しあわせのトンボ

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しあわせのトンボ:「余命半年」=近藤勝重

 知り合いのA氏が末期の肺がんだと奥さんから知らされた。

 医師は「余命半年」と本人に告げたそうで、「ひどいこと言うでしょ」と奥さんは電話口で声をつまらせる。

 どういうことなのか、いきさつを聞いた。精密検査の結果が出た際、A氏は何か察するものがあったとみえ、自ら「あと何カ月ですか」と担当の医師に聞いたのだそうだ。

 本人が尋ねれば医師はストレートに答えるんだ、と今日のがん告知のドライさを思う一方で、しかしほかに言いようもあるだろうと思った。

 以前、がんと余命のことを調べたことがある。ある総合病院の医師は4人に1人の割合で余命予測が大きく外れているというデータを得て、1カ月以上生きられる患者には「1カ月ごとにみていきましょう」と説明しているということであった。

 昨今は身辺の整理がしたいので余命を教えてほしい、と医師に聞く患者もいるようだ。しかしそんなふうに割り切れる人はどれほどいるだろう。

 ぼくなりに何人かのがん患者と向き合ってきたが、彼らは道端の一木一草にも目をとめて一日一日をいとおしみ、その一日一日で強気と弱気が交錯している印象だった。

 それにしても医師は、患者には酷と思える余命をなぜ口にできるのだろう。がんの正しい理解を呼び掛けて精力的に活動中の東京大付属病院放射線科准教授、中川恵一氏が先日、安田講堂で開かれたがんのシンポジウムでこんな話をしているのを本紙で読んだ。

 <今は多くの医師が平気で「余命3カ月」と言います。一方、そう言われた患者さんの多くは1年以上生きます。なぜか。短く言っておいた方が医師に得だからです。「余命3カ月」と言って1年生きたら、「先生のおかげで延命できた」となるわけです>

 中川氏もふれていたが、本来パートナーであるはずの医師と患者の信頼関係の維持が難しくなっているようである。相次ぐ医療訴訟に加え、病院経営も厳しくなって、医師もまた追い詰められた側にいるのかもしれない。

 A氏のがんに話を戻すが、奥さんによると、今はホスピスのお世話になっているという。たばこは駄目ながら、好きな酒は医師の許しを得て、毎日1合ちょっと飲んでいるらしい。

 余命はどうあれ、A氏には生と死の間を埋めんと注ぐ酒であろう。(夕刊編集長)

毎日新聞 2009年6月3日 東京夕刊

 

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