読者の方々が多数の貴重な情報を提供!
◎本紙は「2ちゃんねる」の投稿については関知していないが、読者の方々から多数の通報、情報提供、激励を頂いている。最近、「殺害予告」の書き込みがあったが、その30分後には多数の情報提供があった。先ず最初に感謝申し上げたい。下記の件でも、多くの情報提供があり、本紙も見落としていた事実なので、再度原文を検証した結果、記事化することとした。 |
「真相究明 17」
『あひるさん、ありがとう』の原文に、
「ドナルドダック」というディズニー・ キャラクターの無断使用疑惑
「読売記者」が「盗用疑惑本」キャンペーンを未だに続けている問題で、そもそも、大分県別府市在住の人物が「小さな親切運動」本部のハガキキャンペーンに応募して、日本郵政公社総裁賞を得た『あひるさん、ありがとう』という作文原文には「ドナルドダックの着ぐるみを着た人が現れ」という、明らかにディズニー・キャラクターの「ドナルドダック」という文言を1箇所使用している事実が判明した。
先ず、@原作者である大分県別府市在住の人物はディズニー・キャラクターの「ドナルドダック」という文言使用について権利をもつ「ディズニー」の管理者「ディズニージャパン」の使用許諾を得ていたか否か。次に、Aハガキキャンペーンをして日本郵政公社総裁賞としてこの作品を選んだ「小さな親切運動」本部は、この文言使用について許諾が得られているか、確認したうえで受賞対象としたか。また、Bとして、「小さな親切運動」本部と読売は、この文言使用について許諾が得られているか、確認したうえで「読売夕刊」に掲載して公表したか。
「小さな親切運動」本部は著作権をふりかざして、「盗用疑惑」があるとの読売記者のキャンペーンに乗り、「最後のパレード」著者らに対して、自主回収要求とか謝罪広告の大新聞への掲載要求とか、最大級の非難と責任を追及をしている。
であるならば、「最後のパレード」著者らに対して、責任を追及する以前に、上記の@〜Bをどのように確認、処理したのか、明らかにすべきだ。自分の問題は不問に付し、ずいぶん乱暴なやり方を続けているのではないかといわざるをえない。見解をぜひ聞きたい。説明責任はあるはずだ。
さらに、読売側は、『あひるさん、ありがとう』は、「ディズニー」を舞台としたエピソードではない、とまで言い切っているだけでなく、そもそも「読売夕刊」に掲載したものとして、大分別府の原作者には、ディズニー・キャラクターの「ドナルドダック」という文言について、無断使用疑惑があることについて、態度を明らかにする必要があるのだ。 |
「真相究明 18」
前記判決が、
「原告表現(槇原歌詞)と被告表現(松本零士「銀河鉄道999」台詞)との類似性を根拠に、原告表現が被告表現に依拠したものと断定することはできない」(判決書217頁6行以下)
とと明確に判示認定している意味が、未だわからないのか!?
苦痛だろうが、がまんして判決書を読んでみることだ、判決書を。
被告(松本零士)側は、橋本玉泉さんが、大好きな「類似性」について、原告表現(槇原歌詞)は「被告表現全32字のうち,実に28文字部分、割合にして87.5%を共通にするのであって、むしろ,実質的にデッドコピーであるとすら評価できる」と「類似性」(判決18頁)を強く主張している。
加えて、原告表現(槇原歌詞)が被告表現(松本零士「台詞」)に依拠して作成されたかという「依拠性」であるが、被告(松本)側は被告表現(松本零士「台詞」)は数多く公表されていて、このことは原告(槇原)側が、これらに容易にアクセスでき知りえたはずであることを主張した(判決書20頁〜40頁)。
したがって、わずか1回「読売夕刊」に掲載された『あひるさん、ありがとう』とは比較にならないほど数多く公表され不特定多数に知られていると被告は主張した。
が、しかし、判決は、「原告(槇原)が被告表現へ接したものと推認することができない」として、原告表現(槇原歌詞)が被告表現(松本零士「台詞」)に依拠して作成されたとはいえず、これを「盗作した」などということはできない、と判示したのだ。
したがって、いかにその表現が酷似していても、問題とされる作品が、それ以前の著作物に依拠して作成されたものだという証明または本人の認諾がなされていなければ、「盗作した」とか「盗用疑惑がある」とはいえない。
「原告表現(槇原歌詞)と被告表現(松本零士「銀河鉄道999」台詞)との類似性を根拠に、原告表現が被告表現に依拠したものと断定することはできない」(判決書217頁6行以下)と判断によって、被告(松本零士)側が「槇原が盗作した」かのような発言をTV生番組でしたため、名誉毀損を認定されて220万円を支払う羽目になったのだ。
「依拠性」がなければ単なる「類似性」があるある、といくら叫んでも、決して「盗作」「盗用疑惑」などと叫んではならないことをこの判決は教えてくれているのである。橋本玉泉さん、もうそろそろ、おわかりになってもいいと思うが!何度もくりかえすが、判決書を最初から最後まで読めば、自分の誤りに気づくはずだ。
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「真相究明 19」
『商標権』、「商標登録」の意味が
わかっているのか!?
「小さな親切運動」本部と読売は、
著作権を主張するというなら、その前に
「商標権」につき説明責任を果たせ。
上の 「真相究明 17」の『商標権』の指摘に対して、また、我らが橋本玉泉なる気楽な人物は、
「その商品名等のもつイメージや価値観が損なわれない限りにおいては、使用については柔軟に対応することも多くのメディアで多用され」ているというのである。「商標登録」された権利が何と「その商品名等のもつイメージや価値観が損なわれない限り」自由に権利者でない者も使用できるという、またもや気楽な珍解釈だ。
しかし、経済行為と密接な関係のある「商標権」というのは、「メディアで多用されている」などと気楽にいえるようなそんなに生やさしいものではない。第一に、著作権とは違って、商標登録されているかどうかは、調べようとする意思さえあれば、ネット上でもたちどころに検索できるから、知らなかったではすまされない。
「ドナルドダック」は、【登録番号】 第1590223号 として、すでに1983年に商標登録されていて、権利者も明記されている。
「小さな親切運動」本部のハガキキャンペーンに応募し、日本郵政公社総裁賞を得た大分県別府市在住の人物は、『あひるさん、ありがとう』という作文原文に「ドナルドダックの着ぐるみを着た人が現れ」と記述した。
つまり、この人物は 「ドナルドダックのような」というのでも「ドナルドダックに似た」というのでもなく、「ドナルドダックの着ぐるみを着た人」と断定表現した。
そうすると、ディズニーではないその『遊園地』側がディズニーの使用許諾を得て、着ぐるみの「ドナルドダック」を使っていたか、あるいは大分県別府市在住の人物が「ドナルドダック」の文言使用についてディズニーの使用許諾を得ていたか、のどちらかでなければならない。
したがって、でないとするならば、着ぐるみの「ドナルドダック」及び「ドナルドダック」という文言の無断使用というだけでなく、大分県別府市在住の人物は、単なる「アヒル」の着ぐるみにすぎないものを、「ドナルドダック」の着ぐるみだと断定して虚偽の表現をしたことになるのは自明である。
このことは著作物として権利主張する場合に、そもそも他人の権利侵害を前提としているという点で、極めて重大な意味をもつ。
そして、問題は、「小さな親切運動」本部と読売が、「ドナルドダック」の文言使用について許諾が得られていたか否か、だけでなく、ディズニーではないその『遊園地』側が、着ぐるみの「ドナルドダック」を使うことについて、ディズニーの使用許諾を得ていたか否か、を確認していたか、そして、仮に、問題部分が許諾もなく虚偽である場合、なぜそのまま日本郵政公社総裁賞の選考対象とし、さらにその結果をそのまま公表したかである?
「小さな親切運動」本部は、『あひるさん、ありがとう』という作文を日本郵政公社総裁賞に選び、読売は「読売夕刊」に掲載して公表しのであるから、著作権の議論をする前に、商標権の問題を避けては通ることはできない。
著作権を主張するならば、商標権につき説明責任を果たすべきだ。しらなかったでは済まないのは、「最後のパレード」に対して「小さな親切運動」本部と読売がとった態度からも、説明の必要もない問題だ。
ていることである。 |