西欧極右とメーデー(労働者の祭典)
ドイツ国民民主党(NPD) フランス国民戦線
メーデー大混乱、多数負傷=衝突相次ぐ−ドイツ
【ベルリン1日時事】メーデーの1日、ドイツ各地でデモ隊が警官隊や右翼団体と衝突し、多数の負傷者や拘束者が出た。
南部のウルムでは、極右・国家民主党による行進を阻止しようとしたデモ隊が暴徒化。警官隊が催涙弾の発射や放水で鎮圧に当たり、DPA通信によると50人が負傷した。
西部のドルトムントでは、労働組合が開いた集会の参加者を覆面をしたネオナチグループが襲い、200人が警察に拘束された。また、ベルリンでは左派の若者が機動隊に火炎瓶や石を投げ付けた。
[時事通信社]
このようなニュースが配信されること自体が珍しいが、記事を良く読んで欲しい。
>極右・国家民主党による行進を阻止しようとしたデモ隊が暴徒化。
極右=暴力を想像しがちですが、明らかにこの5月1日における平和的なデモ行進を暴力によって妨害しようと試みて暴徒化したのは左翼勢力です。
尚、報道機関は極右・国家民主党と報じていますが、正確には国民民主党と訳すべきであり、国民民主党が自ら極右政党と名乗っているわけでもありません。
ドイツ思想史にお詳しい松田正雄先生はNPDをドイツ国民民主党と訳されて、その綱領をネット上で公開されています。
http://maglog.jp/matsuda158/index.php?module=Dlshop&mode=10&goods_id=2814
このドイツからの報道には二つのニュースが並べられています。国民民主党というドイツの右派政党が整然と平和的なデモを行ない国民に訴えているというニュース。
もう一つはネオナチ・グループが労働組合の開いた集会を襲い、警察に拘束されたというニュースです。何故、このニュースはこのように並べて日本では伝えらているのでしょう。
先ず国民民主党ですが、ドイツにおいてはこのような政党です。
シュウェリン/ドイツ 18日 AFP】メクレンブルク・フォアポンメルン(Mecklenburg-Western Pomerania)州で地方議会選挙の投開票が行われ、極右政党のドイツ国家民主党(NPD)が7.3%を得票し、6議席を獲得する見通しとなった。同州にはアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相の選挙区もありおひざ元として知られるが、同首相率いる保守政党、キリスト教民主同盟(CDU)は同州およびベルリンでも苦戦を強いられた。写真は17日、シュウェリン(Schwerin)の党本部で選挙の勝利を祝う、ドイツ国家民主党の候補者たち。(c)AFP/ROLAND MAGUNIA
http://www.afpbb.com/article/politics/2114174/906491
2006年のドイツの州議会選挙で、7.3%の得票率を得たとあります。ご存知のように日本の共産党や公明党がこれだけ高い支持を地方レベルであっても得たことはありません。
それだけ大きな勢力に成長し続けているということです。この政党について、ここまで来るには大変な困難な時代がありました。ドイツにおいては、憲法で民主主義・自由主義を否定する政党は認められていません。
ドイツ国民民主党はドイツ連邦政府によって、民主主義を否定する政党という濡れ衣によって、裁判所に提訴され非合法化の手続きが取られそうになったのです。しかし、それを見事に跳ねのけて闘い続けているのです。
日本の右派勢力と違い5000人を動員する力を持つに至っています。日本共産党の赤旗は2005年に次のように伝えています。
ドイツ 大空襲60周年追悼集会に5万人
首相、歴史わい曲を批判
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【ベルリン=片岡正明】ドイツのドレスデンで十三日、第二次世界大戦での大空襲六十年にあたって集会が行われ、約五万人の市民が参加しました。
集会は、市内中心部に立つ聖母教会前でろうそくをともし、犠牲者を追悼しました。しかし集会の前に、極右政党である国家民主党(NPD)が動員した約五千人が「連合軍の空爆テロを忘れるな」などのプラカードを掲げ、市内を行進しました。これに対し、極右に反対する人々は「ナチは出て行け」と叫び、一時警官隊をはさんでにらみあいとなりました。
シュレーダー首相はこの日、声明で「第二次世界大戦の開戦、人間抹殺およびテロ行為に関しナチス・ドイツの責任はまったく否定できない」と述べるとともに、「歴史を解釈し直そうとする試みには可能なすべての手段をとる」「原因と結果を逆にする試みは許されない」と、極右勢力を批判しました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-02-15/06_01.html
おそらく、今年のメーデーにも、全国で5000人以上の党員が参加したと思われます。このドイツ国民民主党のデモに左翼が暴力で妨害したのは、いずれドイツ国民民主党が国政にも進出してくるであろう事を感じているからなのです。
日本のマスコミや共産党がNPDに対して、ネオナチと同列に扱うのは、全く違った政治勢力であることを承知していながら、そのように同列に置くことで暴力的な政党であることをイメージさせようとしているからに他なりません。
我々が現在日本で推進している「行動する保守運動」も全く暴力とは無縁な平和的な運動を志向する勢力なのに、左翼や報道機関は無理やり暴力と結び付けようとしています。
私が32年も前に暴力事件で逮捕された過去があることで、それを今も攻撃材料として使って、暴力的なイメージを植えつけるのに必死なようです。
何度も書きますが左翼が暴力をこれまで行使して、国民に迷惑をかけてきたのです。国鉄のスト権ストがそうでした。あれはまさに革命前夜の暴動でした。組織的暴力事件であったのです。
フランスの国民戦線のことに関しても以前紹介してあります。
皆さんは日本では極右政党と報道されるフランス『国民戦線』をご存知であると思います。私はこの政党が誕生した頃から知っていますが、ルペン党首率いるフランス国民戦線が選挙で大勝利を飾って躍進した時の報道ニュースをスクラップして保存しています。
昭和63年頃のことですが、フランスの総選挙で極右政党・フランス国民戦線は436万票を獲得しました。
これは14・4%の支持率で、仏共産党の倍以上の数字でした。
この年の5月1日のメーデーで初めて国民戦線は大規模なデモを行ないましたが、外電は次のように伝えています。
国民戦線は仏の若き英雄「ジャンヌ・ダルク」の銅像の前に支持者10万人を集めパリ市内を堂々の行進を開始した。その時に極左勢力がこのデモ隊に襲い掛かった。
ミッテラン大統領率いる体制側は極左をけしかけ、国民戦線潰しに出てきた。警察隊は極左の妨害を取り締まろうともしない。
国民戦線(FN)の党員は、それでも誰一人その極左の挑発に乗ることなく、整然と隊列を乱すこともなく進んだ。フランスの国旗を高々と掲げ、口々にスローガンを叫びながら−。
「フランスに栄光あれ!」 「フランスをフランス人の手に!」
「外国人労働者はフランスから出て行け!」
左翼勢力の繰り出す暴力に目もくれず前進して行く姿こそ、今日の西欧極右の台頭につながったのです。
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52212592.html
フランスの5月1日の様子があるパリ在住の日本人パリ・ジーコムフランス語学校校長さんのブログに紹介されていたので、紹介しておきます。
http://kazuhama.iza.ne.jp/blog/entry/1018904/
フランス国民戦線の若い活動家の顔は爽やかです。皆さん笑顔でフランスの国旗を掲げています。左翼は赤旗、右派政党はその国の国旗と言うわけですが、日本でもやがてメーデーの日にデモをやれる日はそう遠くない内にくると信じています。
〜新風連ブログ〜