1949年に弘前市で起きた弘前大学教授夫人殺害事件で逮捕され、服役後に冤(えん)罪(ざい)と判明した那須隆さんが今年1月24日、つがる市の病院で亡くなっていたことが5日、分かった。84歳だった。
 那須さんは49年8月、同市在府町の自宅で就寝中だった弘大医学部教授の妻=当時(30)=が殺害された事件で、当時の弘前市警に逮捕された。
 一貫して犯行を否認し一審では殺人について無罪とされたが、二審では逆転有罪判決が言い渡された。最高裁に上告したものの、53年に懲役15年の刑が確定し服役した。
 ところが公訴時効成立後の71年、弘前市出身で仙台市に住む男性が真犯人として名乗り出る。那須さんは再審を申し立て、74年にはいったん棄却されるが異議申し立てが認められ、77年には仙台高裁で無罪が確定した。
 この時那須さんは53歳。25歳で逮捕されて以来、28年もの長い年月の間、冤罪に苦しみ続けた。
 那須さんは無罪確定後も弘前市内に住んでいたが、10年ほど前に旧稲垣村=現つがる市稲垣町=の義弟宅に身を寄せた。地元公民館の読書愛好会に入会し、公民館が主催したイベントに参加することもあったという。
 親交があった男性は「本をよく読み、岩木山にちなんだ伝説を披露するなど見識が高く、物知り博士といった印象だった」と語った。
 また、那須さんは平家物語で扇の的を射落としたことで名高い那須与一の子孫でもあり、2007年10月にオープンした栃木県大田原市の「那須与一伝承館」の初代名誉館長も務めた。
 那須さんの妹は5日の本紙取材に対し「話すことは何もない」とした。
【写真説明】無罪判決を受け、国家賠償法に基づく損害賠償を求めて青森地裁弘前支部に提訴する那須さん(右端)=1977年10月22日