2009年6月7日12時1分
柴崎芳太郎らの測量隊が剱岳(写真左)の周辺で測量をする場面 (C)2009「劔岳 点の記」製作委員会
明治時代に使われた「三等経緯儀」で柴崎芳太郎役の浅野忠信(左)が測量をする場面 (C)2009「劔岳 点の記」製作委員会
柴崎芳太郎=柴崎家提供
測量士の卵を育てる学校の全国組織、測量専門教育センター(東京都)によると、全国17校の入学者総数は96年度の約3700人をピークに毎年1割ほど減り、07年度は約600人と6分の1に激減。北陸工業専門学校(富山県)では90年代前半に100人ほどいた入学者が10人足らずになり、09年度はついに情報測量学科の募集をやめた。
一方で、卒業生は引っ張りだこの「超売り手市場」だ。中央工学校(東京都)では今年3月、土木・造園・測量分野の卒業生93人に対し、求人は約1500人。「若年人口の減少に加え、土木・建設業界が『失われた10年』の間は採用を控えていたため」と同校はみる。測量士は理系の知識も必要なため、3Kに加えて学生の「理系離れ」も志望者減に拍車をかけているのではないかと指摘する。
測量を取り巻く環境の激変も業界を揺さぶっている。
07年8月に「地理空間情報活用推進基本法」が施行され、地図情報は「紙」から「電子データ」への移行が進む。特に、08年から始まった全国土を電子地図で網羅する「基盤地図情報」の整備や、人工衛星による全地球測位システム(GPS)の進歩などで、測量士は膨大な電子データの処理もこなさなければならなくなった。
測量の正確さだけでなく、情報の処理方法や使い方の技術も求められる時代。それでも、日本測量協会の瀬戸島政博常務理事は、剱岳の測量に成功した映画の主人公・柴崎芳太郎の仕事ぶりに測量士の本質を見る。「測量は『無』から『有』を生み出す仕事。正確なデータの積み重ねが、すべての基盤です」(雨宮徹)
■劔岳 点の記 映画の原作は新田次郎の同名小説。国土地理院の史料などによると、陸軍参謀本部陸地測量部の測量官・柴崎芳太郎は5万分の1の地図が未整備で「日本地図最後の空白地点」とされた剱岳周辺の測量を命じられ、1907(明治40)年に成功した。