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日本に残る韓民族の文化をたどる旅(上)

第24回「日本の中の韓民族史探訪」同行記

 「皆さんは、時間と空間の歴史の旅に出かける21世紀の朝鮮通信使です」

 今月10日午前、福岡県大宰府市。ここは、日本国内で百済人の面影が色濃く残る場所だ。9日に釜山港を出発し、6泊7日の日程で奈良や飛鳥、大阪、京都に至るまで2000キロをめぐる「日本の中の韓民族史探訪団」が最初に訪ねた場所は大宰府だった。無表情な顔つきで立っていた探訪団のメンバーらは、孫承喆(ソン・スンチョル)江原大教授の現場講義が始まるや、うなずき始めた。「あの山が見えますか。百済が滅亡した後、新羅の侵入に備えるため、百済の将帥の指揮の下に建てられた大野城です。日本は城を平地に建てるため、あのような山城はありません。山城や邑城を建てるわれわれの技術により作られたという明白な証拠になるわけです」

 全国の小・中・高校の教師らが主軸となる探訪団の日本訪問は、今年で24回目。本紙と新韓銀行、GSが共同主管し、サムスン・ソウル病院が医療面でのサポートを行った。三国時代には韓半島(朝鮮半島)の先進文物が日本に伝えられ、朝鮮時代に通信使が通った道をたどる探訪団は、日本の歴史と文化の中に深く根ざした韓国文化の輝かしい光を発見し、感動をもたらした。京都の広隆寺では霊宝殿に展示されている弥勒菩薩半跏思惟像(日本の国宝第1号)が新羅で作られたという説明に感銘を受け、東洋陶磁美術館に展示されている高麗青磁を見て歓呼の声を上げた。

13日午前、広隆寺で鄭永鎬(チョン・ヨンホ)檀国大碩座教授の説明に耳を傾ける「日本の中の韓民族史探訪団」のメンバーたち。/京都=イ・ジェホ記者

京都=キム・テフン記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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