税理士会政治献金禁止訴訟の回顧と展望

税理士 牛島  昭三


☆これは、日歯「連盟」訴訟を支援する会パンフレット(2002年1月発行)に寄せられた原文です。パンフレット掲載のものは、ダイジェスト版です。
1.はじめに…税理士会政治献金の歴史

 私は1980年1月熊本地裁に南九州税理士会の政治献金の無効を訴えてより17年余にわたって裁判を続けました。この事件を振り返り、判決の意義・前途について述べてみたいと思います。

 税理士会の政治献金は1963年10月、日本税理士会連合会(日税連)が日本税理士政治連盟(日税政)の前身である全国納税者政治連盟(全納連)を結成し、「1億5千万円で体当り」と政治献金を行ったことに始まります。

 日税連の「税理士制度沿革史」では1972年3月期より1982年3月期までの日税連の政治団体等への寄付金、政治献金等は3億2537万円で日税連と表裏一体の「税政連の政治献金は連盟結成以来選挙のたびに行われ」(日税政機関紙1980年1月1日号)ました。

 1979年日税連と日税政は大型間接税導入のための税理士法改正に101名の国会議員と政党に1億7千万円の献金を行い地方の税政連も271人の候補者に8000万円を献金しました。このため東京、大阪、神戸その他各地の税理士会会員より二件の刑事告発、三件の民事訴訟が闘われ本件訴訟もその一環でした。


2.牛島税理士訴訟の17年2ヶ月

(1)熊本地裁完全勝利判決 ―(1986年2月13日蓑田孝行裁判官)憲法19条の積極的侵害

 1978年6月、南九州税理士会(南九会)総会では南九州税理士政治連盟(南九税政)に寄付するため特別会費5千円を会員から徴収する決議を行いましたが私は決議に反対し納入を拒否しました。この未納を理由に、南九会は、私の税理士会役員の選挙権及び被選挙権停止処分を行いました。そのため私は1980年1月熊本地方裁判所に南九会の政治献金決議と選挙権停止処分の無効を提訴しました。南九会は八幡製鉄政治献金事件を正当とした最高裁判決によって決議も選挙権停止も正当との態度でした。

 私どもの弁護団は福田政雄弁護士を団長とする7名で、1980年9月には、牛島税理士訴訟はげます会が結成され税経新人会全国協議会、青年税理士連盟等も支援を始めました。

 法廷では東京、北陸の税理士の証言により税理士会及び政治連盟の実態が明らかとなり裁判所は日本大学北野弘久教授を証人に採用しました。北野証人は、明治20年所得税法創設により自然発生的に始った税理士制度の前史から今日に到る税理士制度の変遷と税理士の使命そして昭和55年の税理士法改正と献金事件また反対運動等について証言しました。そして、企業団体の政治献金は自然人の参政権を脅かすもので許されないこと、税理士会の政治献金決議は民法43条の目的違反であり、弁明の機会も与えず行った本件処分は手続上からも、思想・信条の自由のうえからも許されないことを力説しました。法廷では南九州各県税政連と日税政が連動して1979年9月と1980年に33件1975万円の政治献金が行われていたことが明らかになりました。

 1986年2月13日熊本地裁は税理士政治連盟は税理士会の「政治的実動部隊」であり、本件決議は民法43条に違反し憲法19条思想・良心の自由の積極的な侵害であり南九会の決議は無効、選挙権等の停止処分は看過し難き手続違反と損害金150万円の支払を命じる判決を下しました。

(2)福岡高裁不当判決・敗訴―(1992年4月24日奥平守男裁判長)わいろおすすめ判決

 南九州税理士会は控訴し、福岡高裁には、日本大学教授松澤智及び元法制局長官林修三の意見書を提出しました。証人として松澤教授が出廷し税理士会に政治献金が許されるとの論陣を張りました。牛島弁護団は松澤証人の最高裁判決の国労広島地本事件の無理解、本件の前提事実についての専断などを追及し、鑑定証人の命というべき専門性の欠如を明らかにしました。

 松澤氏は意見書の中で解釈論だけでなく、事実認定についても誤っていると主張していました。ところが尋問で松澤氏が一審の証拠も十分に目を通さないまま意見書を書いたことが明らかとなり、証拠も見ないで原裁判の事実認定の誤りを主張するのは僭越ではないかとの弁護団の尋問に高石裁判長も「僭越ですな」と決めつけました。

 裁判長は高石裁判長から判検交流で法務省訴務局付第三課長であった奥平裁判長へと交替しました。

 福岡高裁奥平判決は税理士政治連盟の「本来的目的」は税理士会の目的にそって活動することでありその政治連盟に税理士会が寄付するのは当然である。更に金の流れについては双方が争ってもいない年度の収支を本件収支に加算して争点年度の献金割合を薄め政治献金の事実は「うえんかつ希薄」で被告は税理士会員の思想の自由を侵してはいないと驚くべき論法で一審判決を覆えす不当判決を下しました。

 私はこの判決は「ワイロおすすめの判決」であると直ちに最高裁への上告を表明しました。

 マスコミ各紙も社会の良識をこえた不当判決だと一斉に高裁判決を批判しまた奥平判決こそ、憲法と人権について「希薄」であるとの学者の論文も発表されました。

(3)最高裁逆転勝利判決 ―(1996年3月19日園田逸夫裁判長)…政治献金は個人が決定

 最高裁には四通の上告理由書を提出しました。私が書いた第四上告理由書で最高裁に私の想いを次の様に述べました。「私が判決でお願いしたい点は次の一点です。すなわち、税理士会はいかなる理由、いかなる形式を問わず、政党、政冶家はもちろん、政治団体へ政治献金をすることは許されないということを明確にしていただきたいということです。

 税理士会は、強制加入の公益法人ですから、政治的中立を害する政治献金が許されるはずはありませんし、ましてお金によって税理士法改正を有利になるよう働きかけるなど言語道断です。政治献金は個人の自由意志でなされるべきであり、制裁つきの決議によって強制されるようなことがあってはならないと思います。

 私は税理士の本来的使命は税理士制度の原点であるシャウプ勧告にあるように、課税当局に対し憲法及び税法上保障された納税者の法的権利や利益を擁護することにあると考えています。そのためには、まず税理士がその活動によって何者からも制約を加えられないという意味での自由、とりわけ思想・信条の自由が保障されるべきであると思います。もし右の点を明確にした判決をいただけたなら、税理士会にとっても国民のための税理士という立場に立った健全な発展をする礎となるものと確信していますし、私も微力ながら税理土会の発展に尽くしていきたいと思います。」さらに弁護団は最高裁に七次の補充書を提出しました。

 1993年5月27日最高裁では本件と類似の近畿合同税理士会事件に判決がありその裁判官の一人三好裁判官は、税理士会が政治活動をし、又は政治団体に対して金員を拠出することは税理士の自由の侵害、税理士会の権利能力の範囲を逸脱するとの補足意見を出しました。これによれば私達は勝利するが、私どもは税理士会の建議権などの政治活動を禁止する訴訟を行っているのではないのです。結社の自由と基本的人権を尊重した団体の政治活動の自由を守ることは弁護団の原則的立場でした。

 したがって最後の合宿では団体の政治活動と政治献金団体の多数決による統制権と構成員の基本的人権の関連が深く検討整理され弁護団はこれで各種の団体や最高裁判所も納得し得る統冶理論が確立したと勝利の確信に溢れた第七補充書を提出しました。

 支援の活動も従来の熊本中心の「牛島税理士訴訟をはげます会」の外に首都圏支援の会」(代表日大北野教授)が結成され国民救援会、税経新人会等ともに最高裁門前で27回のビラまき行動を行い4万5千人の署名による請願行動を行いまた、142回1万人への報告講演会を開きました。

 最高裁第三小法廷は高裁判決を覆し、「法が税理士会を強制加入の法人としている以上、その構成員である会員には、様々の思想・信条及び主義・主張を有するものが存在することが当然予定されている。したがって、税理士会が右の方式により決定した意思に基づいてする活動にも、そのために会員に要請される協力義務にも、おのずから限界がある。」「特に、政党など規正法上政治団体に対して金員の寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、会員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄であるというべきである。税理士会が政党など規正法上の政治団体に対して金員の寄付をすることは、たとえ税理士に係る法令制定改廃に関する要求を実現するためであっても、法四九条二項所定の税理士会の目的の範囲外の行為といわざるを得ない。」「以上の判断に照らして本件を見ると、本件決議は、被上告人が規正法上の政治団体である南九各県税政へ金員を寄付するために、上告人を含む会員から特別会費として5千円を徴収する旨の決議であり、被上告人の目的の範囲外の行為を目的とするものとして無効であると解するほかない。一審判決は正 当である」との判決を下し、損害金についてのみ高裁に差し戻した。

(4)福岡高裁差戻し審和解と確認書 ―(一九九七年三月十九日高弁五十雄裁判長)300%の勝利

 私たちは最高裁判決を受けて直ちに大蔵大臣、日税連会長、南九会長に最高裁判決を具体的に実行させる申入れを行い、一年間にわたる闘いは福岡高裁における和解と、同時に締結された確認書として結実しました。和解条項と確認書の要旨は次の通りです。

「南九州税理士会は、@牛島に対し責任を認め謝罪し、A全ての税理士会会員に対し1978年分のみならず1976年分についても違法であったことを認め、全税理士が納入した両年分の特別会費を、利子を付して返還した。その財源は基本的には執行部の個人負担である。Bさらに1969年度から1985年度の分までの南九税政及び各県税政に対する業務改善費名目の寄付も違法支出として責任を認め、今後再びこの過ちを犯さないことを約束した。C今後政治献金を一切行わないことを宣言した。税理士会と税政連は別個の互いに独立した団体であり、税理士会は今後税政連に対し一切の利益供与は行わないこととし、税政連は六年以内に税理士会より立ち退くこととした。D税理士会は牛島に対する陳謝と和解内容、牛島の論文を会報に掲載して全会員への周知をはかると共に本件と憲法について会内研修を行うことを約束した。また牛島の論文を日税連機関紙に発表することとなった。E牛島に対する賠償額も一審判決認定の150万円から1千万円を越えた。」

 弁護団では300パーセントの勝利和解と評価しました。


3.本件最高裁判決の意義と前途

 本判決は少なからぬ文献で紹介され論評が行われ基本判例として定着しました。

 1997年3月27日、参議院法務委員会にて最高裁判所長官代理者(石垣君雄・最高裁事務総局民事局長)はこの最高裁判決のポイントは何かとの質問に「政党など規正法上の政治団体に対して金員の寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、会員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄であるというべきである。ということを判示しております。」と答弁しました。この答弁を踏まえ同委員会では本判決によれば強制的に徴収される税金が本人の支持しない政党に支出されている政党助成金は違憲性をもつのではないかとの質疑・討論が行われました。

 この判決は、強制加入団体に限るものではなく企業や公益法人、任意の団体、宗教団体などにも広く射程距離が及ぶと見られます。事実この判決は青森地裁の薬剤師会事件判決(1998年9月)に引用され、さらに今日、鹿児島、福岡、京都地裁で闘われている日本歯科医師連盟退会自由訴訟へと引きつがれています。

 憲法施行53年の歴史の中で最高裁は1973年12月の三菱樹脂高野事件等までは憲法19条は私人間に適用せずとしていましたが1975年12月の国労広島地本事件・1995年9月の関西電力事件は憲法上の思想・良心の自由を明示しての判決ではないが被差別者が勝利し始めました。この時期に最高裁第三小法廷の本件裁判長、園部逸夫判事の「違憲審査の法理 ― 日本の経験」が発表されその論文は、「精神的自由の領域では、まだ、注目すべき違憲審査の原則は必ずしも確立されていない。この分野での適切な事件が審理されて最高裁判所の判断が示されることが期待されている。」(1995年11月法曹時報)と結ばれていました。かくして1996年3月の本判決において憲法19条は私人である税理士会にも適用されるとの画期的な判決となりました。その上に立って最高裁は1997年4月の愛媛玉串料事件において精神的自由の擁護を大法廷判決として定着させました。また本件は政治献金は個人が自主的に決定すべきことをすべきことを明らかにした二重の意味での画期的判決でした。

 この判決によって、もはや企業献金は合理性を失い八幡製鉄政治献金判決は見直されざるを得ないとの論究も行われています。いま、KSD事件、特定郵便局長事件など醜い金と集票の実態に国民の厳しい批判が向けられています。

 法律時報1571号の解説論文はこの判決の前途を「法人の活動とその構成員の思想・信条の自由の・・・極めて重要な判断」で「構成員の固有権・個人の参政権や思想信条の自由との関連でさらに論究が進み、学説が発展する」と展望しました。

 私は73歳を越え余生はあまり長くはありませんがせめて、生きているうちに、アメリカより遅れること百年になりますが、我が国でも21世紀の早い時期に個人の自由を侵害する企業・団体の政治献金の完全な禁止が本判決を武器とした人々の闘いで実現するよう力を盡して人生を全うしたいと念願しています。

 最後になりましたが本件訴訟は日大北野教授より日本一と評された強力な弁護団あってこそ勝利することが出来ました。氏名を紹介し感謝の意を表します。

一審弁護団

故福田政雄(団長)・加藤修・板井優・千場茂勝・竹中敏彦・松本津紀雄・吉井秀広

最高裁弁護団

馬奈木昭雄(団長)・浦田秀徳(事務局長)・加藤修・板井優・椛島敏雄・藤尾順司・田中利美・吉井秀広・西清次郎・上条貞夫・松井繁明・諫山博外非常勤弁護団47名


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