 私が捕まったショックで父親は死んでしまったし、母親も2年前に亡くなってしまった。逮捕されるまで、交通違反も含め、一度も警察の世話になったことはない。警察は市民の味方だとずっと思っていた。

 今までの人生は返ってこないけど、これからは冤罪で困っている人たちを支援したい。自分も支援してくれる人たちがいたから、ここまでやってこられた。取り調べの録音・録画があれば、今回のようなことは起きなかったと思う。DNA型鑑定も、逮捕の時だけ使うのではなく、冤罪だと主張する人に再鑑定する制度を法律でつくってほしい。

   ◇◇◇

 菅家さんは現在、住まいが決まっておらず、一時的に足利事件弁護団の主任弁護人、佐藤博史弁護士の自宅に滞在している。最近はレンタルビデオ店に行き、大好きな寅(とら)さんが出ている「男はつらいよ」と、時代劇「必殺仕事人」を借りた。佐藤弁護士と本屋に行った時は、レジで店員から「菅家さんですね、おめでとうございます!」と握手を求められたという。

 今回の再鑑定で否定されたDNA型鑑定が証拠になっていることを菅家さんが知ったのは、裁判が始まってから。「取り調べで、DNA型鑑定の決定的証拠を突きつけられて観念した」というもっともらしい話も、菅家さんの認識とは異なる。

 菅家さんは釈放後に出演したテレビ番組で、司会者に「こうして女の子の首を絞めて…」と虚偽の自白内容を説明した。佐藤弁護士は「実際は自白をさせられた場面を再現しただけだが、スタジオには『やはり真犯人か』と緊張感が漂った。弁護士も誤解しそうになるほど“完ぺきな自白”をしてしまう。だけど、ちゃんと話を聞けば誤解だと分かるんです」と話す。

 佐藤弁護士は言う。「冤罪の結果、女の子たちを殺した真犯人が逃げている。このおそろしい事実をどう考えるか」

(中日新聞)

 

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