MSN Japanのニュースサイトへようこそ。ここはニュース記事全文ページです。
[PR]

天安門事件20年 “風化”も「民主運動」再燃を警戒  (2/2ページ)

2009.5.27 20:51

 今月10日、北京市西郊の香山の某施設に、19人の知識人が集まり、「2009北京六四民主運動シンポジウム」を開いた。天安門事件関係の討論会はタブーであり、当局の監視を逃れるのに苦労したようだ。

 討論記録によると、参会者の1人は、五四運動以来、国家権力によって個人の権利が弾圧された歴史を振り返り、強権政治の通弊とした。特に共産党が政権を握った後、55万人が弾圧された反右派闘争(57年)をはじめ、毛沢東時代の「暗黒」を指摘。

 それは多分に毛沢東の独裁者的資質と極左主義に起因するにせよ、それだけではない。

 76年4月の第1次天安門事件は、北京市民による極左路線への異議申し立てが「反革命」とされ、トウ小平氏は「黒幕」として公職追放になったが、翌年、事件は「大衆の革命的行動」と名誉回復され、トウ氏も復活を遂げた。

 そのトウ小平氏に国民は絶大な期待を寄せ、それにこたえるように78年末に権力を握ったトウ氏は改革・開放とともに政治改革を打ち出した。しかし翌春には78年秋以来の民主運動を弾圧、その旗手的存在だった魏京生氏の逮捕を命じた。

 毛沢東と違ってフランス留学経験を持つトウ小平氏は、国際感覚があり、西洋の合理主義にも通じていたが、権力掌握後は、毛沢東同様、体制や自分への批判に非寛容だった。それは権力の源泉である一党独裁堅持への執念でもあった。

 そのためトウ氏は、西側のブルジョア思想を敵と見なし、86年の民主運動も弾圧、長年の同志だった胡耀邦氏を断罪した。その文脈でみれば、89年の学生デモも、学生に理解を示した趙紫陽氏も許容しなかったのは当然だった。

* * *

 いま中国では、トウ小平氏の功罪が論議されている。中国に市場経済を持ち込み、今日の経済発展の基礎を築いた功績は大きい。国民の大多数は、その恩恵を受け、マンションやマイカーを持ち、海外旅行を楽しむ人も少なくない。

 その半面で、貧富の格差は拡大、官僚の腐敗も深刻化、社会には不公平感が広がり、治安の悪化、紛争や暴動の頻発を招き、環境破壊も深刻さを増す。これはトウ小平氏が目指した社会ではなかった。彼は引退後の93年、弟のトウ墾氏に対し、格差拡大への強い懸念を表している。

 しかし、その種をまいたのはトウ小平氏自身だった。天安門事件で趙紫陽氏ら改革派指導者や知識人、学生たちが追求した政治改革と民主化をつぶし、一党独裁下で資本主義化を図った結果である。

 中国ではいま、権貴体制という表現がある。エリート支配層の党官僚と資本家が手を結び、労働者、農民を搾取して富を得る体制を指す。そこに汚職は付き物だが、腐敗は司法やメディアにもおよび、監視システムは十分に機能していない。

 しかし、この20年間の経済・社会の発展は、共産党の支配体制を揺さぶり始めた。携帯電話、パソコンの普及によってネット情報が行き来し、一党支配を支える情報と宣伝の独占力は著しく低下した。党の宣伝を人びとは信じなくなった。

 昨年12月、知識人たちが政治改革を求めた08憲章は、そうした社会変化を背景にしていたが、影響は限定されていた。多くの知識人、学生は格差社会の上級階級に属し、政治改革の必要は認めても、リスクのある行動には消極的だ。

 その一方で、数億人いる労働者、農民ら社会的弱者層による暴動や当局襲撃事件が急増した。中国当局が警戒するのは、弱者層の不満を組織化し、人権や民主化の運動と連動する動きという。当局が天安門事件を再評価する道はなお遠い。

(トウは登におおざと)

[PR]
[PR]
PR
PR

PR

イザ!SANSPO.COMZAKZAKFuji Sankei BusinessiSANKEI EXPRESS
Copyright 2009 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
このページ上に表示されるニュースの見出しおよび記事内容、あるいはリンク先の記事内容は MSN およびマイクロソフトの見解を反映するものではありません。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載を禁じます。