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【国際】

消えない記憶 天安門事件20年<上> 当局の警戒 民主化“ルーツ”タブー視

2009年6月2日 朝刊

1日、北京の天安門広場で、政府批判のビラや危険物を持っていないか市民の荷物検査をする公安

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 「何だ、あれ」

 昨夏、北京五輪が始まる前のこと。鄭旭光(40)が住む北京郊外のマンションに、五輪ボランティアが観光客を世話する小さな案内所ができた。

 「なぜ五輪会場から遠く離れた、こんな場所に」

 疑問はすぐ解けた。ボランティアの制服を着た男らは、実際は鄭を見張る公安だった。

 鄭は一九八九年の民主化運動を指揮し、六月四日の天安門事件後に指名手配された二十一人の学生リーダーの一人。逮捕、服役を経た今は表だった活動をしていないが、当局は鄭が五輪を「妨害」しないか警戒していた。

 事件二十年が近づいた今年五月には、公安が自宅を訪れ、「海外メディアの取材を受けるな」と警告した。鄭が気晴らしにプールへ行くと、隣で公安が泳ぐ。つきまとう理由を聞くと「あなたを保護するため」と答えた。

 鄭は言う。「中国はこの二十年間で大きく発展した。しかし本質は変わっていない」

 急激な経済成長を遂げ、世界での存在感を高める中国。昨年は五輪を成功させ、国民は「大国」ぶりに自信を深めている。一方、二十年たった今も、天安門事件はタブーとされたままだ。

 昨年末、約三百人の知識人が共産党独裁の終了を訴えた「〇八憲章」を発表した。天安門事件後で最も多くの国内知識人が参加したアピールだ。中心メンバーの作家、劉暁波(53)は即座に拘束された。劉は二十年前、天安門広場で対峙(たいじ)する学生と軍の両方を説得し、広場での衝突、惨事を防いだ人物だ。

 〇八憲章の署名者には、事件の犠牲者を捜し続ける「天安門の母」丁子霖(72)や、民主化運動指導者だった江棋生(60)ら、天安門事件とかかわりを持つ者が多い。丁と江は五月下旬以降、公安に二十四時間監視されている。今も中国の民主化を求める人々の“ルーツ”である天安門事件に焦点を当てさせないため、当局はどんな小さな芽でもつぶしにかかる。

 確かに中国社会は大きく変貌(へんぼう)しつつある。近年、独自報道を売り物にするマスコミも増えてきた。だが、天安門事件には一様に沈黙を保つ。共産党改革派の理論誌で、党史のタブーを検証する記事をたびたび載せる「炎黄春秋」総編集長の呉思は言う。「天安門事件は中国の高圧電線だ。触ったものは無傷でいられない」

 (北京・平岩勇司、写真も) =文中敬称略

   ◇  ◇

 中国共産党政権が学生らの民主化運動を武力弾圧した一九八九年六月四日の天安門事件から二十年。政府にとっても、民主化を求める市民にとっても、記憶は消えていない。その現状を報告する。

 

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