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「支援者に感謝」 足利事件 菅家さん釈放

2009年06月05日

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釈放後の記者会見で、満面の笑みを見せる菅家さん=4日午後5時20分、千葉市中央区

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女児が遺棄された河川敷。写真左の土手沿いに、女児がいなくなったパチンコ店の駐車場がある=4日午後、足利市岩井町

 足利事件で無期懲役刑に服していた菅家利和さん(62)が4日、一転して釈放された。弁護団や支援者が喜びを爆発させる一方、捜査関係者は「信じられない」と言葉を失った。発生から19年。足利市の現場周辺では、DNA型鑑定に翻弄(ほん・ろう)された事件に、当時を知る人たちが思いを巡らせた。

◇「犯人ではない」強調
 千葉市内のホテル。菅家さんは「私は犯人ではありません」と1時間にわたって力強く話した記者会見の最後、事件当初から支援を続けてくれた西巻糸子さん(59)に向かって、「本当に感謝しています。西巻さんがいなければ、今日という日はこなかった」と話した。

 西巻さんは「菅家さんを支える会・栃木」の代表。釈放の瞬間を「夢のようだった」と振り返った。

 足利市に住む西巻さんは、菅家さんが幼稚園バスの運転手をしていた当時、別の幼稚園で送迎バスの運転手をしていたという。「子どもが好きなのと、子どもが好きで殺してしまうのは違う。菅家さんは、そんな人じゃないとずっと思っていた」と、独自に支援を続けてきた。

 月1回のペースで面会を続け、この日は弁護士とともに、千葉刑務所内の部屋で菅家さんを待った。握手を交わし、肩を抱き合って涙を流したといい、「本当にうれしい」。
 菅家さんが会見で着ていた洋服は、西巻さんの家族が用意したものという。西巻さんは会見後、「支援に参加してくれた人の励ましが大きかった。弁護士もとても精力的に取り組んでくれた。(DNA型再鑑定した)科学者はすごい。感謝しています」と何度もうなずいた。

 菅家さんは会見で、今後について「足利市は私の故郷だから、やっぱり帰りたい」と語った。西巻さんは「これからは、地元に受け入れてもらうことを最優先にしていきたい。わだかまりを持たずに『よかったね』と言ってほしい」とうなずいた。
 一方、会見に同席した弁護団の佐藤博史弁護士は「検察の英断に感謝したい」。刑務所を出る時、多くの刑務官から「ご苦労様でした」と言われて送り出されたことを明かし、「15年間、無実だと信じてきたことが受け入れられた。こんなにうれしいことはない」と笑った。

◇凶行から19年 現場付近では/「真犯人どこ?」不安
 足利市の中心街を流れる渡良瀬川の河川敷――。事件から19年がたち、現場となったこの場所に惨劇をうかがわせるものは残っていない。「菅家さん釈放」という急展開に、近くの住民や関係者は一様に驚きの表情を見せた。

 4日、河川敷には背丈ほどの草が生い茂り、隣の渡良瀬運動公園では散歩やランニングを楽しむ人が行き交っていた。最高裁で無期懲役が確定した判決によれば、90年5月12日の夕方、菅家さんはこの公園を突っ切り、女児とともに遺棄現場の河川敷に向かったとされている。

 女児が通っていた龍泉寺保育園の源田俊昭園長(67)は「DNAで犯人にされ、DNAで釈放されたようなもの」と表現し、菅家さんの境遇に思いを巡らせた。逮捕から釈放まで、菅家さんの身柄の拘束は17年半に及ぶ。「人生を棒に振って大変気の毒。この人生をどのように回復させるのか」

 一方、女児の住んでいたアパート近くに住む主婦(69)は「菅家さんが犯人でないとすれば、(女児の)ご両親もかわいそう。本当はやっていないのだとしたら、菅家さんはどうして自白してしまったのか」と語った。

 菅家さんの釈放は、菅家さんが再審無罪になる公算が大きくなったことを意味する。住民らが気がかりなのは「では、真犯人はどこにいるのか」ということだ。

 近くに住む別の主婦(59)は「逮捕当時から、菅家さんは犯人ではないのではないかといううわさはあった」と明らかにする。「当時は自分にも小学生の子どもがいて不安だった。もし菅家さんが犯人でないとするとほかに真犯人がいることになり、怖い」。源田園長も「彼が犯人でないなら、誰が(女児を)殺したというのか」と話した。

 菅家さんが事件当時にバス運転手として勤めた市内の幼稚園の園長は「20年近く前の話で当時の園長も昨年に亡くなった。関係者に迷惑をかける心配もあるので一切コメントできない」と話した。

◇元捜査員「証拠あり逮捕」
 「菅家さん釈放」の知らせに、当時の捜査幹部の1人は「信じられない」と驚きを隠さなかった。「彼以外に犯人はあり得ない。彼が犯人ではないと思ったことは一度もない」

 この元捜査幹部は、菅家さんの取り調べにも携わったという。「彼は自ら犯行を再現した。本人しか再現できないような迫力があり、何ら疑いを持たれたことはない」。この日も改めて捜査の正当性を強調した。

 逮捕の決め手となったDNA型の「一致」が、再鑑定では一転して「不一致」となったことについては「自白があり、疑う要素はない」と言い切った。

 別のある元捜査員は「まだ結果が出たわけじゃない。静かに見守りたい」と静観の構え。「当時の鑑定の真偽についてはよく分からないが、そもそも、導入されたばかりで『DNA』がどういうものかを認識していなかった」とした上で、「逮捕に踏み切った理由は(DNA以外に)確かな証拠があった」と話した。

 今回の釈放で、菅家さんは再審で無罪を勝ち取る公算が大きくなった一方、事件は発生から15年後の05年5月に公訴時効が成立している。もう真犯人がいたとしても逮捕できず、事件の真相が闇に埋もれる可能性は高い。

■足利事件の経過
90年5月 足利市のパチンコ店駐車場から4歳の女児が行方不明に。翌日午前、渡良瀬川河川敷で遺体が見つかる。川の中から女児の着ていたTシャツを回収
91年6月 県警が菅家利和さんの捨てたごみ袋から体液のついたティッシュペーパーを押収
同年11月 警察庁科学警察研究所のDNA型鑑定でTシャツとごみ袋から得た体液のDNA型が「一致」
同年12月 県警が菅家さんを殺人と死体遺棄などの疑いで逮捕
92年2月 宇都宮地裁の初公判で菅家さんは起訴事実を認める
同年12月 第6回公判の弁護側の被告人質問で否認に転じたが、翌月の第7回公判から再び犯行を認める
93年7月 地裁が求刑通り無期懲役の判決。菅家さんは控訴
96年5月 東京高裁が控訴を棄却。菅家さんと弁護団が上告
00年7月 最高裁が上告を棄却。無期懲役判決が確定
02年12月 菅家さんと弁護団が独自のDNA型鑑定を新証拠として、地裁に再審を請求
08年2月 地裁が再審請求の棄却を決定。弁護団は高裁に即時抗告
同年12月 高裁の即時抗告審で国内初となる確定判決後のDNA型の再鑑定を決定
09年5月 弁護・検察側がそれぞれ推薦した2鑑定人による再鑑定のいずれもDNA型は「不一致」との結論
同年6月 東京高検が「無罪の可能性が高い」として菅家さんの釈放を宇都宮地検に指示

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