「マグロ名人戦で起こったこと」
に対する反応は大きく、特にWEB駒音への投稿に関しては日本将棋連盟の『意外なほどの』素早い対応に関しましては敬意を払いますが、事実認識の誤解(?)もあり、紫外線さんのコメントに対する返信を本日のブログとしてコピーしました。

{返信内容}
三浦三崎マグロ争奪将棋大会の件
投稿者: 世渡り下手爺 投稿日時: 日, 04/19/2009 - 13:16
平田 様
私のブログへのコメント有難うございました。
誤解もありますようで、ここに掲載をさせていただきます。
「三浦三崎マグロ争奪将棋大会」は今年で33回目を迎えようとしております。
それ以前は、三崎支部による一般的な市民将棋大会でした。それが、マグロ将棋大会に移行したのには次のようなことがありました。
 34年前の大会で、連盟棋士を迎え将棋大会が開催されましたが、その時に費用として
連盟関係で、約十万円がかかりました。市民大会としては、その金額を参加費に上乗せすることが出来ず、「十万円あれば、マグロの本場である三崎でのマグロの浜値は、一本
三万三千円(当時)、それならばA・B・C各クラスの優勝者にマグロを一本づつ賞品として提供できる。また、三崎の町興しにもなる。」これが、それ以前からの大会運営をされていた、元実行委員長の大井利夫さん達の考えとして『三浦三崎マグロ争奪将棋大会』へと移行されたのです。
 「市民大会として長く続けるために、手弁当で費用を抑え、豪華な賞品を提供する。」
この、コンセプトに共感し、友人の湯川博士氏が審判長となり、大会は次第に話題を呼び
大きな大会へと発展していきましたが、このときには連盟とは、関係がありませんでした。第20回記念大会では、三浦市より百五十万円の補助金や後援を受けることが出来、その補助金により大局時計を購入することが出来、より大会は盛り上がっていきました。
 30回の大会を終え、大井氏と、湯川氏は年齢の関係もあり、次の世代へ運営を託すべく、大会のコンセプトを永続的に協力できる団体を探している時に、LPSAの発足があり、3月にマグロ将棋大会実行委員会より、LPSAに運営協力依頼がされました。
その為、協賛として迎え入れられました。連盟の後援は6年前からで、それは大きくなったマグロ大会に県連からの実行委員会への依頼によるものでした。
 ところが、1昨年の大会同日に、相模原であったと思いますが、連盟主催の将棋大会が開かれ、出場者の減少を心配することになりましたが、マグロ大会の魅力は大きく出場者の減少もなく、盛会に終了できました。
 昨年、9月に例年とおりに、連盟へ後援依頼の文書を送りましたところ、次のような内容の文書が連盟の普及推進部・普及開発課よりありました。抜粋します。
 『これまで、当連盟は、貴大会の開催に際しましては、その運営実績と関係各位の熱意に敬意を持ち、後援をさせて頂いて参りました。
 また、以前は当連盟棋士・女流棋士にも声がけをして頂き伊、盛会の内に終った旨を聞いております。
 今後も、そうした方針に変更がないようでしたら、これまで通り後援をさせて頂くことはもとより、共催させて頂くことも厭わないと考えております。
 しかし、これまでの方針が変更され、当連盟の棋士に声がかからず、他の団体の棋士が運営に関わるということであれば、当連盟は後援をさせて頂くことを再考せざるを得ない状況にあります。』
との内容で、同時に大会実行委員会事務局長が神奈川県連において、県連役員・連盟役員
より、『連盟の意に反する団体』との運営は困る。その場合、除名を考えている。
との話がありました。期を同じくして、連盟全国支部連合会会長会議において、「連盟の意に反する他団体」への協力を排除する旨が会長より強く要請され、議事録にある文章を
抜粋します。
 「女流問題については、社団法人日本将棋連盟と別の団体が相対することがある。
 日本将棋連盟は将棋の総本山である事は理解していただき、他の団体がきても
 日本将棋連盟を支持していただきやいとおもいます。」
とあります。
 マグロ将棋大会の実行委員会は三崎支部そのものであり、時期的に見ても自分達がそれに相応していることを考慮しましたが、一番の問題は除名よりも『共催』であったそうです。三浦市が後援している市民将棋大会に、それまで、ほとんど貢献のなかった連盟が
共催となれば、それは、市民の手を離れ連盟の将棋大会になってしまうことを危惧したのです。尚、連盟の後援は県連の要請で6年前からでした。
 その為、マグロ実行委員会は予定を変えることなく、大会を開催し、LPSAに運営の
協力を再度要請し、市民将棋大会としての位置づけを守ろうとしたのです。
 その後、連盟より除名の話が再度持ち上がり、三崎支部は毅然として市民活動を守るため、除名される前に解散することを決定し、会費の納入をやめる事により除名以前にに自主解散しました。10名の支部会員は、3名が支部名人戦などの連盟主催の大会に参加するため横須賀支部を立ち上げ、残り7名は支部会員となることを拒否しました。
 今後は、三浦市民としての将棋大会の実行委員会としてその10名がその実行委員となります。
 この話は、最初の立ち上げから実行委員長を努めた大井利夫氏と、提示版掲載に関し、ほとんど毎日連絡を取り合い、30年間審判長を務めた湯川博士氏に内容を確認の上掲載させていただいてきたものです。
 連盟の考えは、いまだによく理解しかねます。しかし、彼らは連盟に対し怒りを持って
私に話をされました。
 以上長くなりましたが、これが私が知っている「事実」です。
内容をご検討の上、今後の推移を見守って頂きたいと思います。
                  
                         鵜川善郷  拝