また、やったな、と思った。27日の党首討論で、麻生太郎首相が、
「『一心同体、殉じる時は殉じる』と言っていた方が代表になっている。言葉は極めて大事にしなければいかんと思っているので、話が違うんじゃないかと、正直そう思う」
と発言した時だ。民主党の代表交代劇に異を唱えている。
だが、鳩山由紀夫新代表が選出前にそんな言葉を使ったという記憶がない。使っておれば、麻生の異議は理解できないではないが、麻生の思い込みではないのか。
この点で鳩山は反論しなかったから、麻生の言いっ放しに終わったが、鳩山の発言記録をたどってみると、小沢一郎前代表(現代表代行)との間柄と自身の進退について、<一心同体>とか<殉じる>とは言っていない。
似たような発言としては、4月13日のラジオ番組で鳩山は、
「小沢さんに『一蓮托生(いちれんたくしょう)だ』と申し上げている。もしもの時は、刺し違えてでも代表を辞めてもらう。当然、私も(幹事長を)辞める」
と述べている。また、同月15日付の「産経新聞」の<単刀直言>では、
「もし(衆院選に)勝てないと分かれば、(小沢は)身を引くだろう。その時、私は幹事長としての職分を必要に応じてこなさなければならない」
と発言していた。
麻生が言うまでもなく、言葉は大事だ。<一心同体>は異なったものの強固な結合を意味する。<一蓮托生>は善きにつけ悪(あ)しきにつけ、行動・運命をともにすることで、似て非なる言葉である。
また、<殉じる>は、自分が仕える人の死や辞職のあとを追って同じ行動をとること。互いに刃で刺し合う<刺し違える>とまったく異なる。<一蓮托生>とも違う。行動をともにすることでは似ているが、<殉じる>は<殉死する>と同義で、命を投げ出すニュアンスが強いからだ。
鳩山は当然、小沢のあとの代表を意識していた。
「風ぼうと違い、早くから首相の座を狙っていた」
という野心家説があるくらいだ。だから、鳩山は、小沢の進退をめぐってきわどい発言は繰り返したが、<一心同体>とか<殉じる>とか、代表への道を自ら遮断するような言葉は慎重に避けたと思われる。
ところが、麻生の言語感覚のなかではそれが混同されていた。言葉は極力厳密に使わないとすれ違いに流れ、議論が深まらない。
最近はどぎつい言葉も気になる。民主党の新執行部ができた時、鳩山代表を指して、弟の鳩山邦夫総務相は、
「だれが見ても小沢前代表の操り人形だ」
と切り捨てた。党首討論のあとも、総務相は、
「アイ・アム・操り人形と言っているようなもの。情けない。まあ15点」
と酷評した。
鳩山・小沢関係は政界も世間も注視している。選挙情勢にも響く。小沢を新体制の事実上のナンバーツーに据えたために、当然、院政批判がでた。
だが、<操り人形>というどぎつい表現が当を得ているとすれば、小沢が思いのままに鳩山を動かしていることになる。
そこまでとも思えないから、双方の次の言動に目が注がれていると言っていい。やはり、言葉の厳密さが求められる。
身内ゆえに特別のバイアスがかかるのかもしれない。それにしても、<操り人形>という言い方はえぐい。鳩山兄弟は政党、政府の重職にあるのだから、言葉の応酬にも折り目正しさがほしい。(敬称略)=毎週土曜日掲載
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毎日新聞 2009年5月30日 東京朝刊
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