国民徴用令
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国民徴用令 | |
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通称・略称 | なし |
法令番号 | 昭和14年勅令第451号 |
効力 | 廃止 |
種類 | 行政法 |
主な内容 | 国家総動員体制の確立 |
関連法令 | 国家総動員法 |
条文リンク | ウィキソース |
国民徴用令(こくみんちょうようれい)とは、国家総動員法に基づいて、昭和14年に制定された日本の法令である(勅令第451号)。一部地域では白紙などと呼ばれた。⇒国民徴用令条文
の二つについて規定した。
目次 |
日本本土における施行
朝鮮における施行
1944年8月8日、国民徴用令の適用を免除されていた朝鮮人にも実施するとした閣議決定がなされる[3]。1944年9月より実施され[2]、1945年8月の終戦までの11ヶ月間実施される。日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は1945年3月の下関-釜山間の連絡線の運航が止まるまでのわずか7ヵ月間であった[2]。
関連項目
脚注
- ^ 第四条 政府ハ戦時ニ際シ国家総動員上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ帝国臣民ヲ徴用シテ総動員業務ニ従事セシムルコトヲ得但シ兵役法ノ適用ヲ妨ゲズ
- ^ a b c 朝日新聞 昭和34年(1959年)7月13日2面
「大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人」
本文: 「在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。これによれば在日朝鮮人の総数は約六十一万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は二百四十五人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。一、戦前(昭和十四年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約百万人で、終戦直前(昭和二十年)には約二百万人となった。増加した百万人のうち、七十万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの三十万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。また、国民徴用令は日本内地では昭和十四年七月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ昭和十九年九月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関-釜山間の運航が止まるまでのわずか七ヵ月間であった。一、終戦後、昭和二十年八月から翌年三月まで、希望者が政府の配船、個別引揚げで合計百四十万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和二十一年三月、連合国の指令に基く北朝鮮引揚計画で三百五十人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち七五%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。現在、登録されている在日朝鮮人は総計六十一万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は二百四十五人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって残留したものである。」 - ^ 閣議決定 「半島人労務者ノ移入ニ関スル件ヲ定ム」昭和19年8月8日 国立公文書館
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