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この人に聞く:中国残留孤児訴訟・元兵庫原告団長、初田三雄さん /兵庫

 ◇日本人としての尊厳、保障を--初田三雄さん(66)

 世界的な景気の落ち込みが、中国残留孤児の初田三雄さん(66)=伊丹市=の生活を脅かしている。アルミ価格が下がり、6年前から続ける空き缶拾いの収入が激減しているためだ。初田さんはそれでも、政府が昨年4月に始めた支援策の給付金を受け取ろうとしない。初田さんは今何を思い、国と闘い続けるのか。【聞き手・重石岳史】

 ◇中国ではどのような生活を。

 ◆9歳の時、小学校の先生から日本人と知らされました。文化大革命が始まると「日本人の犬の子」と呼ばれ、勤務先の会社で9カ月間拘束されました。その後農村へ15年間追放され、飢えと寒さの中で生活しました。

 私が日本人なら、本当の親はどこに住んでいるのか、なぜ私を探してくれないのか、毎日考えました。しかし農村では何も情報が入らない。日本で肉親を探すため、84年に一時帰国しましたが、何も情報を得られませんでした。

 本当の名前すら分からない。日本に永住すれば、肉親が見つかるかもしれないと思い、87年に家族を連れて帰国しました。

 ◇日本での生活は。

 ◆牛皮を化学処理する工場で働きながら、日本語を覚えました。生活保護を受けることは恥ずかしいと思い、懸命に勉強し、自立しようと働きました。家族を養い、老後の生活に備えるため、倹約しました。6年前に定年退職し、アルミ缶を拾う仕事を始めました。

 今の1カ月の収入は厚生年金と国民年金合わせて9万円にも満たない。1カ月に4日、アルミ缶を拾う仕事をしていますが、1キロ45円くらい。1年前に165円だったが、どんどん下がっています。1日の収入は1000円にもなりません。家賃や医療費も自分で払っているので生活費に最低でも4万円かかります。

 ◇政府は昨年4月、残留孤児の新たな支援策を始めました。なぜ給付金を受け取らないのですか。

 ◆日本は59年、残留孤児全員を「戦時死亡」と宣告しました。72年、中国との国交正常化後も、大勢の残留孤児の存在を知っていたにもかかわらず帰国させなかった。残留孤児の帰国が遅れたのは、国が過ちを犯したから。帰国への扉を閉ざしてしまった。だから国は政治責任がある。

 しかし新たな支援策には「収入認定」が盛り込まれました。これは国が収入を調査して給付額を差し引くもので、帰国前に我々が受けた苦しみを無視している。残留孤児の問題は金銭で解決するものではない。残留孤児は今も、日本人としての尊厳を取り戻していない。生活は苦しいが、私はこの支援を断りました。私たちは「難民」ではありません。

 ◇国に望むことは。

 ◆私は日本国民です。日本で日本人と同じ自由と平等が保障された生活をしたい。中国へ渡航するにも制限があります。残留孤児の85%以上は今も日本語を話せません。残留孤児は同じ被害を受けたのだから、収入認定を撤廃して全員に一律給付すべきです。収入認定で給付に差が生まれるのはおかしい。国は政治責任から逃げず、公式に謝罪してほしい。私は死ぬまで闘う。

     ◇

 初田さんは3月、生まれ育った瀋陽へ約10年ぶりに帰郷した。この様子などを撮影したドキュメンタリー「父の国 母の国-ある残留孤児の66年-」が29日午後3時58分から関西テレビで放送される。

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 ■人物略歴

 ◇はつた・みつお

 1942年12月6日、旧満州(現中国東北部)生まれ。中国人の養父母に育てられ、44歳の時に帰国。国に損害賠償を求め、残留孤児が全国15地裁で起こした訴訟で、兵庫原告団長を務めた。現在は残留孤児や国賠訴訟弁護団らでつくる「中国『残留日本人孤児』の尊厳を守る兵庫の会」などの代表を務める。

毎日新聞 2009年4月29日 地方版

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