1989年4月15日に改革派指導者、胡耀邦元中国共産党総書記が死去したことをきっかけに、官僚腐敗打倒などを叫ぶ学生らの民主化要求デモが発生。党機関紙の人民日報社説が「社会主義制度を否定する動乱」と決め付け、運動が激化。指導部は5月20日に戒厳令を布告、6月4日未明に天安門広場を武力制圧した。当局発表の死者数は319人。政治改革を唱えていた趙紫陽総書記は「動乱を支持した」として失脚。今なお中国本土では事件に関する書籍出版はなく、厳しい言論統制が敷かれている。
(2009年5月31日掲載)
1989年6月4日、中国当局が民主化運動を武力弾圧した天安門事件から間もなく20年。中国政府は、その後の経済成長を根拠に「解決済みの問題」と位置付け、事件の再評価などを求める民主化運動に対し厳しい言論統制を敷いている。だが、一国二制度の下、香港では、当時の学生運動家らの回顧録や告発本の出版が相次いでいる。学生運動に理解を示し、失脚した故趙紫陽総書記の回顧録「改革の歴程(英語版・国家の囚人)」の出版に尽くした同総書記の元秘書、鮑〓(〓は「丹」に「さんづくり」)(ほうとう)氏(76)を北京の自宅に訪ね、出版の狙いを聞いた。
(北京・椛島滋)
香港の週刊誌、亜州週刊の特集記事「六・四!六・四!」によると、天安門事件20周年を前に香港で出版された関連書籍は計6冊に上る。
「改革の歴程」は、趙氏が約16年間の自宅軟禁中、事件をひそかに回顧した30本の録音テープを英文と中国語でまとめた。この中で、趙氏は「当時の最高実力者、〓(〓は「登」に「おおざと」)小平氏に武力弾圧をやめるよう説得したが、〓(〓は「登」に「おおざと」)氏は軍隊出動を決断した。悲劇は避けられなかった」と振り返っている。
国営通信・新華社の元幹部の回顧録「歴史の大爆発」は、中国当局が319人とする同事件の死者数を727人だったと告発した。このほか当時の学生運動リーダーや元新聞記者たちが、中国当局の監視を逃れ、香港での出版に踏み切っている。
だが中国本土では、こうした回顧録の出版や趙氏の録音テープのネット上での公開を報じた香港紙「明報」が、その後、没収される事態が頻発。中国外務省は、週2回の定例会見の質疑応答を同省サイトで公開しているが、天安門事件に関する外国人記者との質疑応答は、会見録からもすべて削除している。
中国本土のメディアは事件の関連報道を一切行っておらず、25日に北京であった1000人規模の人権擁護デモも報じていない。
× ×
●「歴史の暗部を忘れるな」 故趙紫陽総書記の元秘書鮑〓(〓は「丹」に「さんづくり」)氏に聞く 中国の現状 批判
−今回の回顧録出版の狙いは。
「中国政府は隣国に対し『歴史を忘れるな』と言うが、私は中国政府に『自分たちの歴史を忘れるな』と言いたかった。日本は軍国主義の教訓を学んだが、中国では当時から共産党の1党独裁が続いている。腐敗による社会矛盾が激化している。そのことに警鐘を鳴らしたいと思った」
−趙紫陽とは、どんな人物だったのか。
「趙紫陽は共産党を分裂させようとしている、と〓(〓は「登」に「おおざと」)小平に批判された。だが、党への愛情は〓(〓は「登」に「おおざと」)に負けていなかった」
「しかし彼は、党は民意に従うべきで、大衆を党の友人とみなし、その意見は党の助けになる、特に提案する人を大切に考えた。逆に〓(〓は「登」に「おおざと」)小平は、党は権力を持ち大衆はそれに従うもの、と考えた。だからあの抗議行動を危険分子、動乱と断定し軍で鎮圧すべきだと考えた。20年前の悲劇は避けられないものだった」
−今の中国共産党をどう評価する。
「20年前、学生たちは腐敗打倒と叫んだが、今は誰もできなくなった。当時は酒やたばこを渡すのが腐敗だったが、今は株券や別荘を贈るようになった。大衆が裁判所に訴えようとすると国家転覆罪だとされ、報道しようとしてもダメだ、と止められる。この20年で党の執政能力は大いに高まった。そういう意味で共産党は“改善された”といえるかもしれない。だが、腐敗の上に築かれた一部の権力者の自由、天安門事件によってもたらされた多数の悲しみの上に築かれた自由に、私は興味はない」
−あなたは、中国政府に拘束される心配はないのか。
「懸念はある。しかし怖くはない。回顧録は英語版、中国語版とも海外と香港で出版するだけだ。ただ、大陸でも出版できるなら歓迎するし、そうなれば中国の前途は明るいものになる。ぜひ江沢民元総書記の回顧録と読み比べてほしい」
−今の中国の若者をどう評価するか。
「彼らは中国の歴史の暗部を全く知らない。それが大きな欠点だ。だが利点もある。彼らは今、中国と外国を比較できる。欧米や日本など西洋の制度や観点を知っている。彼らも(今の政治制度について)いずれ選択を迫られる時が来るだろう」
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