姉のお下がりの制服は、私には少々大きすぎましたので、安全ピンは大変役に立ちました。
伸びきった髪をお下げに結び、新しい環境は少しの間、私に夢をくれました。
水泳部、テニス部を経てソフトボール部に落ち着いていた私の門限は、6時となりました。
その頃の母は、何故かしら元気がなく、
お陰で毎日繰り返されるであろう“ゲーム”のゴングは鳴ることはありませんでした。
いつものようにクラブを終え校門前のパン屋でチェリオを飲み干し、
通りにある肉屋でコロッケを買います。
それは必ず2個と決まっていて、コロッケと一緒に残しておいた
昼食のパンを食べながら家路に着きます。
家に着くと、めずらしく灯りが消えていて、戸口で待っていると、
美容院へ住み込みで働いていた姉と義父が深刻な顔をして戻ってきました。
明日の学校は休むように命じられ、家の中には母の姿が見えませんでした。
翌朝、早くに玄関を叩いたのは、白衣をきた数人のおじさんたち。家の中を消毒し始めました。
母が結核になってしまったこと、1年間は療養所から戻れない事、
私たちも感染しているかも知れない事を告げられ、私は天にも登る気持ちでいた事を忘れません。
晴れた!やっと晴れた。結核に感染してようともそんなこと問題ではない!
数日後、義父と共に遠くはなれた療養所に母を見舞いに行きました。
面会はガラス越しに行われ、母の顔には大きな真っ白なマスクが掛けられていました。
腕には点滴の針が通され、この針はとても痛いものであるようにと
神様にお願いしていた自分がいます。
帰りの電車は夕暮れ時も手伝って、のんびり動きます。車中から見る建物に夕日が
きらめき、開放された心と義父の優しさがいつのまにか眠りへと誘っていました。
電車から降りてバスを待つその前に、小さなお好み焼き屋さんがあって、
義父が夕食をここで済ませていこうと提案してくれました。生まれて初めての外食です。
焼きそばを注文した私は、目の前の鉄板で踊るように豚肉が焼かれ、
キャベツが甘い香りを漂わせながら音を立てている・・・。
口の中ときたら、飲み込んでも飲み込んでも唾液があふれ、
もうそれだけでお腹いっぱいになりました。
義父は消毒だよと言って、日本酒を1合私に勧めてくれました。
アルコールだから、消毒なんだと・・・・。
一口二口と飲んでいく私の意識はもうそこには存在しませんでした。
息苦しさに目を覚ますと、そこには義父の大きな体が覆いかぶさり、私の自由を奪っていました。
もがいても、叫んでも、私の体は義父の下から出る事は出来ず、
やがて、股間に激痛と共に生暖かい出血を見ました。
何も考える事も出来ず、何が起こっているのかもわからず、痛みと義父の重みに耐え、
朝を迎えたとき、襲い掛かる吐き気を抑えながら、歩く事もできず、布団にくるまっていました。
やっと、布団から這い出し、飼っていた文鳥の元へと・・・・。
本当に一人ぼっちになってしまいました。
冷たくなっていた文鳥を抱え、小さな穴を掘り、ただ呆然とその場を離れられなかった。
母のゲームから逃げようとしたことがあります。毛布と少しばかりの食料を持って。
夜中にそっと抜け出すとそこには木に繋がれた1頭の犬、ジョン君がいて、
彼が私の逃亡を阻止してしまいました。彼も一人だったから・・・。
今でも夜は嫌いです。夜になると不安で怖くて冷たくて。
義父の執拗な遊びは母の退院の日まで続きました。
退院の日、がたがた震えて声にならない声でそっと母に打ち明けました。母は薄笑いを浮かべ、
またもや、母の目の前でそれは繰り返されたのです。
幾ばくかのお金は手元にありました。中学2年の夏。
1時間目の授業が始まる前に、購買部で私が買ったもの。折りたたみのカミソリ。みんなが鉛筆を
削るために用意するものです。赤に近いとても綺麗なピンクだったのを覚えています。
2時間目の国語の時間。窓際に席があった私は外を眺め、せみの鳴く声を聞きながら、
机の下に手を差し込み、カミソリの刃を広げます。
これで、本当に全てがなくなる。きっとあの文鳥が舞い降りてきて、私をどこかに運んでくれるんだと
願いを込めて、手首に当てた刃を一気に引き抜きます。
熱い感じが腕いっぱいに広がり、もう一本・・・。熱い中に冷たい液体が流れていきます。
先生が読み上げる古文がトンネルの中の響きに変わり、隣の席の級友がめくるページの音は、
小波のように耳に心地よい・・・。薄れていく意識の中で紙芝居の拍子木がなり、
鼻の奥に残っている揚げパンの香りを思い出しながら・・・・。
気づいた白の空間の中に、母と姉の顔がありました。
また生きてしまったことを罵倒されながら、薄黒い顔が二つ並んでいました。
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