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日本に残る韓民族の文化をたどる旅(中)

第24回「日本の中の韓民族史探訪」同行記

 探訪団は、昼は現場をめぐって目で確認し、夜は移動手段兼宿泊先の船内で鄭永鎬(チョン・ヨンホ)檀国大碩座教授(寄付金によって研究活動を行えるよう学校の指定を受けた教授)兼博物館長や、ソ・ジョンソク公州大文化財保全科学科教授らによる講義を聞いた。参加者らは昼間の踏査で疲れていたが、一生懸命にビデオを撮り、講義を記録した。

 眠気を覚ますユーモア満点の講義も印象的だった。孫承喆教授が日本側の記録から「通信使らは酒を好んだが、刺し身はあまり好まれなかったようだ」という部分を公開したときには、爆笑が起こった。

 教授らは現場踏査にも同行し、探訪団の疑問を解消した。奈良の東大寺を訪ねた探訪団のメンバーらが「彩色模様がないのに、どうして韓国文化の痕跡だと言えるのか」と質問すると、鄭永鎬教授は「韓国の寺にも、三国時代には彩色模様がなかった」と説明した。飛鳥地方の百済遺跡である石舞台古墳を訪問したときは、「飛鳥の漢字表示は“飛鳥”だったのではなく、元は百済人が渡来して心安らかに定着したという意味の“安宿”(発音はアンスク)だったが、後に変わった」と説明した。

京都=キム・テフン記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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