2009年05月10日

ディズニー社会と日本社会の違い

 以前に個人ブログに書いたものを転載します。

 <転載開始>

今日は「豊かさマインド」と「欠乏マインド」について述べてみたいと思います。


まずは「欠乏マインド」についてです。皆さんはこの言葉を知っていましたか。
「欠乏マインド」とは物事を一個のパイと見て、他の人が大きな一切れを取ると、自分の取り分が減ると考えます。それは、物事をゼロ・サム・ゲーム(一方のプラスが他方のマイナスになり、両方の得点の総和が必ずゼロになるゲーム)と考えるマインドです。つまり人に何かを与えることは自分の取り分が減ると考えてしまうマインドです。


「欠乏マインド」とは他人が誉められたり、大きな成果を出したり、成功したりするとまるで自分から何かが奪われてしまったような気持ちになってしまうマインドです。
この「欠乏マインド」を持つ人は、いつでも比較したり競争したりしています。そして「勝つ」ということは「相手を負かす」ことである、そのように考えてしまうのです。


そして「欠乏マインド」を持つ人は、物や人を自分の所有物にすることで、自分の自尊心を高めようとし、その追求に多くのエネルギーを浪費し、他人を思いのままにしたいと考え、イエスマンやご機嫌取り、自分より弱い人たちで自分の周りを固めようとするのです。


そして、このマインドの人は、
業界内の小さいパイを奪い合い、一人勝ちをしようと考えます。


出る杭は打ち、邪魔者を消します。「やるか、やられるか」のパラダイムです。


嫉妬の天才です。自分よりすぐれたものをうらやんだりねたんだりします。


コラボレーションできません。協調性に欠け、相手に気を許さないからです。


教えてしまうことは自分が損をする、マニュアル化すると自分が損をすると考えます。


電車が5分でも遅れると損をしたと考え、苦情を申し立てることもあります。


取られる!攻撃されたと思い反射的な行動をとります。(キレルのが早い人です)

秘策、奇策を使い「刺客」を送ります。


ポチになります。長いものに巻かれたほうが楽だと考えます。


情報公開をしません。「見ザル、言わザル、聞かザル」の姿勢です。


パーティに招待されても何も持参しません。


「豊かさマインド」は、「欠乏マインド」の反対です。すべての人を十分に、あるいはそれ以上に満足させることが可能である、と考えるマインドです。「豊かさマインド」を持つ人は、天然資源や人的資源(創造力)には無限の可能性があると考え、全ての人を満足させる新しく創造的な代替案や第三案をつくり出すことができると信じています。


「豊かさマインド」を持つ人は、豊かさを創造し、人とその豊かさを分かち合うことができます。たとえばパーティに招待されたら、「音楽」「エンターテイメント」などを持参します。豊かな世界を広げるために持っている能力は惜しみなく提供したいというマインドを持っています。


この「欠乏マインド」と「豊かさマインド」の出所は、スティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」キング・ベアー出版 です。ぜひ読んでみてください。


さて、著者のコヴィー博士は「欠乏マインド」を持つ人は・・・と述べていますが、日本人の場合、私は多かれ少なかれ誰にでも両方のマインドがあるものと考えています。人間の心には両面性があるからです。

たとえば自動車の運転です。私もそうですが、割り込みをされた時など「ムッ!」としてしまうことがありませんか。
「ハンドルやカラオケマイクを握ると人が変わる」という話もよく聞きます。


大切なことは「自分は今、欠乏マインドモードにあるかもしれない」ということを自己認識すべきであり、意識的に「豊かさマインドモード」に気持ちを切り替えていく必要があるということなのではないでしょうか。
(「欠乏マインド」でなぜ悪い!という方からは余計なお世話と言われるでしょうが・・・)


日本のトップの小泉総理大臣や東村山市のトップの市長は、この「欠乏マインド」が強い人なのか、「豊かさマインド」が強い人なのか、この見方は分かれるとは思いますが、「欠乏マインド」の強い社会は犯罪や事故を多発させる社会である、このことだけは間違いないと考えます。



つまり、すべての犯罪や事故の真因は「マインド」にある、つまり日本人の「心」にあるということです。
いくら「規制」や「罰則」を強化しても、「基準」を統一しても、この荒廃した日本社会は決して良くはならないと私は思います。


私はこの「欠乏マインド」の強い人とは上手なコミュニケーションができません。小さなパイを取り合う、相手に勝つことだけを考える人たちと論議しても残るのは「むなしさ」だけであり、時には口論に発展してしまうこともあるからです。


もちろん、文中にもあるように、私が豊かさマインドの持ち主で他者とは違う、などと言っているのではありませんが、できるだけ自分が欠乏マインド状態に陥らないようガマンをしているつもりです。なぜならば、アルファー波が発せられている豊かさマインド状態の方が、議論をしていても楽しいし、生産性も高まるからです。

<転載終了>


 

私は講演で、このマインドを「ディズニーマインド」と「貧困マインド」と言い換え、ディズニーマインドの方が背英産的である、と申し上げてきました。

違いを一覧表にしています。名著「菊と刀」の内容を表に整理したようなもので、日本では私にしかつくれないであろう貴重な資料です。

小泉改革が生み出した貧困マインド社会が終わり、豊かさマインド溢れるディズニフィケーション(社会のディズニー化)された社会が訪れることを願い、無料で公開します。ご自由にお使いください。(原典は「7つの習慣」「異文化インターフェイス経営」であることをお示しください。)

 講演配布資料

ディズニー社会と日本社会の違い